第五百六十六話 神風の指揮者(二)
相馬流人は、戦団戦務局戦闘部第一軍団の軍団長である。
軍団長というからには、星光級の導士であり、星将だ。
導衣の胸元に輝く星印は、星光級を示す五芒星であり、彼の立場のみならず、力量をも思う存分に知らしめていた。
空色の短髪に砂色の虹彩が外見的特徴として上げられる男は、漆黒の導衣に相馬家の紋章を刻みつけている。
吼え猛る紅い馬の横顔が相馬家の紋章であり、その家紋を見れば、誰もが相馬家を連想するくらいには、有名な家系だった。
相馬家は、相馬流陰、流星という双子の兄弟を始まりとする。
もちろん、それ以前から続く家系ではあるのだが、ネノクニにおける相馬家というのはどこにでもいる二級市民に過ぎなかった。
相馬家が名を上げたのは、流人の祖父・流陰とその弟・流星の活躍によるところが大きい。二人は、地上奪還部隊に参加し、地上奪還作戦を生き延びた歴戦の強者なのだ。
そして、戦団の黎明期から身を粉にして働き続け、戦団の基礎、央都の根幹を築くために尽力してきた。
だからこそ、相馬家の名は知れ渡り、流人も家紋を背負うことにこそ、生き甲斐を感じているのだが、そんな彼の生き甲斐とは関係なしに状況は動き続けている。
そう、第五衛星拠点を取り巻く状況が、激変し始めていたのだ。
「軍団長! 大変です! 多数の幻魔が第五拠点を包囲しています!」
慌てふためいた様子で流人に報告してきたのは、第五衛星拠点勤務の情報官の一人だった。一つ結びに下長い髪を振り乱していたのは、流人の居場所を探し回っていたからに違いない。
通信機を使えばいいだけなのだが、そこに思い至らないあたらい、余程動揺していたからだろう。
常に冷静沈着に情報を処理しなければならないのが情報官なのだが、彼女には向いていないのではないか、などとは、流人は、いわない。
戦団に所属するということは、央都市民のため、人類生存圏のため、人類の未来のために己が命を捧げる覚悟を表明するのと同意だ。
それがどのような役職であれ、戦団に所属している時点で、常に命の危険が付きまとう。
彼女も、必死に情報官の務めを果たそうとしているだけだ。それが空回りしているわけでもなければ、誰かの足を引っ張っているわけでもなければ、多少、動揺してしまうくらい可愛いものだ。
人のため、人に尽くすことこそ、人であることの証なり――とは、相馬家の家訓であるが、流人は、その家訓をこそ体現するために、ここにいる。
そして、彼は、基地の屋根上から拠点周辺を見回して、情報官の報告通りの事態に直面していることを把握した。
「いつの間に?」
『奴らは空間転移も自由自在。どこにいつ現れたっておかしくないでしょう。なんなら、寝室に潜り込んできてもね』
「それは、ちょっと困るかな」
『ちょっと?』
「とっても」
流人が言い直したのは、通信機越しの相手がなにか言いたそうな声音をしてきたからだ。
流人にそのような態度を取れるのは、第一軍団では一人しかいない。副長の一色雪乃である。
彼女は、現在、第六衛星拠点にいる。
一つの軍団が二つの拠点を受け持つ以上、軍団長と副長とでそれぞれの拠点を担当するのは、理に適っているし、ほとんどの軍団がそうしている。
場合によって、軍団長副長勢揃いで一つの拠点に当たることもあるが、大半は、別々に行動し、それぞれの拠点に配置された導士たちを指揮することになる。
そのため、副長には、相応の指揮能力が求められるのであり、魔法技量さえあればいいというわけではない。
魔法社会において、魔法技量こそが絶対の正義だが、戦闘部ではそういうわけにはいかないのだ。
「……そっちの状況は?」
『こちらには幻魔一体の影すら見つけらませんよ。空白地帯を探し回れば、野良の一体や二体はいるんでしょうけど』
「つまり、どういうことだ?」
『軍団長のみを狙っての作戦行動なのでは?』
「なるほど。確かにそうかもしれない」
『しかし、その程度、軍団長殿には物の数にも入りませんよね』
「まあ、そうだね」
流人の脳裏に、なんともいえない表情の雪乃の顔が浮かび上がったのは、彼女との付き合いの長さによるものだろう。
星央魔導院時代から切磋琢磨してきた間柄であり、戦団に入ってからは、どちらが先に昇級するか、一進一退の攻防を繰り広げてきたものである。
