第五百五十一話 天燎鏡磨と地水火風(二)
コード666を発動した天燎鏡磨の姿は、記録映像に見た三田弘道の幻魔形態――戦団はそう呼称している――と酷似していた。
背格好にこそ差違はあるものの、大きな違いといえば、その能力の発現部位くらいしかない。
全身を幻魔細胞に覆い尽くした結果、漆黒に塗り潰され、無数の紅い光線が脈動している様は、怪物染みているというほかないだろう。
双眸に眼球はなく、眼孔から赤黒い光を漏らしているだけである。
そして、彼の場合は、背部にこそ、禍御雷としての能力が発現しているのだ。
まるで光の翼のように見えなくもない、翡翠色の光背。後光のように天燎鏡磨を輝かせているが、同時に禍々《まがまが》しく、破壊的でもあった。
天燎鏡磨の全身から満ち溢れる莫大な魔力が、そう感じさせるのかもしれない。
もっとも、それを感じているのは、風土と火水であり、完全無能者の幸多には感じ取れていない。
幸多は、禍々しく変わり果てた天燎鏡磨の姿に茫然とするような気持ちだった。
「うん……? よく見れば、南雲火水と矢井田風土じゃないかね? 九月機関出身の、双極性理論を覆した第八軍団の杖長……!」
「ご説明、どうも。天燎財団の元理事長さん」
「いやあ、有名人は大変だね。怪物にまで因縁をつけられて。きみも、気をつけなよ、皆代幸多くん」
風土は鏡磨を睨み据えながら指先で火水に指示し、火水はいわれるまでもないといわんばかりに幸多を抱え上げると、大きく鏡磨との距離を取った。
幸多は、半壊状態とは言え重武装であり、かなりの重量だったはずなのだが、火水は軽々と持ち上げて見せている。
さすがは杖長というべきか。
しかし、幸多はうろたえた。戦線から遠ざけられてしまうのではないか。
「あの、ぼくも戦います」
「まあ、そう焦らない。きみに死なれたら困るっていったばっかりでしょ」
「それは……」
「相手は、禍御雷なんて気取った名前を名乗った狂人たちだけど、その力量は本物だよ。さっきの攻撃で、きみと一緒にいた部隊がどうなったかわかってる?」
火水の声音とは比較にならないほどに冷ややかなまなざしに見つめられて、幸多は、息を呑んだ。火水が着地すると、爆音が轟く。
鏡磨の光背が放った緑の稲妻が、風土が創造した巨大な岩壁と激突したのだ。そして、岩壁が跡形も残さずに消し飛ばされたのを見て、火水が舌打ちする。
「手加減すんなよ!」
「わかってるとも」
火水に詰られ、風土は口の端を歪めた。
風土は、風属性と地属性の魔法を使いこなすことのできる唯一の魔法士だ。故に、砕け散った岩壁の破片を風の魔力で掌握すると、鋭利に研ぎ澄ませ、即座に攻撃へと転じることも用意だった。
無数の岩の槍が、四方八方から鏡磨へと殺到する。
鏡磨が、嗤った。
「九月機関が生命倫理を逸脱した結果がきみたちならば、わたしの栄光に満ちた未来を飾る緒戦の相手としては、ちょうどいい」
鏡磨の背後で雷光の翼が閃き、緑色の雷撃が迸る。周囲から集まってきた岩の槍の尽くを撃ち落とし、ついでに風土と火水、さらに数多くの導士たちを纏めて攻撃して見せたのだ。
透かさず火水が幸多を足下に投げ飛ばすと、両腕を振り上げる。紡ぎ上げていた律像を真言とともに解放し、魔法を完成させたのだ。
「水天守護陣!」
火水の防型魔法は、幸多が態勢を立て直している間にも、周囲一帯の地面に倒れ伏していた導士たちを水の球体で包み込んでいた。そこへ雷撃が衝突し、爆音をかき鳴らす。
鏡磨の攻撃の一つ一つが強力無比であることは、その余波によって地面が抉れ、周囲に破壊が巻き起こっていることからも明らかだ。
出雲遊園地が誇る多数のアトラクションを問答無用で薙ぎ倒す程度は、ある程度の魔法士ならば簡単にできるだろうが、煌光級の魔法士の防型魔法と激突した魔法の余波が、その周辺に被害をもたらす様には、誰もが慄然とするだろう。
