第五百四十四話 水界の戦姫(一)
「痺れる展開だな」
高田享平は、びしょ濡れになった状態で全身に電光を滾らせるようにしながら、いった。
「戦団最高戦力たる戦闘部の星将と、こうして手合わせ願えるなど、夢にまで見た状況だよ」
「星将と戦うのが夢? そんなもの、いくらでもできるでしょうに」
瑞葉は、高田享平の双眸からわずかに漏れる赤黒い光に幻魔を感じ取り、睨みつけた。
「そうだな。いくらでもできる。幻想空間上に再現された星将の幻想体となら、いくらでも戦える。実際、何度も戦ったよ。戦って、戦って、戦い続けて、そして、そのたびにずたぼろに敗れ去った」
「それはそれはご愁傷様」
瑞葉は、高田の話し相手をしながら、想像を巡らせる。高田がなにを考え、なにを思っているのかなどどうでもいいことだが、時間を稼げるのであれば、それに越したことはなかった。
現在、禍御雷を名乗るものたちによって、戦団の全基地が攻撃を受けているのだ。しかも、機械型幻魔が大量に出現しているという。
ここ水穂基地も、そうなる可能性がある。
だからこそ、瑞葉は、高田の気を引き、少しでもそれまでの時間を稼ぎたかった。
その間、桜音が杖長を始めとする導士たちに指示を下し、防衛態勢を整えてくれているに違いないという確信があったし、実際、その通りに動いてくれている。
であれば、瑞葉がするべきは、一刻も早く高田を斃すことだが、ずぶ濡れの高田が電流を帯びながらもどこか晴れやかに話しかけてきたものだから、ついつい会話に応じてしまっていた。
「だが、おかげでわかったよ。〈スコル〉の太陽奪還作戦なんて端から成功するわけがない、とね」
「だったらどうして、〈スコル〉になんて参加したのかしら」
「わかったときには、とっくに参加していたからさ」
高田の全身から水分が蒸発し、腹部装甲の開口部に雷光が集まり始める。
「だったら、運命に殉じるしかない。そういうもんだろう」
「今回も、そうして運命に殉じたというわけかしら」
「そういうところさ。そして、今回は、あのときとは違うということも、わかってくれたまえよ」
「わからないわ。あなたたちの計画は、結局、失敗に終わるんだもの」
「成功するさ」
「しないわ」
瑞葉が断言すると、高田が目を細めた。すると、水穂基地の上空に空間の歪みが生じた。虚空に穿たれた無数の穴から禍々《まがまが》しい気配と共に落下してくるのは、機械型幻魔ばかりだ。
ガルム、ケットシー、カーシー、アンズー、アーヴァンク――下位獣級幻魔に類別される幻魔たち、その改良型である。
大量に投下されてきた幻魔たちだったが、そのときには、水穂基地の迎撃態勢も整いつつあり、無数の魔法が、降り注ぐ機械型幻魔を迎え撃った。
上空で数多の魔法が炸裂し、爆音が雨霰と降り注ぐ。
「長話はするものではないな」
「いいのよ、いくらでも。聞いていてあげるわ。あなたが死ぬまで」
「それは遠慮しておこう。死ぬのは、あなただ。八幡瑞葉」
高田の双眸が光ったかと思えば、腹部から黒い雷光が迸った。獰猛な獣の咆哮のような轟音は、雷鳴なのだろう。
けたたましい雷鳴と共に殺到してきた雷光の奔流に対し、瑞葉は、前方に魔法壁を展開することで対処した。
「碧水壁」
巨大かつ分厚い水の壁が黒い雷光を受け止め、爆散する。雷撃が拡散し、四方八方に飛び散ったかと思うと、そのいずれもが瑞葉に襲いかかってくる。
瑞葉は飛び退きながら、高田が黒雷を連射してくるのを見た。
再び、猛獣の雄叫びのような雷鳴とともに、黒い雷光の奔流が瑞葉を襲った。
瑞葉は、またしても魔法壁を展開し、雷撃を凌いだが、同様の結果が待ち受けていた。四散した雷撃が、瑞葉に殺到してくるのだ。そのうちのいくつかが瑞葉の導衣の傷つけた。
飛散した雷撃だけでも、かなりの威力だ。
