第五百六十二話 変転(六)
『軍団長、大変です!』
明日良の元に飛び込んできたのは、部下からの音声通信であり、彼は、目の前の虹色の結界に対してもはや諦めていたこともあって、少しばかり救われたような気分になった。
他に問題が発生したのであれば、手の施しようのない結界への対応を後回しにしても良くなるからだ。
無論、そんな境地に至るまで彼が何もしてこなかったわけではない。
散々、星象現界・阿修羅を発動し、結界への攻撃を試みている。
しかし、その全てが無駄な足掻きに終わったのだ。しかも、明日良が結界に触れることによって星象現界が解除される現象が、そのたびに起こっている。
この遊園地を包む大雷とは異なる結界は、途方もない力を秘めており、星象現界に対する特攻のような能力を持っているのではないか、というのが、戦団本部の推察である。
明日良も、その意見に異論はなかった。
度重なる星象現界の発動は、明日良の心身に多大な負荷をかけており、凄まじいまでに魔力を消耗している。
これ以上、結界の突破を試みようとするのは、自殺行為にほかならない。
部下たちにも結界を警戒する以上のことはするな、と、厳命してある。
「大変じゃわからん。なにが起きたのか、簡潔かつ的確に伝えろ。いつもそう教わってるだろ、鬼の副長によ」
「誰が鬼なんですか」
「おまえ以外のだれがいるんだ?」
明日良が道魔の口答えに対して言い返すと、道魔の目は真っ直ぐに彼を見ていた。その目が彼の意見を物語っている。
明日良が肩を竦める。
「おれが鬼? 冗談だろ」
「阿修羅も悪鬼の一種とされることもあるそうな」
「あのなあ」
『ぐ、軍団長! 長谷川天璃と島本香澄の死体から、莫大な魔素質量が確認されました!』
「よし、簡潔かつ的確だな。花丸を上げよう」
『あ、ありがとうございます!』
先程までの緊張感に満ちた部下の声は、一瞬上擦ったかと想うと、感極まったものへと変わった。
そんな部下の反応を聞いていた道魔は、明日良がその傲岸さや不遜さから敬遠されるどころか、部下に常にその隣の席を取り合われるほどの人気ぶりを誇っていることを思い出した。
「時折そういう優しさを見せるのが、部下の人気を取る秘訣なんですかねえ」
「誰が人気取りに必死だ」
「誰もそこまでいっていませんよ――っと、これは……?」
道魔が不意に足を止めたのは、長谷川天璃の死骸を視界に収めたからであり、同時に天に昇る雷光を認識したからだ。
巨大な白い雷光は、天から降ってきているようにも見えるが、残念ながら、頭上には雲一つ見当たらなかった。
快晴極まりない空模様だ。
時代が時代なら、日本晴れというだろう。
そんな蒼穹の彼方まで届くような雷の柱が、長谷川天璃の死骸、その頭部から噴き出していた。
さらに遠方、出雲基地にも同様の現象が確認されたものだから、道魔は、明日良に目で問うた。
「本部、聞こえるか?」
明日良は、といえば、長谷川天璃と島本香澄の死すらも悪魔たちによって利用されているのではないかと察し、即座に戦団本部に連絡を取った。
「ええ、聞こえているし、承知しているわ。こちらでも同じ現象が起きているのよ」
イリアは、自分の周囲を取り巻く数多の幻板に無数の情報を表示させながら、それらを一瞥するだけで読み取りつつ、各軍団長との音声通信に参加していた。
禍御雷の急襲によって技術局棟は壊滅したものの、イリアは、巻き込まれずに済んでいる。が、喜んでいられるわけもない。
多数の部下たちが巻き込まれ、重軽傷を負ったものも少なからずいた。
幸い、死者は出ていない。
技術局には、だが。
医務局の導士や医療棟で治療中だった導士の中には、爆撃によって命を落としたものもいるようだった。
軍団長たちが怒りに燃え、星象現界を発動したのも当然だったのかもしれない。
戦団導士の仲間意識の強さというのは、他の組織とは比べものにならないくらいに重く、深い。
「近藤悠生と田中研輔の死骸からも、雷が立ち上っているわ。莫大な魔素質量とともにね。普通、ありえないことよ。そう、ありえないのよ」
