第五百六十七話 神風の指揮者(三)
「現在の敵戦力はどれくらいだい?」
流人は、第五衛星拠点へと雲霞の如く押し寄せてくる幻魔の軍勢を見下ろしながら、情報官に質問を投げた。
異界の風は、重い。
常に魔素に変化があり、故に自由自在に操るには少々コツがいる。そのコツは、流人にも説明できないものであり、弟子や部下に伝える際に一番苦労するところだった。
風だけではない。
大地の性質も、水の性質も、なにもかもが央都の結界の内側とは異なるのだ。
なぜならば、人類生存圏の内側というのは、人類復興隊、そして戦団が汗水流しながら徹底した土壌改良を行い、人間やその他の動植物にとって住みやすい環境へと作り替えているからだ。
人類生存圏以外のあらゆる土地が、魔天創世によって幻魔に住みやすい土壌、環境に改造されてしまったことに対抗するように。
だからこそ、央都の風は扱いやすい。
水も火も土、全て、同じだ。
この魔界の火と、人界の火は、全く性質の異なるものといっていい。
ただし、それは自然発生的な現象についてであり、人為的にそれらの現象を発生させる魔法の場合は、話は別なのだが。
流人は、風属性を得意とするし、飛行魔法は風を操るに等しい魔法だ。ある程度風属性の魔法を使えた方が飛行魔法を上手く使えるというのは、魔法学における常識である。
もっとも、双極属性である地属性を得意属性とする魔法士でも飛行魔法が使えるように、必ずしも風属性魔法が必須というわけではない。
飛行魔法は、魔法という万能に近い力でもって、己が肉体を大地に縛り付ける重力の軛から切り離すことにこそ重要な点がある。それさえできれば、得意属性がなんであれ、自由に空を飛び回ることも不可能ではない。
そこが不得意でも、市販の法器を用いれば、誰だって空を飛べる。
それが魔法社会というものだ。
人類生存圏の安穏たる結界の中であれば、だが。
そして、それは、衛星拠点の内側にも言えることだ。
衛星拠点は、空白地帯の真っ只中になんの考えもなしに建造されたわけではない。
人類生存圏を護るセフィラ結界。
それを技術的に、擬似的に再現した擬似セフィラ結界によって護られた範囲内にこそ、この衛星拠点と呼ばれる最前線基地が作られているのだ。
だからこそ、野生の幻魔が衛星拠点そのものを攻撃してくるということは、ありえない。
セフィラ結界に護られた央都四市が、空白地帯に蠢く野生の幻魔の攻撃対象にならないように。
鬼級幻魔が主宰する〈殻〉が、野生の幻魔たちにとっては立ち入ることすらできない領域であるように。
擬似セフィラ結界は、〈殻〉の結界における殻石である擬似霊石の認証を得た幻魔しか自由に立ち入ることはできないし、そのようなものを人間が幻魔に与えるわけもない。
ただし、だ。
(なんらかの意思が働いている場合は、違う……か)
流人は擬似セフィラ結界の分厚い魔力層を脱けると、眼下に横たわる禍々しいまでに黒い大地を見渡す。黒い大地を覆う、黒々とした化け物たちの影は、彼がこれまでこなしてきた数々の任務の中でも中々に多い方だ。
それら幻魔たちが、空白地帯に生息する野生のものではないことは明らかだったし、どこかの〈殻〉の軍勢でないことも、その姿を見れば一目瞭然だ。
〈殻〉に所属する幻魔には、殻印と呼ばれる紋章が刻まれている。
殻印こそが、〈殻〉を自由に出入りするために必要不可欠な認証キーであり、己がなにものに支配され、なにものを主君と仰いでいるかを周囲に主張する獄印でもあった。
幻魔は、習性として、己より強い幻魔に逆らうという考えがない。
人間とは、違う。
人間は、どれだけ相手が強力で、勝てないことがわかっていても、立ち向かっていく生き物だ。無論、それが全てとはいわないが、少なくとも、戦団の導士たちに鬼級幻魔が相手だからといってすぐさま遁走するようなものはいない。
