第五百五十七話 変転(一)
幸多は、天燎鏡磨が紅蓮の炎に包まれながら落ちてくる様をただ見ていることしかできなかった。
禍御雷と名乗る改造人間がその本領を発揮するために発動したコード666は、鏡磨の姿を異形の怪物へと変えてしまっていて、そのせいか、死にゆく彼の姿を見ても、悲痛なものには映らない。
一人の人間ではなく、一体の怪物が、幻魔が、死ぬ。
ただ、それだけのことだ。
ありふれた戦場の、ありふれた光景に過ぎない。
けれども、幸多は、鏡磨の眼孔にわずかに輝く赤黒い光が自分を見ていることに気づいていたし、彼がなにか幸多に言いたがっていることも理解していた。
だが、なにを言いたいのかは、見当もつかない。
どうせろくでもないことだろう、などと想うのだが、しかし、気にならないといえば嘘になる。
鏡磨は、哀れな存在だ。
〈七悪〉に利用されるだけ利用されて、何もなせないまま、命を使い果たしてしまった。
鏡磨本人の意思がどこまであったのか、幸多には、まったく想像も付かないし、考えようもなかった。
ただ、彼は死んだ。
やがて燃え盛る鏡磨の眼孔から光が消えて失せ、肉体が地面に激突すると、その全身を灼いていた炎も静かに消えていく。
星神力の具現たる、魔法の炎。
それから、ゆっくりと空中から降ってきたのは、火水である。
水の羽衣と炎の槍の星象現界を纏った彼女の姿は、天女か女神のようだ。数多の戦場を戦い抜き、死線をくぐり抜けてきた猛者が鏡磨の死骸に向ける眼差しは、冷ややかで、幸多のような感傷は見受けられない。
火水からしてみれば、当然なのだろうが。
幸多は、多少気後れしつつ、話しかけた。
「結局、お二人だけで勝っちゃいましたね」
「そんなことはない」
「きみが時間を稼いでくれたからだよ、幸多くん」
風土と火水は、それぞれに幸多を評価するようなことをいってくれるものだから、幸多は、なんとも申し訳ない気分になる。
二人はそんな風に評価してくれるが、実際の所は、鏡磨を打倒したのは、二人だった。
二人がいたからこそ、幸多はこうして生き残る事が出来たのであり、二人がいなければどうなっていたものか。
ただ、惨殺されていただけではないか。
「あとは、機械型か」
「あれくらい、どうとでもなるでしょ」
「ああ、そうだな」
火水の言葉に、風土も一切反論しない。
そして、火水は、幸多を見た。
「きみも、ね?」
「は、はい」
幸多は、慌てて周囲を見回して、唖然とした。
多数の機械型幻魔が、遠巻きに三人を取り囲んでいたのだ。ガルム、フェンリル、アーヴァンク、ケットシー、カーシー、アンズーといった機械化された獣級幻魔たち。いずれもがコード666を発動していて、膨張した全身を漆黒の装甲で覆い尽くしている。
それらに対し、こちらの戦力はといえば、三人だけではない。
「おれたちのこと、忘れないでくださいよ!」
「お、さっきまで意識を失ってたハイパーソニック小隊じゃん」
「その説明口調、なんなんすか」
音波空護は、火水の言い方に苦い顔をした。実際、その通りなのだから言い訳のしようもない。
鏡磨の超広範囲攻撃に吹き飛ばされ、それによって意識を失ったのは、空護率いるハイパーソニック小隊だけではない。
多数の導士が意識を失ったり、重軽傷を負っていたのだ。
その状態からようやく回復したときには、鏡磨との戦いは決していて、憮然とするほかなかったものである。
「いや、だって、為す術もなく撃ち落とされたハイパーソニック小隊じゃん」
「だから!」
「そんなことはどうでもいい。機械型の殲滅で取り戻せ」
「は、はい!」
火水とは違って冷ややかに告げてきた風土に対しては、空護も緊張感を以て対応した。火水が風土を睨んだ理由は、空護にはわからない。
「皆代くんは、無事だったんだな」
「ええ、まあ。死にかけましたけど」
「ええ?」
「でも、もう大丈夫です」
幸多は、空護たちの驚く顔を他所に機械型幻魔へと飛び出していった。
「どゆこと?」
「彼が死にかけてたのは本当。でもまあ、第三世代だし? あっという間に回復したってわけ」
「な、なるほど?」
火水の説明に、しかし、空護はきょとんとした。いくら第三世代でも瀕死の重傷から瞬く間に回復するなどということがあるとは思えなかったからだ。
補型魔法で治療したのであればまだしも、彼は完全無能者で、肉体に直接作用する魔法の恩恵おw受けることはできない。
そうした皆代幸多の肉体的特徴は、戦団の導士にとっての常識となっているのだが、それもこれも、完全無能者など彼以外には存在しないし、そもそも、魔法不能者の戦闘部導士自体が、幸多一人だからだ。
戦闘部内で彼に関する様々な情報が共有されるのは、当然のことだった。
幸多や火水が嘘をいうわけもなければ、掠り傷を大袈裟に表現する理由もない。彼が重傷を負ったのは事実なのだろうし、すぐさま回復したのも本当のことなのだろう。
だからこそ、疑問が湧く。
彼は、どうやって回復したというのか。
