第五百三十六話 禍御雷(二)
「マガミカヅチ?」
戦団水穂基地に爆炎を撒き散らすようにして急襲してきた相手が発した言葉をそのまま反芻するようにして、八幡瑞葉は、疑問符を浮かべた。
水穂基地の敷地内に聳え立っていた兵舎が壊滅的な打撃を受けていて、炎が燃え盛り、黒煙が上がっている。兵舎で休憩していた導士たちが慌てて飛び出してきたり、消火活動や、救助活動に慌てふためいている様子を視界の片隅に収めつつも、その中心には、敵を捉えている。
八幡瑞葉は、戦団戦務局戦闘部第四軍団長である。
第四軍団は、今月、水穂市の防衛任務を担当しているのだが、月末も近づいてきたということもあって、つぎの任務地について色々と考えているところだった。
なぜかといえば、現在、第九軍団が担当している第七、第八衛星拠点がつぎの任地であることが決まっているからだ。
第七、第八衛星拠点といえば、つい先日、大空洞が発見された地域を担当している。
大空洞の調査は終わり、もはや完全に機能停止状態となっていることもあってなんの心配もいらないのだが、数千もの幻魔が目覚めのときを待っていたという話を聞くだけでも空恐ろしいものだった。
そして、第九軍団の味泥中隊が遭遇した最低最悪の事態を記録映像として確認したこともあって、自分たちがそのような目に遭う可能性を想像してしまうのだ。
悪い癖だ、と、瑞葉は思いつつも、それを直すことはできそうもなかった。
なにごとも悪い方にばかり考え込み、妄想を膨らませてしまう。
いまも、そうだ。
すぐにも消火活動が始まり、鎮火し始めた兵舎の半壊した有り様を見せつけられて、瑞葉が真っ先に思ったのは、この攻撃によって生じたであろう負傷者のことであり、犠牲者の数だ。
重軽傷者が多数出ていてもおかしくない規模の攻撃だったし、死者が出ている可能性だってあった。
大切な部下たちだ。
誰一人として失いたくなかったし、傷つけられることすら許せなかった。
部下たちを死地に赴かせることが軍団長の役目なのだとしても、だ。
「そう、禍御雷。禍を成す神の雷だ」
そのように告げてきたのは、〈スコル〉の構成員だった男だ。マモンによって連れ去られた八人の囚人の一人であり、名は高田享平だとかいったはずだ。
染め上げられた金髪が雷光を帯びて、ばちばちと輝いていた。双眸からは紅い光が漏れていて、彼が既に戦闘状態にあることは明らかだった。長身で、それなりに鍛えられた肉体を持っているようだ。その全身を導衣にも似たマモン謹製の戦闘服に包み込んでいる。
黒を基調として、ところどころに赤が入った全身服。その周囲で、雷光が爆ぜた。
猛烈な密度の魔力は、星神力に近い。
擬似星神力といっても過言ではないだろう。
「全基地同時攻撃……ね。それで、戦団の指揮系統をを混乱させようというのでしょうけれど、随分と見くびられたものね」
瑞葉は、高田享平の優男染みた顔立ちがわずかに歪むのを見た。高田の腹部に雷光が収束していく。しかし、そのときには、瑞葉の魔法が完成している。
「碧水壁」
瑞葉が掲げた手の先に莫大な水の壁が構築されると、高田の腹から放たれた黒い雷の奔流を受け止めた。凄まじい魔力と魔力の激突は、水穂基地の敷地内を震撼させ、この場に集いつつある導士たちの身も心も震わせるようだった。
黒い雷光の奔流が巨大な水の壁と衝突し、爆発を起こし続ける。
「黒雷ね」
水穂は、小さく告げると、すぐさま戦団本部や部下たちに通達した。
戦団本部からは、既に今回の攻撃に関する情報が届いている。
攻撃を受けているのは、水穂基地だけではなかったのだ。
央都四市に存在する戦団の全基地が、ほとんどの時間差もなく攻撃を受けている。
それも、禍御雷と名乗る改造人間たちによって、だ。
各基地基本一名だが、戦団本部だけは二名の禍御雷が攻撃してきたのは、それぞれの戦力配分を考えてのことだろう。