幸多は、立ち上がり、自分だけが魔法壁に護られていないことに気づいたが、それが悪意や他意があってのことではないということはわかっていた。
幸多を魔法で護るのは、簡単なことではない。
幸多は完全無能者であり、一切の魔素を内包していないからだ。
一方、倒れ伏しているハイパーソニック小隊を始めとする第八軍団の導士たちはといえば、意識を失っているものの、魔力の塊である。直前まで戦闘状態だったのだ。全身に満ちた魔力が、その居場所を正確に伝えてくれる。
幸多は、闘衣と鎧套を纏い、さらに白式・撃式武器を手にすることで、ようやく自分の存在を魔法士たちに認識させることができるのであり、半壊状態の鎧套と闘衣では、魔素質量が足りなかったのだろう。
「転身」
幸多は、苛烈さを増す鏡磨の攻撃が風土と火水に集中し始めたのを見つめながら、闘衣を着替え直した。ずたぼろの闘衣では、まともに戦うことはできないと判断したのだ。
幸多の転身機には、このような事態に備え、複数の闘衣を設定してあるのだが、それはなにも幸多に限った話ではない。
戦団の導士たちが用いる導衣は、拡張性の高い装備である。簡易魔法を始めとして様々な変更を加えることが可能であり、任務や戦術、戦う相手に合わせて即座に導衣を切り替えることができるのだ。
それも転身機の発明が、戦団にとって大いなる革命と呼ばれる所以である。
もっとも、闘衣の場合は、最新式の闘衣を複数、転身機に設定しているだけであり、性能差はないのだが。
性能差があるのは、鎧套のほうだ。
「武神」
幸多がさらに召喚言語を発すると、半壊状態の銃王と置き換わるようにして、流線型の装甲が身を包んだ。全身が圧迫されたような感覚があるが、それは、幸多の全身を闘衣ごと完璧に覆い尽くすことによって戦闘能力を向上させるためだ。
近接戦闘に特化した鎧套である武神は、やはり、近接戦闘用の武器群である白式武器と相性が良い。
「斬魔」
そして、最後に白式武器を召喚した幸多は、右手に二十二式両刃剣・斬魔を掴み取ったときには、その場から飛び離れていた。
鏡磨の背後、後光のように展開する析雷の光が、無数の雷光を放ち続けている。
その緑の雷光を火水と風土の二人に集中しているのは、もはや、他の導士への攻撃をしている場合ではないと判断したのか、どうか。
そして、幸多を黙殺しているのは、相手にならないと考えたからなのか。
(たぶん、そうなんだろう)
幸多は、天燎鏡磨という人間のことをよくは知らないが、そのように結論づけた。
幸多が天燎鏡磨の存在を意識することになったのは、幸多が天燎高校にこそ活路を見出してからのことだった。
それまでは、天燎財団の理事長として、時折、ニュース番組などで取り上げられるのを横目に見る程度の、記憶にさえ残らないような存在でしかなかった。
実際、天燎鏡磨が財団理事長として辣腕を振るい、どれだけ財団に貢献していようが、一般市民の幸多にはほとんど関係がないのだから、仕方がない。
市民の生活に直結するのであればまだしも、そうではないのだから。
財団は、財団の利益をこそ追及するものであって、それが央都市民の生活にどれほど影響を与えるかと言えば、わからないというのが正直な所だ。
戦団や央都政庁の活動によって市民の生活が大きく改善することはあっても、企業がその利益を追求した結果として市民になんらかの恩恵がくることというのは、あまり多くはない。
絶対にないとは言いきれないし、幸多の知らないところで天燎財団の恩恵を受けている可能性も少なくはない。
とはいえ、幸多にとって、天燎鏡磨とは、その程度の人物だったのだ。
自分の人生とは一切関わることのない、無関係な赤の他人に過ぎなかった。
幸多が、天燎高校にこそ、希望を見出すまでは。
それは幸多にとって、大いなる人生の転機だった。
だから、だろう。
幸多は、荒れ狂う雷光の中にあって、妙な虚しさを感じていた。