とはいえ、そんなことに拘っている場合でもない。
機械型幻魔は、遊園地内に大量にいて、こちらを包囲しているのだ。
総勢、百体以上はいるだろう。
それらが先程まで攻撃してこなかったのは、きっと、鏡磨と杖長たちの戦闘の苛烈さに入り込む暇がなかったからだ。
あるいは、鏡磨からの命令を受けていたか。
鏡磨ら禍御雷を名乗る改造人間たちは、ほぼほぼ幻魔である。コード666を使えば、さらに幻魔化が進行し、完全に幻魔になるといっても過言ではないらしい。
幻魔は、習性として、自分より力有るものには逆らわない。
つまり、鏡磨が機械型に見守るように指示していたのだとすれば、辻褄があうということだ。
その場合、なぜ、鏡磨がそのような指示をしたのか、という疑問が生じるのだが、いまは、そんなことを考えている場合ではないこともまた、確かだ。
幸多が、ガルム・マキナに向かって突っ込んでいった。機械仕掛けの巨大な狼が吼え、炎の触手が幸多に殺到するも、無数の剣閃がそれらを切り刻み、距離を瞬く間に詰める。
ガルムの頭上に火球が生じ、火球から熱光線が乱射されるのだが、それも幸多は軽々と躱し、あるいは剣で捌いて見せた。
凄まじい戦闘速度だ。
想わず、見とれかけるほどだった。
「隊長?」
「あ、ハイパーソニック小隊、出動!」
「おう!」
「見取れてた?」
「見惚れてたね」
「うるせえ!」
部下たちが茶化してくるのを怒鳴り散らしながら、空護は、法機に跨がった。空を飛び、一気に上空へ。
上空では、アンズー・マキナとカラドリウス・マキナが、群れを成して制空権を主張している。
「おれらは超音速のハイパーソニック小隊! 空の支配者がだれなのか、教えてやるぜ!」
「二重表現」
「うっせ、本当に、うっせ!」
言いつつ、空護は、カラドリウスの群れが生み出した毒の霧を躱すように法機を捌いた。そして、魔法を放つ。
「超空圧弾!」
空護が振り抜いた右腕の軌跡が、そのまま分厚い魔力体となり、発射される。
超音速の魔力体は、毒の霧を吹き飛ばしながら複数体のカラドリウス・マキナに直撃した。が、致命傷には、ならない。
「機械型は二つの心臓を持ってるよ!」
「わかってる!」
空護は部下からの注進に言い返しながら、法機を翻した。稲妻が雨のように降ってきたからだ。
アンズー・マキナである。
獅子の頭に鷲の体を持つ獣級幻魔は、機械化によって巨大な発電機構を備えている。
ハイパーソニック小隊が空中戦を展開する中、幸多は、機械型ガルムを一体、討伐し終えていた。
機械型ガルムとは、二度目の実戦だ。
一度目は、苦戦を強いられたが、それは闘衣だけで戦おうとしたからだ。鎧套・銃王の一部と撃式武器によって、幸多の置かれていた戦況が一変したことをいまでも覚えている。
今回は、どうか。
銃王は、半壊し、使える状態ではない。
身につけているのは、武神。
近接戦闘特化の鎧套であり、その性能は、端的にいえば、闘衣を飛躍的に向上させたものといっていいだろう。
幸多の身体能力を極限まで引き上げ、さらに高めるのが、武神の特徴なのだ。
それによって、幸多は、ガルムの中遠距離攻撃を完璧に回避しながら、自身の戦闘距離にまで持ち込むことができたのだ。
そして、圧倒した。
ガルムの猛攻をものともせずに斬魔による斬撃を叩き込んだのだ。
まさに暴風のような斬撃の前に、ガルムは瞬く間に死骸と化した。すると、周囲四方の機械型幻魔が吠え立て、魔法攻撃が幸多を襲った。
地面が凍り付き、氷塊が乱立する中を飛びながら躱し、氷塊の上に着地してはさらに飛ぶ。無数の熱光線が氷塊を溶断していけば、雷撃が雨のように降り注いだ。
フェンリル、ガルム、アンズーの機械型が入り乱れている。
『聞こえる!? 幸多ちゃん!』
「ヴェルちゃん?」
幸多は、脳内通信に驚きながらも、まず、空中のアンズーこそが厄介だと考えていた。
すると、アンズーの巨躯が、衝撃波に打ちつけられ、吹き飛ばされた。
上空で、音波空護が法機を飛ばしている。
ハイパーソニック小隊だ。
『や、やっと繋がったああああ!』
安堵しきったようなヴェルザンディの声にこそ、幸多も安心した。
「通信が出来るようになったんですね?」
『どうやらそうみたい。そっちの状況は、どう?』
「天燎鏡磨が、南雲杖長、矢井田杖長の活躍によって斃されましたが、多数の機械型が残っています」
幸多は、口早に報告しながら、フェンリル・マキナとガルム・マキナの連携攻撃を躱し続け、再び頭上を仰いだ。
そういえば、いつの間にか青空が見えていた。
遊園地全体を覆っていた雷光の結界が、消え失せていたのだ。
そして、幸多は、どくん、という音を聞いた。
「え?」
『え? なになに? どうしたの? 幸多ちゃん?』
ヴェルザンディのかしましい声が遠くに聞こえるほどに強烈な、心音。
それがどこから発せられたのか、幸多の超感覚ははっきりと掴み取っていた。
天燎鏡磨の、死骸である。