結果として流人が先に星将になったものの、雪乃も煌光級一位である。
状況次第では、雪乃がいずれかの軍団の軍団長になっていたとしてもおかしくはなかったのだ。
『では、軍団長、また後ほど』
「ああ、後ほど」
軽い調子で通信を終えると、流人は、部下たちに拠点の防備を固めるように指示を飛ばした。
第五衛星拠点の周囲に横たわるのは、空白地帯と呼ばれる死せる大地だ。莫大極まりない魔素に満ちた世界は、しかし、幻魔以外の生物にとって地獄そのものなのだ。そして変化に富む地形は、時間によってその形を大きく変えることすらあるのだから、ここを異界や魔界と呼ぶのは道理だろう。
幻魔たちの世界である。
故にこそ、衛星拠点が幻魔に攻撃されることそのものは、不思議でもなんでもない。
幻魔は、習性として、高濃度の動態魔素に向かっていく。
衛星拠点には五百余名の導士が滞在しており、動態魔素の密度たるや、空白地帯でも類を見ないほどのものだろう。
とはいえ、だ。
空白地帯に潜む幻魔の数というのは、決して多いわけではない。
日夜、空白地帯を巡回している導士たちが、野生の幻魔に遭遇する確率というのは極めて低いのだ。一日中、一度として戦闘を行わないまま帰投することのほうが多く、むしろ、地形の変化にこそ気を配ることの方が重要だったりする。
空白地帯の地形は、常に変化している。
かつて、この地球は、魔天創世と呼ばれる天変地異に見舞われた。
幻魔大帝エベルが起こしたそれは、地球の環境を幻魔に適したものへと改良するためのものであるといい、実際、幻魔にとっては住みやすい、超高濃度の魔素に満たされた世界へと変わり果てた。
それは同時に、当時の地形をも激変させただけでなく、いまもなお変化させ続けているのだ。
人類生存圏の、央都四市内の地形が変化しないのは、土壌を根底から改良したのもあれば、セフィラ結界内の魔素が安定しているからにほかならない。
つまり、空白地帯の魔素は安定しておらず、常に乱れているということでもある。
少しばかり魔法が扱いにくいのも、そのためだ。
流人は、任務中の導士と非番の導士を除く、二百名ばかりの導士たちが拠点内を駆け回り、あるいは飛び回って配置につくのを見て、それから、周囲の状況を再度確認した。
総勢二千体もの獣級幻魔が、第五衛星拠点を包囲しようとしている。
数だけで言えば、圧倒的と言っても過言ではあるまい。
「統制の取れた行動だ。なにものかの指示、命令によるものか」
「だとすれば、誰がこんな真似を?」
「オトロシャか、アガレスか……あるいは、マモンか」
「マモンですか?」
杖長・若宮梓が、彼の考えに疑問の声を上げるのも無理はなかった。
マモンは、現在、央都四市を混乱に包んでいる大規模幻魔災害の主犯だと目されている。
マモンの目的は、特異点であり、だとすれば、皆代幸多か本荘ルナ以外には考えられず、本荘ルナが先頃黙殺されたことによって、悪魔の標的は皆代幸多に違いないのではないか、と、戦団は考えていた。
だからこそ、戦団本部を含む各基地への総攻撃を行ったのだろうし、それによって戦団の戦力を一時的にでも引き留めることに成功したのだ。
ならば、いまさら、空白地帯の衛星拠点に戦力を派遣してくる理由などないのではないか。
長い真っ赤な髪を一つに束ねながら、若宮梓は、そんな風に考える。
目的が皆代幸多で、彼が出雲遊園地にいるというころから、出雲市近辺の衛星拠点に幻魔を差し向けるのは理に適っている。
だが、ここは第五拠点だ。
第五拠点から出雲市に援軍を送り込むのは、簡単なことではなかった。
もっとも短い直線距離ならば、オトロシャ領を通過しなければならないし、オトロシャ領を迂回して水穂市内や空白地帯だけを進むのだとしても時間がかかるだけだ。
もちろん、空を飛べば、移動時間など大したものではないのだが。
しかし、だとしても、と、彼女は思うのだ。
それならば、衛星拠点の戦力をこの場に釘付けにするのであれば、禍御雷による襲撃と同時に行うべきではないのか、と。
「きみは、この襲撃がマモンとは無関係だと考えているわけだ?」
「勘ですが」
「困ったな」
「なにがですか?」
「きみの勘は、良く当たる」
だから、流人は、法機を駆って空を舞った。
幻魔による総攻撃が始まるより遙かに速く、敵陣へと飛び込んでいったのだ。