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第五百六十一話 変転(五)

「あーあ、いっちゃった、いっちゃったよ、馬鹿だぜ、あいつ」

 暗黒空間の深淵しんえんで、バアル・ゼブルは、ただ一人横臥(おうが)し、現世からの中継映像を見ていた。この闇の世界に送信される映像とは、全自動戦域偵察機マルファスが、その目に捉えたものである。

 マモンが、戦団の最先端技術とやらを独自に解析し開発したそれは、戦団のヤタガラスと呼ばれる機械に似て非なるものだ。

 技術系統的には、ヤタガラスよりもイクサに近い。

 アスモデウスが人間たちを誑かして作り上げた人型魔導戦術機ひとがたまどうせんじゅつきイクサには、好色で物好きな人間たちの愚昧ぐまい叡智えいちの結晶である、などと、マモンは矛盾むじゅんに満ちた評価をしていたものである。

 イクサの技術系統は、機械への改造が施された幻魔たち――マモン曰く機甲型きこうがたへと受け継がれ、さらに人間の幻魔化への挑戦と題して行われた禍御雷まがみかづち計画に継承されたというのだが、バアル・ゼブルには、どういうことなのかよくわからない。

 幻魔の本能として、機械に興味が沸かないからだ。

 本来ならばこうして中継映像を見ること自体、忌避するべきことだろう。

 しかし、マモンと関わるうちに機械を許容する程度には、バアル・ゼブルも変化していた。

 そのときだ。

「なにをいったのかな?」

「復活祭ってよ」

「復活祭?」

「知ってるだろ、このおれ様の晴れ舞台たる復活祭が、戦団の星将せいしょうどもによってめちゃくちゃにされたってことくらい」

「そういえば、そうだったね。根に持ってるんだ?」

「あったり前――って、なんであんたがここに……!?」

 思わず続けていた会話の最中、バアル・ゼブルは、はたと気づいて大仰おおぎょうに反応して見せた。横向けに寝転がったまま飛び跳ねたのは、彼のはねが魔力を巻き起こしたからであり、彼が食い散らかしていた央都おうと土産みやげの菓子の数々が散らばってしまった。

 幸い、飲み物をこぼすすという最悪の失態しったいだけは免れたが、しかし、この汚れっぷりを目の当たりにしたマモンの反応を想像すると、喜んでいい状況ではない。

 なにせ、ここはマモンの書斎しょさいなのだ。

 この〈クリファ〉闇の世界を主宰する〈傲慢〉のアーリマンは、〈七悪《しちあk》〉それぞれに己の領域を持つことを許可した。

 己の領域内ならば、なにをどのようにしようとも構わないというのが、傲岸不遜ごうがんふそんそのものが悪魔の形をしているアーリマンらしからぬものだったが、彼がサタンの指示に従っているというのであれば、頷ける話ではある。

 そして、そんなアーリマンによって分配された領域は、全部で七つ。

 アーリマンは、己が〈殻〉たる闇の世界を〈七悪〉に合わせて七分割した、ということだ。

 中心に位置しているのが〈七悪〉の主であり、王の中の王たるサタンの領域だ。〈七悪〉の一人としてその領域内に立ち入ったものはおらず、故に、内部がどのようになっているのかは誰も知らない。興味を持つことも許されていない。

 アーリマンの領域は、といえば、闇の世界は、方向感覚などあろうはずもない異空間だが、強引に東西南北を当てはめると、北に位置している。

 北東にアスモデウスの領域があるのは、彼女がアーリマンに次ぐ立場だからだろう。そして、南東に彼――アザゼルの領域がある。

 マモンの領域は、北西に位置しており、バアル・ゼブルの領域はといえば、南西に位置しているのだ。

 では、南の領域はといえば、現在空席なのだが、どうやら話を聞く限りでは、最後の〈七悪〉の領域として決められているらしい。

「おやおや、せっかくの現世土産が台無しだ」

「冗談だろ、汚れてもいねえってのに、廃棄処分なんてするかよ」

「きみ、汚れてても全部食べちゃうでしょ」

「わりいかよ」

「食い意地が張っているのは、きみの美徳だ」

「悪徳だろ」

「そうともいう」

「そうとしかいわねーっての」

 バアル・ゼブルは、アザゼルの介入による驚きからようやく精神的な落ち着きを取り戻すと、その場に座り直した。横臥ではなく、胡座あぐらをかきつつ、当たりに散らばった食べ物を魔法で掻き集める。

 バアル・ゼブルは、〈暴食〉を象徴とするように大食らいだった。

 とはいえ、闇の世界に食糧などあろうはずもなければ、そもそも幻魔の食欲とは魔素や魔力を吸収することによって解消されるものであり、なにかを食べるという概念を持ち合わせていないものだ。

