第五百四十九話 忍者と花守(四)
田中研輔と新野辺九乃一の戦いが激化する直前、近藤悠生は、自分は単独で獅子王万里彩と戦うことになったのだと認識し、なんともいえない気分になっていた。
獅子王万里彩は、第十一軍団の軍団長であり、星将だ。
魔法の名門・獅子王家の人間である彼女は、星央魔導院時代、同じ十七期生である朱雀院火倶夜と頂点の座を競い合った間柄であるといい、いまでも自他共に認める火倶夜の好敵手だ。
あの朱雀院火倶夜の好敵手なのだ。
それだけでも圧倒される気がしたし、実際、気圧されているのを自覚する。
自分が戦闘とは無縁の人生を送ってきたということも、大いに関係しているだろうし、〈スコル〉の活動のため、計画遂行のため、戦団に関する情報を徹底的に集め、精査していたということもあるだろう。
星将の実力は、〈スコル〉の中で悠生がもっとも理解していたのだ。
もっとも、星将たちには、星象現界なる秘められた能力があるということが判明したのは、マモンから情報を与えられたからだが。
それまで、そんなものがあるなどと知る由もなかったし、そんな状態で戦団と対決しようとしていた〈スコル〉には、ある意味での無邪気さを感じざるを得なかったものだ。
なにも知らなかったのだ。
戦団が、これほどまでに強大で、凶悪無比な存在だということを認識していなかった。
いや、戦団が圧倒的な戦力を誇る組織だということはわかっていたし、戦闘集団だということも理解していた。
しかし、星象現界の存在を知っているかどうかで、その評価はがらりと変わるだろう。
星象現界の発動によって、獅子王万里彩は、大きく変わった。
その変化とは、遥かなる天より大地に降り立った女神のような外見だけを指しているわけではない。
極めて濃密で莫大な魔素質量が、その全身から満ち溢れているのがわかるのだ。
コード666を発動したいまだからこそ、強烈に、否応なく感じ取ることができる。
絶望的なまでの力の差を理解しなければならない。
あれほどの力を持つ相手をどう斃すというのか。
『そんなことは気にしなくて良いよ』
マモンの言葉が、脳裏を過る。
「ああ、そうだった」
悠生は、静かにうなずくと、右腕の能力を開放した。
土雷を発動し、巨大な雷球を生み出す。擬似星象現界ともいうべきそれは、通常ならば並外れた威力を持つ魔法なのだが、相手が本来の星象現界を発動したいまとなっては、どの程度のものなのか。
もっとも、そんなことを考える必要はないのだが。
再び、無数の蔦が津波のように襲いかかってきたものだから、悠生が土雷を前方に振り翳した。巨大な雷球がさらに肥大し、防壁として展開する。しかし、蔦の津波は、ただ真っ直ぐに突っ込んできたわけではなく、雷球の眼前で大きく展開して見せた。
四方八方に散り散りになった無数の蔦が、さらに分裂し、細分化していく。
なにが起きたのか、と、悠生が考えている暇はない。彼は、蔦が変化し続けるのを見届けるつもりなどはなく、地を蹴って、前進した。
蔦の津波は、なくなったのだ。
万里彩との間を隔てるものは、なにもない。
真っ直ぐに突っ込み、土雷を叩きつければいい。そうすれば、それなりの破壊力を発揮できるはずだ。そう、悠生は考えた。
だが、悠生のそんな考えは、万里彩には見え透いたものだった。
「遅すぎますわ」
万里彩は、その言葉をもって真言とし、魔法を発動させた。
桔梗門。
水で編まれた桔梗の花が大きく開き、防壁となって敵の攻撃を受け止める防型魔法。
悠生の果敢な突進も、意味を為さない。
土雷の雷球が桔梗門と衝突し、凄まじい魔力の爆発を引き起こす。水と雷。双極属性ではなく、属性間の強弱はない。故に、魔力が強いほうに軍配が上がる。
この場合は、万里彩の圧倒的勝利に終わることは、火を見るよりも明らかだった。
悠生にすらわかりきっていたことだ。
(届かなかったか)
悠生は、最大火力の土雷すらも魔法壁を貫けなかったことに対し、失望すらしなかった。むしろ、これくらい当然だと想わずにはいられない。
