第五百五十九話 変転(三)
「星象現界だと?」
風土は、火水の言葉を受けて、すぐさま風神と金剛に防御態勢を取らせた。
「ありえない」
そうはいったものの、火水が判断を間違えるわけもないことを理解しているからこそ、風土は速やかに防型魔法を展開させるのだが、同時に、肉眼で星神力の膨張を確認してもいた。
「ありえない……!」
認めがたい現実を目の当たりにすれば、語彙すらも失うしかないのだろう、と、風土は、己が同じ言葉を繰り返している事実によって認識した。
天燎鏡磨の死骸だったはずのもの、その全身から満ち溢れるそれは、確かに超高密度の魔素質量であり、星神力としか言いようのない代物だったのだ。
鏡磨たち改造人間・禍御雷は、これまで麒麟寺蒼秀の星象現界・八雷神を擬似的に再現し、その一部だけを使っていた。
それだけでも脅威としか言い様がなかったし、並大抵の導士では太刀打ちできなかったのはいうまでもない。
だが、所詮、紛い物は紛い物だ。
蒼秀の右腕を元に作られた生体義肢も、星象現界の情報を元に分配された魔法の数々も、本物には遠く及ばなかった。
火水も風土も、蒼秀との訓練でその絶望的な力の差を見せつけられている。
それが鏡磨には、なかった。
なぜならば、本物の星象現界などではなく、偽りの、紛い物に過ぎなかったからだ。
二人の相手には、全くならなかった。
では、本物の星象現界が相手ならば、どうか。
「わたしは、わたしだ! 親父殿の! マモンの! 貴様らにこき使われて死ぬだけの捨て駒などではないのだっ!」
鏡磨の憤激は、その周囲に浮かび始めていた律像をあっという間に複雑化させ、高密度なものへと激変させていく。
それはもはや、魔法の設計図ではない。
星象現界の設計図だ。
無論、黙って見ている火水と風土ではない。
風土は、その魔法の性質上、この場にいる全員の安全を確保することに注力しつつも、火水を援護した。
火水は、羽衣の大蛇を先行させながら、みずからも炎の槍を翳して突っ込んでいく。
「だから! さっきからなにを今更いってるのよ!」
「まったくだ。マモンの使い魔に成り果てた男のいうことではないな!」
「使い魔だと!」
鏡磨が、落ち窪んでいた両目の奥底から眼球を露出させると、強く輝かせながら二人を睨み付けた。
「高砂静馬の使い魔どもにいわれる筋合いはないぞ!」
鏡磨は、そのまま羽衣の大蛇を雷の鞭でいなし、炎の槍を左手で掴み取って見せた。火水の眼前で歯を見せ、嗤う。
「そうだろう、試験管の中で生まれた化け物どもめ」
「……鸚鵡返しはみっともないわよ」
火水は、大蛇の口から水流を吐き出させつつ、炎の槍の穂先から爆炎を噴出させた。強烈な水圧と爆炎の渦は、直接鏡磨を攻撃するためのものではない。
激流と爆炎が激突すると、音を置き去りにするほどの大爆発が起きたのだ。
超爆発は、ちょうど、火水と鏡磨の間で起きており、二人を同時に吹き飛ばすこととなった。
火水は、風土の星霊によって手厚く護られており、事無きを得ている。
一方の鏡磨はといえば、全身が徹底的に破壊されていて、原型を留めなくなっていた。
それこそ、人型の幻魔だった禍御雷の姿すらも保てておらず、全身を覆っていた漆黒の魔晶体が剥がれ落ち、人間の体が表面化していた。
「どういうことだよ!? あいつ、幻魔になったんじゃなかったのかよ!?」
「禍御雷は幻魔人間じゃなかったってことじゃないの?」
「いや、そんなこと、ありえない。ありえるわけがない」
幸多は、空護たちがわめきながらも、なんとかして杖長たちの援護をするべく動き出そうとしている中で、どうしようもない不安に押し潰されそうになっていた。
空護たちが疑問に想うのももっともだが、イリアたちが徹底的に調査し、解明した結果が間違っているわけがないと幸多には断言できた。
それだけ幸多がイリアたちを信頼しているからだが、ほかに考えられないからでもある。
