第五百三十四話 再び、狼煙を
「狼煙は上がったな」
天燎鏡磨は、爆炎を吐き出しながらゆっくりと倒壊していく超巨大観覧車を見下ろしながら、告げた。
彼は、既に透明化魔具スケルトンスケイルを脱いでいる。でなければまともに魔法を使うことも出来ないからだ。
そして、彼の背後には、歪な雷光の翼・析雷が浮かんでおり、そこから放たれた雷光弾が出雲遊園地の観覧車を撃ち抜いたのである。
「皮肉か?」
「揚げ足を取るんじゃない。狼煙は狼に煙と書くが、なにもきみら〈スコル〉に対し、なにか言いたいわけではないよ」
「ほらみろ」
天燎鏡磨は、長谷川天璃の鋭すぎる眼差しにやれやれと肩を竦めた。彼もまた、スケルトンスケイルを脱ぎ捨てていて、雷光の冠のようなものを発現させている。大雷である。
これだから頭ばかり回る人間は駄目なのだ、と思いつつも、鏡磨は言葉には出さなかった。
「どうとでも取れば良いさ。が、いまは、言い合っている場合ではないぞ」
「わかっている。手筈通りに」
「ああ、手筈通りに」
鏡磨と天璃はうなずき合うと、先程までの言い合いなど忘れ去ったかのような息の合った様子で、互いの使命に向かって動き出した。
鏡磨は、出雲遊園地内へと突入しながら、雷光の雨を降らせていく。雷光弾の一つ一つは小さいものの、その威力は凄まじいものであり、なにかに激突する度に爆発を起こし、火炎を撒き散らした。
先程まで興奮と熱気に包まれていた遊園地内が、急速に恐怖と絶望に満ちた混沌と化していく。
一方、天璃は、といえば、出雲遊園地全体を巨大な雷光の檻で包み込んでしまった。
「さて。どう出る? 戦団よ」
天璃は、大雷の結界に包み込んだ遊園地内で阿鼻叫喚の地獄絵図が展開する様が見れないことを惜しみつつ、別方向を見遣った。
その先には、戦団の出雲基地があり、そこには第八軍団が詰めているはずだった。
出雲遊園地で起きた大事件は、即座に戦団本部のみならず、各地の戦団基地に知らされたはずだ。
戦団は、想像を絶する情報網を持っている。その情報の収集速度、掌握力は、天璃たちにも太刀打ちできないものだった。
もっと万全を期したとしても、大敗を喫したに違いないことは、明白だ。
だからこそ、天璃は、悪魔に魂を売った。
身も心も悪魔に捧げることによって、河西健吾の理想を実現しようというのだ。
この地上を薙ぎ払い、ネノクニに太陽を届かせるという大願、悲願を成就するためならば、手段を選んでいる暇はない。
そして、天璃は、戦団の導士たちによって包囲された。
大社山近辺の駐屯所に待機していた導士たち、あるいは巡回任務中、警戒任務中だった導士たちが、魔法犯罪発生の緊急警報に従い、飛び出してきたのだ。
天璃は、導衣を着込み、法機に跨がった魔法使いたちを見回し、口の端を歪ませた。
負ける気がしない。
そして、遥か遠方で爆音が鳴り響く。
それは、戦団出雲基地を貫く雷鳴である。
導士たちが度肝を抜かれるのが見て取れたときには、彼は、雷身を発動していた。
「出雲遊園地が攻撃される可能性があるのは、わかりきっていたことだ。だから、戦力を手配していたし、杖長も配置している。なんの心配もない。が、しかし、だ」
天空地明日良は、頭上に空いた大穴を仰ぎ見ながら、眉根を寄せた。
戦団出雲基地本棟大食堂の天井に丸々と巨大な穴が出来ていて、立ちこめる爆煙と粉塵の向こう側に晴れやかな青空と、それとは対象的に禍々しい雷光が覗いていた。
そしてその彼方には、知らぬ顔の太陽が浮かんでいる。
「人様の昼飯を邪魔するたあ、良い度胸じゃねえか」
明日良は、テーブルの上の食べかけの料理の数々がもはや台無しになってしまったことを思うと、腹立たしくて仕方がなかった。出雲基地の料理人たちが丹精込めて作ってくれた料理たち。そのすべてが食べかけだったのだ。
