第五百五十三話 終わりか始まりか(一)
「これはこれは、天空地明日良軍団長じゃないですか。その姿はなんです? 怪物ですか?」
明日良が、雷の結界に覆われた出雲遊園地へと接近しようとした矢先だった。
そう声をかけてきた人物がいて、それが犯罪組織〈スコル〉の頭目・長谷川天璃であるということは一瞬にして理解できた。
声に特徴があるのだ。
少年染みた声音は、柔らかく、穏やかだ。
この状況においても穏和すぎて、不気味なくらいだった。
巨大な雷球が作り出す結界の内側では、戦いが起こっている。それも激戦だ。禍御雷などと名乗る改造人間率いる幻魔の群れが暴れ回っていて、それに対して、第八軍団の導士たちが懸命に戦っているのだ。
いざというときのために、杖長《じょうyとう》二名と複数の小隊を派遣したのは間違いなく正解だったが、しかし、それでもなお戦力が不足している可能性も考えられた。
彼が選び抜いた二名の杖長、南雲火水と矢井田風土は、それぞれ双極属性を使いこなすことの出来る逸材中の逸材であり、とんでもない魔法技量の持ち主でもある。
二人が力を合わせれば、禍御雷程度に後れを取るとは思えないのだが、しかし、だからといって放っておくわけにもいかなかった。
出雲遊園地には、特異点こと皆代幸多がいるのだ。
マモンは、特異点を狙うと宣言しており、その対象がもう一人の特異点・本荘ルナではなかったということから、皆代幸多が狙われるのは明白だった。
だからこそ、皆代幸多は徹底的な監視下に置かれていて、常にその動向を把握されているのだし、彼の周囲には、常に導士の影があった。
もし万が一にもマモンの尖兵が幸多を狙って動き出すようなことがあれば、即座に対応できるように、だ。
今回も、何名もの導士が彼の周囲を監視していたはずであり、それら導士もまた、遊園地の激戦に参加しているに違いない。
戦力的には不足していないはずなのだが、どうにも、様子がおかしい。
分厚い雷光の結界の向こう側は、はっきりと見て取れるわけではないのだが、だからこそ、その状況を少しでも把握したかったし、一刻も早く、明日良は現地に向かいたかった。
長谷川天璃になど、邪魔されるわけにはいかない。
「長谷川天璃か。てめえも、悪魔に魂を売って、人間であることを止めたってわけだ。つまり、だ。〈スコル〉の崇高な理念とやらも、偉大な思想とやらも、全て塵と化したということだな」
「……いってくれるじゃないか」
天璃の秀麗な顔立ちにわずかに亀裂が走った。が、それも一瞬のことで、つぎの瞬間には冷静さを取り戻している。
「まあ、好きにいうがいいさ。結局、ぼくたちの行動を評価するのは、後世の人間だ。いまを生きている人達がどう想おうが、関係がない。遥か将来、ぼくら〈スコル〉の果たした役割の偉大さが宇宙全土に響き渡るのなら、それでいい」
「宇宙全土とは、また大きく出たな」
明日良は、天璃の目を見据えながら、吐き捨てるようにいった。
「……だれも評価しねえよ」
明日良の星神力が紡ぎ上げた四本の腕が、ゆっくりと前方に向かって伸ばされると、大気が渦を巻いた。強烈な竜巻が瞬く間に天璃の元へと殺到し、その肉体をずたずたに引き裂きながら吹き飛ばしていく。
導衣によく似た戦闘服ごと、人体を粉微塵にしていくのだが、血飛沫や臓物が飛び散っていく光景は、あまりにも嘘くさかった。幻想空間で戦っているような感覚さえ、ついて回る。
天璃の肉体に人間としての部分が多分に残っているというのに、だ。
「さすがに痛いな」
「嘘をつけよ」
「痛いよ。痛いんだよ。痛くて痛くて堪らないんだ。それでも、ぼくは、死にはしない」
「化けものが」
「そんな姿のあなたにいわれたくないな」
天璃は、竜巻によってずたずたに引き裂かれた肉体をあっという間に復元すると、頭部に輝く雷光の冠を瞬かせた。
次の瞬間、明日良が浮かんでいた空間そのものが巨大な雷球に飲み込まれている。凄まじい熱量を帯びた雷球は、大気を灼き焦がし、範囲内の全てを焼き尽くさんとした。もちろん、明日良は避けている。
明日良は、その魔法をよく知っているからこそ、回避できたのだ。
癖を、熟知している。
「姿は化け物染みていても、おれは人間だよ。人間の姿をした化け物のてめえとは違う」
