第五百四十八話 忍者と花守(三)
万里彩の星象現界・木花開耶姫は、武装顕現型の星象現界である。
極彩色の無数の花弁で編まれた衣は、幻想的にして神秘的というほかなく、それを身に纏う万里彩の姿は、さながら地上に降臨した女神のようだった。
花を、樹木を、大自然を司る女神。
「おおっ……」
万里主を筆頭とする獅子王万里彩親衛隊の隊員たちなどは、その神々しい姿を目にしただけで、感動の余り涙を流してしまうほどだ。
万里彩が星象現界を発動したのだ。
勝敗は決まった。
なにも恐れることはなく、万里彩を拝み続けていればいいという確信さえもある。
いや、確信などという言葉では生温い。
そんなものでは、万里彩の素晴らしさを表現することはできない。
もっと言葉が必要だ。
筆舌に尽くしがたいとはいえ――などと、万里主たちが想っている間にも、万里彩と九乃一は動き出している。
万里彩が、その花々に彩られた右足で地面を踏みしめると、星神力が波紋となって広がった。そして、波紋の中から無数の蔦が飛び出してきて、近藤悠生と田中研輔に殺到していく。
すると、近藤悠生が右手を掲げた。手の先に出現した雷球が一瞬にして巨大化し、防壁の如く展開する。殺到してきた無数の蔦を焼き払い、接近を許さない。
「こんなものか?」
とは、田中研輔。
万里彩と同じように踵を地面に叩きつけ、伏雷を発動させる。
頭上から降り注ぐ数多の稲妻が万里彩を襲ったが、万里彩には直撃することもない。万里彩の周囲には相変わらず水花護印の花弁が舞い踊っていて、雷撃を受け流していくからだ。
改造人間たちは、コード666によって大幅に強化されている。全身を幻魔細胞に覆い尽くされたことによって大量の魔力を生み出すことができるようになったからだろう。
土雷の威力も、伏雷の威力も、飛躍的に向上している。
コード666を発動する以前の土雷ならば、万里彩の攻撃を防ぐことなどできなかったはずだ。
「まさか、その程度のわけがないでしょう?」
田中研輔の背後を取って、九乃一が囁くようにいった。田中が即座に反応する。振り向き様に繰り出した蹴りは、九乃一の右腕に直撃し、閃光が生じた。伏雷。打撃とともに頭上から降り注ぐ雷の雨は、だが、九乃一には当たらない。
田中は、頭上を一瞥し、それを見た。
それが九乃一の星象現界・児雷也であることは、一目見た瞬間に理解できたが、それがどういったものなのかは、想像しようもなかった。
田中たちは、星象現界についての知識をマモンから得ている。
星象現界とは戦団式魔導戦技の最秘奥であり、魔法の極致ともいうべき技術、能力だという。
星象現界には三種の形式があり、そのひとつは、万里彩が花のドレスを纏った武装顕現型であり、もうひとつが、九乃一の星象現界・児雷也だ。
「化身具象型という奴か!」
伏雷の尽くを弾き飛ばした黒い人影を睨み、その隻眼が蒼白く輝くのを見た。人影が黒いのは、黒衣を纏っているからだ。さながら想像上の忍者のような黒装束を閃かせ、空中から田中に向かって襲いかかってくる。
一方で、地上では九乃一が田中への攻撃の手を緩めるどころか、強めるばかりだった。田中との近接戦闘を無駄と考えた九乃一は、飛び離れながら、魔法で生み出した巨大な手裏剣を田中に投げつけている。
田中は、右に飛ぶことで、地上と空中からの攻撃を回避しようとしたが、巨大手裏剣は追尾誘導型の攻型魔法であり、避けようがなかった。左足で蹴りつけ、同時に伏雷を発動させる。
稲妻の雨は、空中から襲いかかってきた化身の迎撃に使った。
だが、児雷也と名付けられた星霊は、闇そのもののような黒衣でもって稲妻の尽くを吸い込んで見せて、田中の眼前に降り立った。
手裏剣は、粉砕している。
