第五十五話 天燎対叢雲
場内音声案内に従って控え室を出たのは、幸多が先頭だった。天燎高校対抗戦部の部長であり、今大会における主将だからだ。
それはちょうど、対面の控え室の扉が開き、室内から草薙真が出てきたところだった。
草薙真は、灰色の競技用運動服に身を包んでおり、銀鼠色の頭髪が、通路の天井から降り注ぐ照明の光を浴びて、いつになく輝いているようだった。端正な顔立ちが際立っている。そしてその群青の目も、いつも以上にぎらついているように見えるのは、気のせいではあるまい。
幸多より上背がある彼は、こちらを射るように見下ろしてくると、ただ一言だけ告げてきた。
「潰す」
それだけをいって、草薙真は、通路を進んでいった。その後から出てきたのは、弟の草薙実だ。草薙真とは違って柔和な印象を受けるのだが、どうやら印象だけではなかったらしく、身振りだけで幸多に謝ってきた。
ただそれだけだったが、幸多には、草薙実が悪い人間には思えなかったし、気難しい兄に振り回される苦労人のように思えてならなかった。
そういえば、英霊祭のときも、弟が兄を宥めていたような記憶がある。
草薙兄弟揃って憎悪をぶつけられてきたらと考えたりもしたものだが、どうやらそうなることはなさそうだった。
草薙兄弟以外の叢雲高校の生徒たちも、どこか気まずそうな様子で、二人を追いかけていった。
「なんだって?」
控え室前で立ち止まっていた幸多を不審に思ったのだろう、圭悟が聞いてきた。幸多は通路を進みながら、返答する。
「潰すってさ」
「おーこわ」
「まじでやべえ奴じゃん」
「曽根伸也の前でいえるのか、それ」
「いえるわけねえだろ」
「実際に暴力を振るってきたわけではないのだ。曽根伸也よりは遙かに増しだな」
「そりゃあ……」
法子が導き出した結論に、何一つとして反論も異論も生まれなかった。
曽根伸也と比べれば、大抵の物事は小さく見えるものだ。
実際、草薙真は、宣戦布告こそしてきたが、それはつまり、競技内で決着をつけるという宣言でもあったのだ。圧倒的な勝利でもって叩きのめすことにこそ、彼の目的があるのだろう。
草薙真は、暗い情熱を燃やしているようにも見えるが、しかし、その矛先が競技に向かっているという点を見れば、遥かにまともな感性をしていると考えてもよかった。
「ま、相手が誰であれ、やることは変わらねえ。守って、勝つ」
「うん、わかってる」
幸多は、圭悟の囁きに応じると、通路の先、外の光によって眩く照らされた競技場へ、戦場へと足を踏み入れていった。
天燎高校と叢雲高校の選手たちが会場に姿を見せると、万雷の拍手が、天地を揺るがしかねないほどの歓声が、戦場を包み込んだ。
閃球二日目第三試合。
総合得点における上位二校の衝突である。
これで盛り上がらないわけがなかった。
が、そんな観客の盛り上がりなど、圭悟には知った話ではなかった。
圭悟は、叢雲との戦いも、守り切って引き分けに持ち込むつもりでいた。
総合得点は、現在二点差。これは、天燎のほうが一試合多く消化しているからだから、あまり参考にはならない。が、この試合の勝敗如何では、叢雲に多大な重圧をかけられるのではないか、と、圭悟は見ていた。
叢雲は、天燎との試合を含めて残り二試合を戦わなければならない。天燎と引き分ければ、得点差に変動は起きず、最終戦の幻闘を有利に進めたいであろう叢雲にとっては、大きな重圧となるはずである。
圭悟は、そう考えていた。
だから、試合前の作戦会議では、今まで以上に護りを固め、一点もやらないという決意と覚悟を持つように全員に言い含めたのだ。
負けられない。
負けるなど、ありえない。
天燎と叢雲の布陣が終わった。
天燎は、前衛二名、後衛三名のいつもの陣形だ。
叢雲も、これまで通りの陣形だった。草薙真一人を前衛に配置し、後衛四人で護りを固める、超防御型陣形、結界陣。この陣形で初日の二試合を圧勝しているのだから、草薙真の実力は疑うまでもない。
そして、後衛の守備力。後衛に回された四人とも優秀な魔法士であり、他校ならば前衛を任されたに違いない逸材揃いだった。それが叢雲鉄壁の守備陣を競星している。
今大会中、叢雲が取られたのは、星桜戦での一点だけだ。
それをいえば天燎は一点も取られていないのだが、叢雲の守備陣を突破して点を取れるとは到底考えられなかった。
そして、天燎に草薙真の猛攻を止められるのか、という難題が待ち受けている。
圭悟は、気を引き締めて、試合開始を待った。
両軍を東西に分かつ絶対境界線、その中心円に流星のようにして星球が降ってくる。
そして、試合開始の合図が鳴り響いた。
まず動いたのは、叢雲だった。
草薙真が突出し、中心円から星球をかっ攫うと、その勢いのまま、天燎陣地内へと突っ込んだのだ。星球を抱え込み、法子と圭悟の挟撃を突破する。
軽やかな跳躍だった。
そこへ亨梧が飛びかかると、草薙真は、星球を左前方へと放り投げた。亨梧の視線が星球を追い、動きが鈍くなる。草薙真は、そのまま悠々と亨梧を躱すと、魔法でもって星球を引き寄せた。が、そのときには、怜治と幸多が草薙真に迫っている。
草薙真は、幸多を一瞥した。天燎陣地の中央、四方から闘手たちが肉薄してくる中、草薙真のまなざしは、幸多だけを見据えている。
群青の目が、暗く燃えているように見えた。
草薙真が、肉薄してきた怜治を軽々と飛び越えて、星門へと向かう。その進路上に幸多が立ちはだかると、草薙真の表情があからさまに険しくなった。