擬似的とはいえ、星象現界を再現した魔法を巧みに操るのは、生半可な魔法士では不可能だ。〈スコル〉の中には優秀な魔法士もいただろうが、天燎鏡磨は、違う。
生粋の商売人であり、実業家であり、教育者なのだ。
魔法士としての腕前は、残念なものだという話は、魔法社会における鏡磨の唯一の汚点として陰口を叩かれているほどだ。
そんな彼が蒼秀の魔法をあの程度とはいえ使いこなせていたのは、紛れもなく、改造手術を受けていたからだったし、コード666が幻魔細胞による人間性の喪失であることに疑問を持つ意味がなかった。
では、鏡磨の身に起きていることはいったい、なんなのか。
鏡磨は、二つの心臓を潰され、息絶えたはずだ。
だのに、蘇り、ここにいる。
そして、全身を覆う幻魔細胞の中にずたずたになった人間の肉体が覗いていることも、考えられないことだった。
なにもかもがおかしかった。
鏡磨の顔は、半分が幻魔化したままであり、半分が人間の頃の彼の顔なのだ。上半身も下半身も所々が幻魔細胞に包まれ、一部が人間の皮膚を、傷口を覗かせている。
それら傷口から血を噴き出す様は、彼が人間であることを証明するかのようだ。
幻魔は、血を流さない。
幻魔の体から流れ出るのは、大量の魔力だけだ。
ならば、鏡磨は人間なのか。
「ああ、素晴らしいな。本当に素晴らしいよ。きみたちが九月機関の最高傑作なんだろう? 高砂静馬が上機嫌に語るのも頷ける出来映えだ。わたしもきみのような作品を作りたかったが」
「作品……か」
「言い得て妙ね」
風土と火水は、目配せだけで互いの意思を確認し合うと、同時に飛んだ。風土は、金剛、風神とともに大地を駆け抜け、火水は、水の羽衣で全身を守りながら、大上段に炎の槍を振り翳し、突貫する。
「わたしはどうやら、わたし自身が最高傑作だったようだ」
自信と確信に満ち溢れた言葉は、鏡磨の双眸の奥底に星が煌めいたことによって証明されたといっていい。
「ええ、そうみたいね!」
「だが、残念だったな。生粋の魔法士ならば――」
「あなたが物心ついたときから魔法の訓練をしていれば――」
「おれたちなんて相手にもならなかったかもしれないな!」
超高速で飛来して、大上段から振り下ろされた火水の炎の槍は、猛火を撒き散らしながら鏡磨の体を袈裟懸けに切り裂いていく。
超高熱の一閃。
鏡磨は、避けようともしなかったのではない。
避けられなかったのだ。
鏡磨の足を無数の岩の槍が突き破り、そのまま地面に縫い止めていたからだ。
星霊・金剛の能力であり、そこへさらに星霊・風神の能力が重なっている。全身を縛り付ける強烈な風圧が、鏡磨の行動を縛っている。
そこへ、火水の斬撃が入ったというわけである。
炎の槍はさらに炎を吐き続け、鏡磨の肉体を徹底的に灼き尽くしていく。人体も魔晶体も問わず、灼き尽くし、焦がし尽くし、溶かし尽くすのだ。
「駄目だっ!」
絶望的な声が聞こえてきたのは、火水の槍の切っ先が地面に突き刺さったときだった。
衝撃が、火水の右脇腹を貫き、一瞬にして内臓をも灼き尽くしたのは、それが電熱を帯びた魔力体だったからだろう。
それもただの魔力体ではない。
星神力の魔力体だ。
火水は、ぐらりと揺れる視界の真ん中で、切り裂いたはずの鏡磨の肉体が電影のように消えていくのを目の当たりにした。目を見開き、愕然としている間にも、うめき声が聞こえた。
振り向けば、風土の右腕が消し飛んでいた。嘘のように、大量の血が噴き出しす。
「確かに、現時点でこれほどの力量差があるとなると、わたしが最初から魔法を学んでいれば、と、想わないではないな」
鏡磨の声は、火水の前方ではなく、後方、意識外の場所から聞こえてきていた。
槍で体を支えながらそちらを睨み付けると、鏡磨が、禍々しくも輝かしい雷光の甲冑を身につけていた。
「天満大自在天神」
鏡磨は、満足げに口の端を吊り上げながら、その神経質そうな眼差しに雷光を迸らせた。