「こんなものかな?」
「はっ……」
田中は、九乃一の意趣返しを冷ややかに嗤うと、指を鳴らした。頭上の空間が歪み、穴が空く。虚空の穴からは多数の機械型幻魔が飛び出してきて、田中を護る要塞となった。
ガルム、フェンリル、アンズーといった獣級幻魔たちの中でも頼もしいのは、上位獣級幻魔ケルベロスであろう。本来ならば三つの頭を持つ巨大な狼といった姿の獣級幻魔であるケルベロスは、マモンによる機械化によって複雑な機構を備えた機械の翼を得ており、あらゆる能力が増大しているのだ。
「また機械型の召喚か。懲りないね」
「懲りもせず支配と洗脳を続ける戦団に言えたことか」
「洗脳……洗脳かあ。確かに、そういうところはあるなあ」
九乃一は、田中の怒りに満ちた声を涼しい顔で受け流しながら、そうしている間にも彼が呼び寄せた機械型幻魔が血祭りに上げられていく様を見ていた。
九乃一の星霊・児雷也が、黒い暴風となって駆け抜ければ、それだけで機械型幻魔たちは、為す術もなく絶命し、断末魔の声を上げていくのだ。
田中は、唖然とするほかない。
呼び寄せたばかりの機械型幻魔たちが、田中の命令を受ける前に全滅してしまったのだから、そうもなろう。
もっとも頼りになると想っていたケルベロスすらも、魔晶核とDEMコアを両方とも真っ二つに断ち切られて絶命してしまった。これでは機械型幻魔にコード666を発動させることすらできない。
だが、田中は、増援が一瞬にして無に帰したことに拘泥している場合ではなかった。
黒い突風となって迫ってきた児雷也に対応しなければならない。
(見える!)
児雷也の能力は、凄まじい。あれだけの幻魔を一瞬にしてばらばらに切り刻んでしまえるほどの攻撃力と速度を持っているのだ。その速度は、しかし、田中の目で捉えられている。
児雷也は、左右の手に一本ずつ、刀のようなものを手にしていた。幻魔よりも余程禍々しい漆黒の短刀。小太刀かもしれないが、そんなことは、田中にはどうでもいいことだった。
眼前に迫った児雷也が凄まじい速度で斬りかかってくるのを飛び退いて躱し、左足で地面を叩く。伏雷を眼前に降り注がせれば、雷の雨が壁となって児雷也の進路を妨げる。
が、児雷也には、意味がない。
児雷也は、伏雷など全く意に介さないといわんばかりに突進してくると、雷の雨の中を突破し、田中に肉迫した。暴風のような斬撃が田中の肉体を切り刻む。しかし、それだけでは、勝敗は決しない。
田中の肉体は、切り裂かれた側から元通りに復元していくからだ。
「ははっ」
田中は、嗤い、児雷也の脇腹に左足を埋め込んだ。最大出力の伏雷を発動させると、無数の稲妻が瀑布のように降り注ぐ。すると、さすがに児雷也の動きを止めることが出来た。
「なんだ、最初からこうすれば良かったんじゃないか」
田中は、ようやく力の使い方を理解できたような気分になって、さらに踵を鳴らした。最大出力の伏雷を連続的に発動させ、己の周囲を雷の瀑布で飲み込んでいく。
そうすれば、何者にも自分には近づけない。
雷の要塞が完成したのだ。
「うん、最初からこうすれば良かったんだよね」
声は、田中の背後から聞こえてきた。
全周囲、あらゆる場所に降り注ぐ数多の稲妻は、十重二十重に築き上げられた防御陣となって田中を守り、近づくものを根絶やしにする、まさに攻防一体の状態だった。
なのに、九乃一の声は、背後に響き、魔力の刃が田中の左足を切り飛ばしていた。
ぐらり、と、田中の視界が変転する。こちらを見下ろす九乃一の冷徹無比な眼差しは、田中の心臓を貫くためだけに彼を見ていた。
「はは」
田中は、星将の圧倒的な力量を身を以て理解すると、己のか弱さに冷笑するほかなかった。
だが、問題はない。
これで、いい。