 無論、対象を丸ごと飲み込むことで、その存在を構成する魔素を余さず取り込むということもないではないが、それもまた、魔力を取り込むためにほかならない。

 だが、人間にせよ、幻魔にせよ、死の瞬間にこそ、莫大な魔力が生じるものだ。

 であれば、腹の中に放り込むよりも、死によって生じた膨大な魔力を取り込むほうが遥かに効率が良かったし、美味でもあった。

 幻魔が人類の天敵と呼ばれるようになったのは、幻魔が人間の死によって生じる多量の魔力の味を知ったことが原因の一つだといわれているが、事実なのだろうとバアル・ゼブルは考えている。

 ただし、バアル・ゼブルは、その限りではない。

 彼は、魔素や魔力のみならず、人間が生み出した数多の食物、料理をも大好物としていた。

 いつ頃からなのかは、よく覚えていない。

 自分が何者だったのかすらも思い出せないのだ。

 思い出せないと言うことは、覚えていなくていい記憶だということだ、と、彼は、納得し、深く考えることを止めた。

 そもそも、考えることが苦手だった。

 この書斎にいるだけで頭がくらくらするほどだ。

「なんであんたがここにいるんだ?」

「それはおれが知りたいな。どうしてきみがここにいるんだ? ここは、マモンくんの書庫だろう?」

「んだよ。おれ様がマモンとつるんでて悪ぃってのかよ」

「そうとも」

「はあっ!?」

 バアル・ゼブルは、アザゼルの予期せぬ返事に素っ頓狂な声を上げた。

 アザゼルの相変わらずの顔色の悪さが、この暗い書庫の中ではより一層薄気味悪いものに見えた。そもそも、アザゼルは表情がわからない。

 悪魔の象徴たる黒環こくかんが目元を覆うようにして存在しているからであり、いつも口元に浮かべた酷薄な笑みだけが彼の表情といえた。秀麗な顔立ちも、黒環のせいで台無しだが、そもそも、悪魔に美醜を求めるのも馬鹿げた話だ。

「アーリマンは、寛容かんようにもマモンくんに研究所の設置を許可し、アスモデウスもそれに協力した。機械に触れるなど汚物に触れるようなものだとイヤイヤだったが、愛しい我が子のためならば、とね」

「随分とまあ、ご丁寧な説明で」

 バアル・ゼブルは、素早く立ち上がると、足下の菓子類が吹き飛ばないように本棚の上に移動させた。マモンが独自に入手した書物の数々が収められた本棚は、この書庫に何千何万と並んでいて、毎度訪れる度に圧倒されるものだ。

 そんな本棚をも蹴倒したりしないように注意しなければならない事態なのではないか、と、バアル・ゼブルは、手近な本棚から書物を一冊、軽く掴み取る素振りを見せるアザゼルを睨んでいた。

「まあ、おれとしても、他人事ひとごとじゃないんでね」

「あん?」

「マモンくんに麒麟寺蒼秀きりんじそうしゅうの腕をプレゼントしたのは、おれだ」

「……なるほど」

 どこか困り果てたような声音のアザゼルからは、普段の軽薄けいはくさが消え失せていた。手にした書物、全日本魔法士大全をぱらぱらとめくり、がくりと肩を落としながら書棚に戻す。

「ほんの、アスモデウスの御機嫌取りのつもりだったんだ。彼女、マモンくんを溺愛できあいしてるだろう? マモンくんの好感度を稼いでおけば、彼からアスモデウスに伝わるかなあ、ってよこしまな気持ちが働いたというわけだよ。でも結局、無駄に終わりそうだ」

「実に悪魔らしいじゃねえか」

「そうだろう? 本当に、悪魔らしいよ、きみたちもさ」

 アザゼルは、黒環越しにバアル・ゼブルの灰色がかった肢体から魔力が満ち溢れていく様を見ていた。膨大な魔力が渦を巻きながら、無数の紋様を展開していく。

 律像りつぞうだ。

「サタン様は、きみたち二人の勝手な行いに激怒されておいでだ。だから、おれが差し向けられた。暇を持て余していたからね」

「あんた、いつもそんな扱いだな」

「雑用係なんだよ、おれは」

「それは結構なことで」

「まあ、ほかにすることもないから、いいんだけどさ」

 アザゼルは、そういって、バアル・ゼブルとの会話を打ち切った。

 ふと、空中に投影されている映像を一瞥すると、天燎鏡磨の独壇場が展開されている最中だった。


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