直撃を受ければ一溜まりもない。
(受けるつもりもないけど)
瑞葉は、さらに魔法壁を構築しながら、黒雷の連射から身を守った。
幸いにも、高田は、瑞葉に集中している。
この場にいるもっとも厄介な存在が、星将たる瑞葉だからだろう。瑞葉さえ斃せば、後はどうにでもなるとでも思っているのかもしれない。
だからこそ、瑞葉は、高田の猛攻を捌《sば》き続ける。時間稼ぎには、意味はない。
改造人間・禍御雷の継戦能力がとてつもないということは、既にわかりきっているのだ。
三田弘道がそうだった。
百体以上のトロールを撃破した上で、味泥中隊とやり合っている。
改造人間たちは、人間の心臓以外にも幻魔の心臓・魔晶核が取り込まれたDEMコアを持っている。それによって莫大な魔力を得ており、長時間の戦闘を可能にしているに違いなかった。
だから、敵の消耗を待つのは得策ではない。
ではなぜ、瑞葉が時間稼ぎとも取れる行動を取っているのかと言えば、星神力を練り上げていたからだ。
魔素から練成した魔力をさらに超密度に練り込むことによってのみ、星神力への昇華が起こる。昇華させるためには相応の集中力が必要であり、そのための時間が必要だった。
だが、高田は、瑞葉に攻撃を集中していて、そのための時間を稼ぐのは簡単なことではなかった。かといって、部下たちに高田の相手をさせるのは、無謀極まりない。
高田は、擬似的とはいえ、星象現界を使っているに等しい状態なのだ。
更にDEMシステム・コード666が控えている。
生半可な攻撃は、止したほうがいい。
「そうして逃げ続けるのは、あなたの戦い方ではないだろうに」
「どうしてそうと言いきれるのかしら」
「あなたと何度もやり合ったからだよ。幻想の世界で」
「あら、そう。だったらそれは、幻想の世界の出来事だったというだけのこと」
瑞葉は、魔法壁をいくつも作り上げながら、同時に星神力への昇華を行っていた。同時並行で行う作業ではないが、しかし、それくらいのことはできなければならないという確信もあった。
星将なのだ。
その程度のことも出来なくて、なにが戦団最高戦力なのか。
「現実のわたしは、無謀な戦い方をしないの。いつだって冷静沈着で、徹頭徹尾、計算ずくで行動する類の人間なのよ」
「とてもそうは思えませんが」
どこからともなく聞こえてきた桜音の声に瑞葉は苦い顔をしながら、水の壁が崩壊する瞬間を目の当たりにした。そして、そのまま黒い雷光の奔流が突っ込んでくるのも、見ている。
黒雷の威力を上げたのだろう。
だが、そのときには、瑞葉の目的も完遂していた。
つまり、星神力への昇華が完了したのだ。
すると、網膜の裏に星が煌めいた。
瑞葉の全身が熱を帯びた。莫大な力が満ち溢れ、一瞬にして律像が完成形を虚空に描き出す。複雑にして精緻な魔法の設計図。
星象現界。
だから、彼女は、真言を唱えた。
「海神三叉」
瑞葉の魂の深奥から奔流となって迸った〈星〉の煌めきは、瞬く間にその右手の先に収斂し、輝きを帯びた三叉の矛を形作っていく。
煌びやかで神々《こうごう》しい矛は、常に莫大な水気を帯びており、一振りで津波を起こした。
そう、津波だ。
どこからともなく出現した巨大な水の壁が、黒雷を飲み込み、その勢いのまま、高田へと殺到していく。水穂基地に甚大な被害が及ぶほどの攻撃だが、現実世界で星象現界を発動するとはつまり、そういうことなのだ。
星象現界に限った話ではない
強力な魔法は、その破壊力によって多大な被害を撒き散らしかねない。
幻魔災害のつぎに恐ろしいのは、幻魔討伐による二次被害、三次被害であり、それが戦団導士の魔法によるものであることは、ままあることだった。
水穂基地の一角を津波で飲み込みながら、瑞葉は、どういう表情をするべきか、考え込んでいた。