イリアは、通信しながら、伊佐那義流らが技術局棟の残骸を魔法で吹き飛ばした瞬間、眩い雷光が柱となって天に立ち上る様を目の当たりにした。
「――ありえないわ」
愕然と、イリアは、つぶやいた。
『こちらでも同様の現象を確認しています。北江重吾の死骸からも雷が天に昇って……』
『同じく、高田享平の死骸、DEMコアがあったはずの部分から雷が生じていますね』
「そして、三田弘道の死骸からも、ね」
『はあ!?』
『そりゃいったいどういうこった!?』
『三田の死骸は徹底的に解剖されて、分析されたはずでは!?』
「ええ、その通りよ」
イリアは、混乱する軍団長たちの反応によって冷静さを取り戻すと、戦団本部内に立ち上る三本の雷の柱を星将たちが警戒する様を見た。
先程激戦を終えたばかりの新野辺九乃一と獅子王万里彩、それに伊佐那美由理である。
美由理は、先程の戦いにおいては機械型幻魔の討伐に動員されており、多数の機械型が彼女の血祭りに上げられる様は、導士たちを大いに昂揚させたものだったが。
美由理は、戦団が誇る英雄の一人だ。
彼女が戦場にいるというだけで、導士たちの士気は高まり、力も漲るのだ。
無論、他の星将が彼女に大きく劣っているというわけではない。
万里彩の星象現界も、九乃一の星象現界も、禍御雷を圧倒し、一蹴して見せている。
導士たちは、そんな軍団長たちの活躍をその目に焼き付けることによって、成長の糧とするに違いない。
イリアは、違う。
イリアが成長の糧とするのは、いま目の前で起きているような異常事態だ。
三田弘道は、世界初の幻魔人間であると認定されている。
禍御雷の試作品、あるいは既に完成品だった彼は、機械型幻魔同様にDEMユニットやコアを内蔵し、マモン謹製の生体義肢を用いていた。
そして、コード666の発動によって幻魔化した彼は、全身を幻魔細胞に飲み込まれ、人間性さえも捧げた末に敗れ去っている。
そんな彼を解剖し、徹底的に分析するように命じたのは、護法院だが、イリアたち技術局の人間にとってしてみればいわれるまでもないことだった。
技術局の四つの開発室が協力し、幻魔人間の分析を行った。
そのために三田弘道の死骸は、原型すらほとんど残さないほどに分解され、調べ尽くされることになったのだが、そのことで議論が起こるようなことはなかった。
それによって判明した様々な情報から、機械型幻魔との一致点や、変更点、改良点などが浮かび上がってくるとともに、一つの可能性をイリアに想像させた。
マモンの真の目的である。
マモンは、八人の囚人を浚ったとき、特異点に接触するなどと嘯いていたが、本当の目的は、別のところにあるのではないか。
イリアは、もはや死骸とすらいえない三田弘道の残骸から立ち上る莫大な雷光を見遣り、その禍々しさに表情を歪めた。
マモンは、〈七悪〉だ。
〈七悪〉の目的とは、そう、〈七悪〉に相応しい鬼級幻魔を揃えることだ。
マモンは、幻魔人間の中から鬼級幻魔を作り上げようとしているのではないか。
マモン自体が、人型魔動戦術機イクサの残骸やらなにやらから作られ、誕生したように。
そして、それによって〈七悪〉が勢揃いすることになれば、どうなるか。
サタン一派が本格的に動き出し、人類滅亡のカウントダウンが始まることになるのだ。
『ねえ、いったいどうなってるの!? 幸多ちゃんと連絡取れないんだけど!?』
「その原因がわかれば苦労はしないわよ、ヴェル。ねえ、美由理」
「え……?」
「え?」
イリアがきょとんとしてしまったのは、美由理が、不意打ちを喰らったといわんばかりの表情を見せたからだ。
数多の機械型を撃滅し、一先ずの役割を果たした彼女は、しかし、一切の消耗を感じさせなかった。
星象現界を短時間でも使った九乃一や万里彩とは大違いだ。
それだけ、星象現界の消耗が激しいということもあるが、美由理の内包する魔素質量が段違いだということも大いに関係している。
イリアが初めて美由理と出逢ったころ、彼女は既に魔法の申し子として謳われていた。
彼女こそ、伊佐那麒麟の後継者に違いないとさえ、誰もが想っていたのだ。