幻魔相手に平伏し、命乞いをするようなものなどいないのだ。
鬼級幻魔を目の当たりにすれば、即座にその支配下に入るか、逃げ出すかの二択しかない幻魔とは、その根本からして違う。
さて、拠点を包囲する幻魔である。
通常、衛星拠点が幻魔に襲われることはない、とはいったが、絶対にない、ということではない。
衛星拠点は、空白地帯の真っ只中に聳える戦団の最前線基地である。
周囲には、〈殻〉が存在しており、その〈殻〉から軍勢が差し向けられることも、ないわけではないのだ。
もっとも第五拠点が警戒するべき〈殻〉は、北に位置するオトロシャの〈殻〉ではなく、東に存在するアガレスの〈殻〉である。
オトロシャ軍はどういうわけか長らく外征に消極的であり、動向を監視しているだけで十分だからだ。
一方のアガレス軍は、殻主《かkしゅ》アガレスが野心の炎を燃やし続けており、周囲の〈殻〉との闘争に明け暮れていることが判明していた。
アガレスが領土拡大のため、人類生存圏に狙いを定める可能性だって十二分にあり、そのための調査としてなのか、何度となく部隊が派遣されていた。
そのたびに撃破してきたのが、第五衛星拠点で任務に当たっている軍団の導士たちだ。
流人率いる第一軍団も、一度、アガレスの軍勢と激突しているが、そのときは、流人が出るまでもなかった。
妖級こそ混じっていたが、今回の包囲網ほどの規模ではなかったからだ。
今回は、そのときとは比較にならないほどに数が多い。
『正確な数ではありませんが、上位獣級幻魔が五百体、下位獣級幻魔が千五百体ほど。その中には機械型がちらほらと確認されますが、大丈夫! 軍団長ならやれますよ!』
「……きみは……いや、いいか。そうとも、その通りだよ」
情報官のあっけらかんとした物言いに対し、流人は、飛行を止めてまで小言の一つでもいってやろうと考えたが、すぐに考え直した。
眼下、数多の幻魔が咆哮を発している。
流人を始め、第五衛星拠点を飛び出した導士たちに反応しているのだろう。
禍々《まがまが》しく、毒々《どくどく》しい怪物たちの行進。
黒々《くろぐろ》とした土煙を上げながら、衛星拠点包囲網を完成させていく様は、なにものかによる確かな指示があることを伝えている。
「自分なら、やれる」
流人は、独りつぶやくと、遥か高空から地上に向かって滑空した。淀んだ大気を突き破り、超音速でもって敵陣のど真ん中へと突貫する。
その勢いでもって機械型幻魔ガルム・マキナの背部機甲を貫き、胴体を真っ二つにすると、幻魔が怒号を発するのを黙殺して、その魔晶体を踏みつけにした。真言を紡ぐ。
「刃風の輪舞曲」
流人は、蒼い大旋風を巻き起こすと、ガルム・マキナの千切れた胴体をさらに細切れにしながら、周囲の幻魔をも巻き込んで見せた。
魔法の発動とともに魔素質量が拡散すれば、広範囲に分布する獣級幻魔たちが、一斉に流人の存在を認識し、敵意を彼に向ける。
幻魔の本能、幻魔の習性が、流人という特大魔力質量を見逃すことが出来ない。
それが、流人の狙いだということを理解するには、獣級幻魔の知能では足りないのか、どうか。
理解していても、本能が反応してしまうのかもしれない。
だとしても、哀れともなんとも思わないが。
「最初から全力で行かせてもらう」
流人は、吹き荒れる大旋風の中で、赤黒く輝く幻魔の無数の眼光を黙殺しながら、宣言した。
それは、死の宣告だ。
彼は、既に魔力を星神力へと昇華しており、その目の奥に〈星〉が瞬いていた。
「神風音楽堂」
真言を発した瞬間、流人の全身に充ち満ちていた星神力が、その周囲に展開していた複雑で神秘的な律像とともに発散し、彼を中心とする超広範囲に巨大な異空間が具現した。




