第五百三十二話 魔暦二百二十二年八月二十五日(十九)
幸多と愛理の二人は、最難関ともいえる嵐神を突破すると、いくつかのアトラクションを巡った。
嵐神が激しすぎたということで、その次は、神の庭と名付けられた迷路型アトラクションに挑戦している。
出雲遊園地のほとんどのアトラクションの名前には、神と名付けられている。
出雲という地名と、かつてこの地に存在した国の神々が深く関わっているからであるらしい。
大社町も大社山も、出雲と関係している地名だし、天神町、地祇町も、神在町も、関係しているといえば関係しているらしい。
幸多がそんなことを頭の隅で考えたのは一瞬のことだ。
次の瞬間には、愛理に引っ張られてアトラクションの中に突入している。
神の庭は、遊園地の広大な敷地を存分に活用した迷路だ。まさに神話の時代に足を踏み入れたのではないかと思うような荘厳な雰囲気に満ちた建物であり、その中をさ迷う入場者たちとばったり遭遇しては、ちょっとした騒ぎになったりしたのは、幸多のせいに違いなかった。
サインを求められることも少なくなかったし、そのたびに応じたりした結果、迷路の突破に予想以上の時間がかかったものの、愛理は満足してくれたようだった。
「お兄ちゃんでも迷うんだね!」
「そりゃあ、別にこういうのが得意というわけじゃないし」
幸多は、愛理が自分のことをなんでも完璧にこなす超人のように認識していることに多少辟易しつつも、彼女が迷路の散策中楽しそうにしていたことを思い出しては、ほっとした。
導士は、市民への対応を求められる。
無愛想な反応でむしろ喜ばれるのは、伊佐那美由理ら星将のような極一部の導士だけだ。
幸多のような新人導士がいかに閃光級二位になったからといってふんぞり返っていては、顰蹙を買うに違いない。
もちろん、必ずしもサインや握手に応じなければならないという規則があるわけでもないのだが、戦闘部の導士は、戦団の顔でもある。
戦団の評判を下げないように振る舞いには気をつけなければならない――というようなこともまた、この度の合宿期間中に大いに学んだことであり、幸多は、さっそく実践しているというわけだ。
その実践に愛理を巻き込んでしまっていないかと気になったが、愛理は、そんな幸多の対応をしっかりと見ていて、より一層、尊敬するばかりだった。
愛理にとって、幸多こそ目指すべき導士像である。
幸多のように幻魔を対峙する一方で、一般市民に寄り添ってくれる導士こそが、愛理の理想なのだ。
だからこそ、愛理は、幸多が入場客の相手をする時間も無駄ではないと思ったし、大事だとも考えていた。
そうして、いくつかのアトラクションを巡ると、太陽が中天へと至った。
正午だ。
「お兄ちゃん、お腹空いていない? もうお昼だけど」
「空いた……かな」
幸多は、自分の腹を摩って見せた。朝食はしっかりと食べたし、ここに至るまでの運動量は大したものではない。少なくとも日常的な猛特訓に比べるまでもないものだ。
とはいえ、ただ生きているだけでエネルギーは消耗するものだし、腹は減るものだ。
「じゃあ、お昼ご飯にしよ!」
「そうだね。それがいい」
幸多は、愛理の提案に頷き、彼女の笑顔に癒やされる気分だった。
まるで太陽のようだ、と思わざるを得ない。
彼女がこれほどまでに明るい笑顔を見せてくれるようになったのは、全てが上手くいったからに違いない。
万能症候群という苦難を乗り越え、周囲の期待と重圧を跳ね飛ばして、早期入学試験に合格したからこそ、愛理は、心の底から笑っていられるのだ。
「と、いうことで」
幸多は、愛理に言われるまま、導かれるまま、遊園地内の一角にある休憩所に辿り着いた。