「どう違うというんです?」
「根本から違うさ」
明日良は、再び冠が輝くのを見て、その瞬間には大きく飛び退いていた。冠が瞬くのと同時に生じる雷球は、先程のそれよりも遥かに巨大であり、多少飛び退いた程度では巻き込まれたこと請け合いだった。
「おれは人間で、てめえは化け物。それがこの世の道理。故に、てめえらの行動が評価される未来なんてこないんだよ」
明日良は、空中を高速で飛び回りながら、天璃を痛罵した。
明日良の得意属性は、風。飛行魔法との相性は極めてよく、さらに星象現界の発動中ということもあって、彼の飛行速度は、常人には決して捉えることのできないものであった。
だが、天璃の目は、明日良をはっきりと捕捉している。全身に猛々しい装束を纏った阿修羅の如き星将の姿は、まさに鬼神がこの世に顕現したかのようであり、見ているだけで魂が震えるようだった。
星象現界の存在が一般市民に知れ渡れば、さらに使い手たちの人気はさらに増大するだろう。
それなのに、戦団は、戦団式魔動戦技の究極奥義を秘匿したままだ。
理由は、天璃にはよくわからない。
知れ渡ったところで、誰にも再現できないはずだろうに。
なにか、後ろめたいことでもあるのではないか――天璃がそんな風に考えてしまうのは、ある意味では致し方のないことなのかもしれない。
「戦団の人間が、よくもまあ、そう言い切れたものです」
「言いきれるぜ。おれには、一切後ろめたいことがないからな!」
「あなたには、でしょう?」
「そうだな。それも否定しねえ」
明日良は、天璃がなにをいいたいのかを理解しながらも、その口車に乗らなかった。唾棄し、六つの手の中で紡ぎ上げた魔力の束を槍にして、次々と投擲する。
翡翠色の魔力の槍が、暴風を伴って天璃へと殺到する。
天璃が、冠を瞬かせる。
大雷である。
通常、大雷は、ただのありふれた攻型魔法の一種であり、発動のためには律像の形成が必須だ。しかし、星象現界・八雷神は、全九種の魔法の律像そのものを取り込み、武装顕現型の星象現界として発現している。
そのため、律像を必要とせず、特定の魔法を連発することが可能なのだ。
それはつまり、極めて強力無比な星象現界だということであり、対策を知らないものには一方的な戦い方ができるということでもある。
だが、明日良は、麒麟寺蒼秀と切磋琢磨してきた間柄だ。
星央魔導院時代から十八期の双璧と呼ばれ、悪名高い十八期の三魔女とは全く異なる評価を得ていたものである。
さらには、同時期に星象現界を発現させたということもあり、お互い、訓練相手に指名し合ってきたのだ。そして、互いの星象現界の癖、欠点を見抜くことによって、より強くなってきた。
それもこれも、戦団の、人類守護の目的のため、人類復興の大願のため、そして、互いに好敵手と認める相手を超えるため。
しかし、暴風そのものとなって天璃に殺到した魔法の槍は、次々と発生した雷球に飲まれ、消滅していく。
大雷の威力は、蒼秀のそれに比べれば遥かに低いものの、決して弱いわけではない。
擬似的にも星象現界を発現させ、星神力に近い魔素質量を持っているのだ。
弱いわけがなく、直撃を喰らえば、明日良とてどうなるものか。
(だから)
明日良は、視界を埋め尽くす雷球が消えるより早く、天璃の背後を取っていた。
明日良の飛行速度は、阿修羅発動中に限り、戦団最速に匹敵する。
「疾いな」
「当たり前だ」
告げ、明日良は、阿修羅の拳を天璃の頭に埋め込んだ。しかし、天璃は、顔面を粉砕されながらも、口を開いている。
「コード666」
爆発的な魔力の増大が、明日良を弾き飛ばした。
だが、明日良は、天璃の全身が幻魔細胞に覆われていくのを見届けることはしなかった。六本の腕を振り抜き、大気を掻き混ぜ、嵐を起こす。
天璃の周囲に出現した六本の竜巻が、天地を掻き混ぜるようにしながら収束し、一つの巨大な竜巻へと変貌していく。
それはさながら天に昇る龍のようであり、大社山の山林を薙ぎ払い、周囲の自然に大打撃を与えていく様も、天変地異そのものようだった。
しかし、それをやり過ぎなどと想う明日良ではなかった。
明日良の目は、星神力の奔流の中で変貌を遂げる天璃の姿を捉えていたのだ。