そして、本来であれば、戦団本部には、三名の改造人間を送り込むつもりだったのではないか、と、作戦司令部は考えているようだった。
水穂も、高田の黒雷をやり過ごしながら、その意見に同意する。
八人の改造人間のうち、六人は、戦団の各基地を攻撃するための戦力として用意されていたのだ。それは、戦団の各基地には、星将たちが配置されているからであり、星将を釘付けにしておきたい理由があったからに違いない。
央都四市には、六名の星将が配置されているのだが、そのうち三名が戦団本部のある葦原市を担当していた。だからこそ、八人の改造人間の内、三人が戦団本部に割り当てられるはずだったのではないか、と、考えられるのだ。
しかし、改造人間のうち、一人は、大空洞で斃されている。
残り七名を再配分する必要に迫られたマモンと禍御雷は、戦団本部への戦力を二名に絞ることにしたようだ。
二人は、ほかで必要だからだろう。
それこそ、禍御雷の、いや、マモンの真の目的である特異点との接触なのではないか。
戦団本部および作戦司令部がそのように結論づけたのは、無論のこと、出雲遊園地に改造人間が確認されているからだ。
この央都四市の各基地への攻撃は、星将を一瞬でもそれぞれの基地に釘付けにするためのものであり、その間に目的を達成しようというマモンの作戦に違いなかった。
だから、というわけではないが、瑞葉は、高田が黒い雷光を腹から吐き出し終えるのを待たなかった。水の防壁が破壊されていくのを認めながら、空中高く飛び上がれば、高田が上体を反らし、腹をこちらに向けてくる。
高田の腹部は、さながら異形の怪物の口のようになっていて、大きく開いていたのだ。そこから、どす黒く禍々しい雷光が、奔流となって放出されている。
それが黒雷なのだ。
もっとも、通常時の黒雷にあのような変貌は、ない。
麒麟寺蒼秀の星象現界・八雷神の発動時にのみ、異形の口が現れるのだ。
それは、黒雷が大幅に強化されている証でもあるのだという。
実際、蒼秀の腹の口から撃ち放たれる黒雷の威力たるや、物凄まじいものがあった。
高田の雷撃は、蒼秀のそれに遠く及ばない。
(所詮は紛い物)
瑞葉は、空中へと向けられ、殺到してきた黒雷に対し、無防備になった。だが、なんの心配もしていない。水穂基地にいるのは、瑞葉一人ではないのだ。
瑞葉率いる第四軍団の精鋭たちがそこら中に控えている。
黒い雷光の帯が瑞葉に直撃する寸前、爆散した。多重の魔法壁が瑞葉を守ったのだ。爆煙が視界を遮る中、瑞葉は、構わず両腕を振り下ろす。
「珊瑚乱雨!」
無数の魔力体を交えた集中豪雨ともいうべき現象が、高田の全身及びその周囲一帯を飲み込み、猛烈な魔力の爆発を連鎖的に引き起こした。
爆裂に次ぐ爆裂が、瑞葉の魔法の威力を物語る。
「軍団長! 御無事ですか!」
「ええ、問題ありません。さすがですね」
「これくらいは、当然です」
着地した瑞葉に駆け寄ってきて、当たり前のような顔をしたのは、河原桜音である。第四軍団の副長である彼は、常に厳粛な空気感を纏う人物であり、言動の端々にその性格の厳しさを匂わせた。
いまも、その厳しさで瑞葉を見ている。
「しかし、軍団長は危なっかしいですな。部下の対応を期待しての突撃など、決してやるべきではない」
「説教は、後にしていただけますか」
「その場で言わねば、わからぬでしょう」
「それもそうだけど」
瑞葉は、桜音の説教癖には慣れていたが、それはそれとして、いまはそのような状況ではないことくらいわかって欲しいものだと思わざるを得なかった。
珊瑚乱雨は、高田を斃していない。
珊瑚の豪雨が降り注いだ後、高田は、平然と突っ立っていたのだ。
全身がびしょ濡れになったせいだろうか、体中に電流が走っていた。
まるで感電したかのように、だ。