幸多が星球を奪うべく草薙真に飛びかかった瞬間、彼は、頭上に向かって星球を投げた。そして、幸多が呆気に取られた瞬間、草薙真の足が幸多の背中を踏みつけにした。足場にされたのだ、と、気づいたときには、草薙真は天高く飛んでいた。
戦場は、極めて広大だ。地上百メートルの高度まで飛び回れるように設計されている。それもこれも魔法競技であり、飛行魔法等を活用した激しい試合を想定してのことだった。
草薙真は、その高度限界ぎりぎりまで星球を放り投げ、みずからも飛び上がっていた。赤々と燃え上がっているのは、彼の魔力そのものだ。
そして、彼は、戦場上空に到達すると、地上に向かって星球を蹴りつけた。星球は、爆発したかのように火花を発すると、火の玉となって一直線に落下した。
それはまるで流れ星のようだった。
それもただの流れ星ではなかった。
雷智が、両手から雷光の帯を展開して火の玉を受け止めた直後だった。
星門が光を発し、音が鳴り響いた。
叢雲の得点、天燎の失点を告げる光と音だ。
「なんでえ!?」
雷智が悲鳴染みた声を上げる中、悠然と舞い降りてきた草薙真は、幸多を見下ろしていた。
「いっただろう。潰す、と」
草薙真の銀鼠色の髪が、舞い散る火の粉の中で輝いていた。
『天燎高校対叢雲高校、今大会の総合得点一位二位を争う両校の直接対決は、まず、叢雲高校が一点を先制しました!』
『草薙真闘手、今大会十得点目です。さすがとしか言い様がありませんね』
『いまの投球は、どういうことなのでしょうか?』
『草薙真闘手は、火の玉の魔法を放つとともに星球を別方向に投げていたんですね。まるで星球を火で包み込んだようにして見せたのは、火の玉に注目を集めるため。本物の星球は、まったく別の場所、別の方向から投げていた、ということです。説明すると簡単なことのように思われますが、閃球の熟練者でも中々出来る技術ではないんですよ』
『なるほど。今大会一度も失点を許さなかった我孫子雷智守将が得点されるのも、無理はなかった、ということですね』
実況と解説にいわれるまでもないことだった。無論、戦場に選手として出場していた場合は見逃したかもしれないが、幻板の俯瞰視点ならば、草薙真の投球がどういうものなのか、はっきりとわかった。
とはいえ、それがわかるのも、ある程度の技量があってこそなのだが。
「確かに素晴らしい技術よねえ」
伊佐那麒麟は、草薙真の魔法技量の高さを素直に賞賛した。
今大会始まってからというもの、注目するべき選手は多いが、中でも草薙真は、特筆に値した。
天燎高校の黒木法子に並ぶ逸材といっていい。
「彼が草薙家の人間なのが、残念だよ」
とは、上庄諱。彼女も、草薙真の魔法技量の高さを認めており、だからこそ落胆を隠せないでいた。
草薙真が草薙家の二男ならば、可能性はあった。だが、彼は長男であり、生まれたときから家を継ぐ定めを背負っている。
故に、戦団に勧誘しても、振られるだけだとわかりきっているのだ。
「草薙家も古いわよね」
「伊佐那がいうか」
「わたしは、伊佐那でも本流ではないもの」
「この地上では、きみの伊佐那が本流だということは、忘れないで欲しいが」
諱は、ついいってしまったが、麒麟がそんなことを聞くような人間ではないということについて、知りすぎるくらいに知っていた。
だから、いまみたいに言いたい放題いえるのだ。
戦団でもっとも胃の痛い部署といえば、伊佐那麒麟の側近だろう、とはもっぱらの評判だった。
「天燎高校にも頑張って欲しいわね。あの子、気になるのよね」
「あの子?」
「皆代幸多くんよ」
麒麟の回答には、諱も城ノ宮明臣も、きょとんとした。想定外の回答であり、意識の外から殴りつけられたような衝撃を受けた。
伊佐那麒麟が魔法不能者に興味を持つなど、考えられなかった。
もっとも、麒麟が彼を気にしている理由は、彼女にとっては多少なりとも切実なものだったのだが。
「美由理ちゃんが気になってるらしいのよね、彼のこと。滅多に他人のことを話題に出さないあの子が話題にしたってことは、そういうことでしょう? そう思わない?」
麒麟が、まくしたてるようにいった。彼女は、我が子のことになると、周囲のことなどどうでもよくなりがちだった。
「まあ、あの子が興味を持つのもわからなくはないんだけど……」
麒麟の目は、広大な戦場で繰り広げられる学生たちの攻防を捉えていた。戦場に飛び交う魔法と、魔法を放つ魔法士たち、その肉体を巡る魔素が、はっきりと視覚化されて、麒麟には視えている。
万物には、魔素が宿る。
特に生物は、体内で生産した魔素を循環させており、魔素を内包していない生物など存在しない。これがこの世界の常識であり、理である。
それなのに、戦場の中にただ一人、麒麟の目を通しても、魔素を確認することのできない学生がいた。
それが皆代幸多だ。
彼は、完全無能者だという。
この世に唯一無二の希有極まりない存在。
麒麟の愛娘、伊佐那美由理は、彼女と同じ特別な眼をしていないため、その目で視たことによってそうであると確認したわけではあるまい。が、彼の境遇や在り様になにか感じるものがあったとしても、なんら不思議ではないような気がした。
魔素を持たない、この世の理外の存在ともいえる少年は、しかし、果敢にも魔法士たちに戦いを挑み、対等以上に渡り合っている。
それは、魔法以上に魔法のようだ。