園内には、アトラクション以外にもグッズ売り場やら飲食店やら無数にある。昼時になれば飲食店が混雑するのは当然だったし、どこもかしこも待機列が出来ている始末だった。
園内の弁当屋が繁盛するのも当然かもしれない。とはいえ、弁当屋の前にすら人が並んでいるのだから、どれだけ入場客がいるのかと思うしかない。
そんな中、日光避けの天幕が張り巡らされた休憩所内には、飲食店周りの人混みから避難した人々が、それぞれに園内で購入したお弁当やら、持ち込んできた飲食物をテーブルの上に広げていた。
出雲遊園地は、飲食物の持ち込みが許可されている。ただし、入場時に徹底的な調査が行われることになるのだが。
飲食物に紛れて危険物が持ち込まれるようなことが万が一にもあってはならないからだったし、それくらい厳密に調査をしてくれているから、誰もが安心して入場し、アトラクションを楽しめているのだ。
「じゃーん!」
愛理は、鞄から大きな箱を取り出すと、幸多に見せつけるようにした。特殊合成樹脂製の箱は、三段になっており、銀の月の紋様がそこかしこに煌めいていた。
「師匠グッズ!」
「そうだけどそこじゃないよ、お兄ちゃん!」
「お弁当、だね!」
幸多は、愛理の反応に思わず微笑みながら、いった。
「うん! 朝早く起きて、作ったんだよ!」
「愛理ちゃんの手作り弁当?」
「えーと……その……かなりお母さんに手伝ってもらったんだけど……」
気恥ずかしそうに本当のことを告げてきた愛理が、幸多には、とても可憐に見えたし、愛おしくて堪らなくなった。
「それでも凄いよ! ここにはいくらでも食べる場所があるのにさ」
「そうだけど、絶対長いこと待たないといけないって、お母さんがいうから、だったらお弁当を持っていったほうがいいんじゃないかってなって、それで、作ることにしたの」
愛理は、幸多に説明しながら、三段の弁当箱を一段ずつ開放していった。
二人分の弁当とは思えないほどの量だが、これは、幸多のためを思ってのことだった。幸多が人より多く食べることは、愛理もよく知っているのだ。
あの花火大会の日、幸多は、とにかくよく食べていた。なにか美味しそうなものがあればすぐに買って食べるという有り様だ。それだけならばまだいいのだが、幸多は、どういうわけか一緒に行動していた人数分購入するものだから、愛理たちまで巻き込まれそうになったのだった。
さすがに幸多のそれはやり過ぎだ、ということで圭悟たちから指摘が入ったものの、幸多の尽きることのない腹には、いくらでも食べ物が入るようだった。
だから、愛理もたくさん料理を用意しなければと考え、母と相談しながら、色々と作ってきたのだ。
それが一段、二段、三段の弁当箱にたっぷりと詰め込まれている。
幸多は、愛理がきっと愛情を込めて作ってくれた弁当箱を見て、ただただ感動するのだ。
愛理がここまでしてくれた以上、幸多も、なにか彼女の思い出になることをしてあげなければならないのではないか、と、考える。
「どう……かな?」
愛理は、おずおずと、幸多の顔を見る。
自信作では、あった。
料理をするのは初めてのことではない。家ではよく母の手伝いをしていたし、友達とお菓子を作ることもよくあった。
しかし、ここまでたくさんの料理を一度にしたことはなかったし、それを全て弁当箱に詰め込んで、問題はなかっただろうか、と、いまさらのように考え込んでしまうのだ。
「凄いよ! 本当に、凄い……!」
幸多が上げた感嘆の声に、愛理は、なんだか涙が零れそうになった。幸多のそれは、心の底から発せられたものだったし、愛理の耳朶から鼓膜を貫いて、心の奥底まで届いたからだ。
「そ、そうかな……! そうだと、いいな……!」
愛理は、照れ笑いをしながら、幸多に箸を手渡し、水筒から容器にお茶を入れた。