この央都を、人類の最後の砦を守護する戦団の最高戦力が、この程度の、凡人に毛が生えた程度の存在に打ち負かされては、意味がないだろう。
それならばいっそのこと、〈スコル〉に敗れてくれ、と、想わざるを得なかった。
そして、悠生は、背中に走った痛みに背後を振り返り、無数の棘が殺到してくるのを目の当たりにした。それがなんであるのか、悠生は瞬時に理解する。蔦の津波が分裂し、変化した成れの果てだろう。蔦のままでは雷球の防壁を突破できないから、さらに小さな棘となって、襲いかかってきたのだ。
それも万里彩に向かって一直線に突き進む悠生の背後から、だ。
避けようがなかった。
土雷を発動するも、土雷が落とせた棘は、その周囲の棘だけであり、数千の棘の全てを撃ち落とすには至らなかった。既に何百もの棘が彼の体中に突き刺さり、食い込んだかと想うと、花を咲かせていた。
「これは……」
「木花開耶姫は、ただ、わたくしが花で着飾るだけではありませんわ。このように、あなたの最期をも花で彩ってさしあげることだって、できますのよ」
万里彩は、全身に水の棘を浴び、さらにそこから無数の花を咲かせている最中の悠生を見下ろしながら、告げた。
星神力の棘は、相手の魔力を吸って、花を咲かせる。
悠生の全身が満開の花に覆われるということは、つまり、彼の魔力が吸い尽くされようとしているということだ。
禍御雷が、莫大な魔力を持っていることは判明している。その膨大な魔力を急速に吸い上げながら、色とりどりの花が咲き誇っていく様は、美しく、儚く、そしてこの上なく残酷だ。
その残酷な光景を見つめながら、万里彩は、悠生の右腕を踏み潰した。
禍御雷は機械型幻魔と同じだ。
人間の心臓とDEMコアを内蔵しており、両方を破壊しなければ、活動し続ける。
おそらく、首を切り離しても、関係あるまい。
脳がなくなろうとも、幻魔である以上、動き続けるのだ。
だから、心臓とDEMコアの両方を壊す必要がある。
DEMコアの位置は、禍御雷に与えられた能力に関連していることが判明している。
三田弘道は、右足に鳴雷を宿していたが、DEMコアも右足に内臓されていた。
ならば、近藤悠生は、右腕にこそDEMコアを内臓しているはずであり、実際、その通りだった。
万里彩が粉砕した悠生の右腕の中から、DEMユニットが覗いており、DEMコアもはっきりと確認できたのである。
それを星象現界でもって徹底的に破壊すれば、悠生は息絶えた。
彼の本来の心臓は、水の棘がとっくに破壊していたのだ。
悠生の死骸を埋め尽くす花の生長は、止まっている。魔力を吸い尽くしたからだ。無数の、色とりどりの花に覆われたそれは、とてもではないが、幻魔人間の死骸には見えない。
「相変わらず、この世のものとは思えないほどに美しく、残酷だね。きみの花葬は」
「九乃一様こそ、いつも通りに流麗でしたわ」
「見ている暇なんてなかったくせに、よく言うよ」
九乃一は、万里彩の軽口に言い返しながら、戦団本部の敷地内を見回した。
禍御雷によって召喚された機械型幻魔は、粗方片付いており、既に本部施設の復旧作業を始めている部隊も散見されるほどだった。
それもこれも、戦団本部にもう一人の軍団長がいたからに違いなかった。
「さすがは伊佐那軍団長だね」
「はい」
九乃一は、児雷也を未だ機械型幻魔が暴れ回っている地点に派遣しながら、その目は伊佐那美由理を追っていた。
星象現界すら使っていないのは、彼女の星象現界が並外れて負担が大きいからに違いなかったし、使うほどの状況ではなかったからだろう。
つまり、戦団本部は大打撃を受けたが、絶体絶命の窮地でもなんでもなかった、ということだ。
万里彩は、美由理が機械型幻魔を一蹴する様を一目見ると、再び、近藤悠生だったものに目を向けた。
彼はなんのために戦団本部を襲撃し、無駄に命を散らせたのか。
その意味を考えると、虚しさばかりが膨れ上がった。
 