もう、胃袋に入れることはできない。
廃棄するしかないのだ。
怒りがこみ上げるのは、当然だった。
つい今し方、出雲遊園地に魔法犯罪が発生したという急報が入ったばかりだった。食事の手を止めるべきかどうか迷ったのは、その規模によっては、明日良が手を下す必要すらなかったからだ。
被害規模が判明すると、彼は立ち上がった。
そのときには、出雲遊園地内部に待機していた戦力も、周辺に待機していた導士たちも既に動いていたことだろうし、彼が動くほどのことにはならないのではないかと思えた。
直後である。
出雲基地本棟に凄まじい衝撃が走り、震撼し、爆音が鳴り響いたのだ。
そして、頭上に大穴が開き、料理という料理が砂埃に塗れ、食べられるようなものではなくなってしまったのだ。
「食べ物は大切にしろ、と、お父さんやお母さんから教わらなかったのか? ええ?」
「怒るところ、そこですか」
「当たり前だろうが! この時代、あらゆる資源は大切にするべきなんだよ! 料理一つ、無駄にしちゃあいけねえ。そうだろうが!」
「まあ、それはそのとおりですが」
芦屋道魔は、明日良の怒りっぷりに多少の同調をしつつも、その怒りの矛先にはついていけないという気分ではあった。だが、同時に、明日良が既に凄まじい密度の律像を形成していることに気づいてもいる。
だからこそ、副官の彼は、冷静に対処することができるのだ。
「皆さん、敵襲です。落ち着いて、全力で、迎撃してください」
「敵は、蒼秀の野郎の星象現界を使う。気をつけろよ。無駄死にだけはするんじゃねえぞ」
「聞きましたね、皆さん。軍団長命令を最優先にして、行動してください」
道魔は、通信機を通して基地内にいる全導士に命令すると、明日良が床を蹴って飛び上がるのを見届けた。烈風が逆巻き、料理や食器が舞い上がったが、いずれも道魔が処理している。
飛行魔法で基地上空へと飛び上がった明日良は、出雲基地本棟が途方もない打撃を受けている様を一瞥し、すぐさま視線を敵へと定めた。
蒼空を背負い、雷光を帯びた女。その姿を一目見るだけで、明日良の脳裏にその名が浮かんだ。
「てめえは……島本香純だな。〈スコル〉の」
なぜならば、浚われた八人の囚人の中で、ただ一人女だったからだ。でなければ、顔と名前が一致するのに多少なりとも時間を要したかもしれない。
「第八軍団長様に知られているなんて、とてもとても光栄です。御存知の通り、わたし、島本香純と申します。第九軍団長様の星象現界・八雷神が火雷を預かる身」
若い女だった。腿まで届きそうな長い黒髪を風に靡かせながら、導衣のような装備を身に纏っている。瞳は深い緑。
二十代前半。
少なくとも明日良より年下だろう。もちろん、この時代、この魔法社会で外見年齢ほど宛てにならないものもないのだが、島本香純の経歴からは、彼女が年下であることが判明している。
もちろん、どうでもいいことだ。
島本香純がどのような人生を辿り、どのように〈スコル〉に縋り付き、太陽奪還計画に希望を見出したのかなど、興味もなかった。
明日良にとって重要なことは、この出雲基地襲撃が、マモンのいう特異点への接触と関係があるかどうかであり、間違いなくありそうだということだった。
でなければ、特異点のいる出雲遊園地が攻撃の対象になどならないはずだ。
「だから上にはいったんだ」
「はい?」
「皆代幸多を自由にするな、とな」
「あらあら、巨大組織というのは大変ですね」
「……まあ、大変だが、そう悪くもない」
「ふふ」
島本香純は、明日良がなにを言いたいのかを理解したのか、冷笑した。
無数の導士たちが、島本香純を取り囲んでいたのだ。
「数の上では、自分たちのほうが遥かに上だ、と言いたいのですね?」
「いいや」
「はい?」
「量より、質だ」
そう告げたときには、明日良の拳は、島本香純の腹を抉っていた。