第五百二十六話 魔暦二百二十二年八月二十五日(十三)
「でも、それならこっちのほうが良かったんじゃない?」
「そりゃあそうだけどよー」
義一の真っ当すぎる意見には、真白も困ったような顔をして黒乃を見た。黒乃も同じような表情で真白を見ている。
「使い方わかんないし」
黒乃の言い分は、真白の言い分でもある。
三人は、いま、幻想空間の中にいた。
出雲市大社山を模した戦場であり、出雲市内のかなりの部分を支配する山脈の雄大な地形が三人の視界を埋め尽くすように広がっている。
舗装された道路といくつもの建造物が、大社山の自然の風景と決して同化することなく、その存在感を主張しており、遠方には、出雲遊園地も完璧に近く再現されていることもわかっている。
現実世界のそこに幸多がいるはずだからこそ、この戦場を選んだのではないか、と、黒乃は、推測しているのだが、どうだろうか。
この戦場を選択したのは、義一である。
そして、三人がいるのは、大社山頂野外音楽堂の真っ只中である。舞台があり、無数の観客席が周囲に並んでいる、そんな空間。
決して戦闘向きではない。が、そんなことは、幻魔には関係がなかった。
幻魔災害は、どのような場所にだって起こり得る。
なればこそ、幻想訓練の戦場は、央都四市のあらゆる場所が設定されているのだ。
「そういえば、奏恵さんもいなかったんだっけ」
「そうだよ」
「それに休養日だから伊佐那家専属の技師もいないし、だから、さ」
「朝から格闘していたわけだ」
「そういうこと」
「つまり、ぼくが声をかけなければ、一生格闘していたというわけか」
「そういうこと!」
「良かったね、ぼくが声をかけて」
「そうだな! 嬉しいよ! ありがとう! 感謝感激!」
「……本当に感謝してる?」
「してるに決まってんだろ」
真白は、義一の半眼に対し、にやりとした。
「これで、心置きなく魔法使えるからな」
「さっきまで戦々恐々だったもんね」
「おうよ! おれたちゃ生粋の魔法士だからよ、無意識に魔法を使いたくなるんだよな」
「わかるなあ、その気持ち」
義一は、真白が魔力を練成し始めたのを見て、自身も魔力の練成を行うこととした。体内の魔素を意識的に凝縮し、練り上げ、魔力を生み出す。
そうしなければ、魔法士であっても魔法を使うことは出来ない。
「体を動かすだけならともかく、戦闘訓練となるとね。どうしても、魔法を使いたくなってしまうんだよね」
だから、というわけではないが、夏合宿における肉体のみを使った戦闘訓練では、幸多に圧倒的な分があった。
「幸多くんには敵わないよね」
「まったくだぜ。あいつはばけもんだよ」
「こと、身体能力に関しては、ね」
義一は、真白と黒乃の魔力が充溢し、律像が展開する様を見るなり、すぐさまその場を飛び離れた。
「身体能力であいつに敵う奴はいねえ」
それだけは確かだ、と、真白は断言しつつ、自身と黒乃を魔法の防壁で包み込んだ。
「だから、その身一つで幻魔と戦って来られたんだもの」
「正気じゃないよ」
黒乃が会話がてらに放ってきた魔力弾を躱しながら、義一は、いった。そして、その言葉を真言として、魔法を放つ。
真言は、魔法を発動するために必要なものだが、その言葉の内容に意味はない。どのような言葉であっても構わないし、魔法に固有の名称をつける必要だって、本来ならばないのだ。
だが、多くの魔法士は、自分で編み出した魔法に固有の名称をつける。
魔法とは、想像力の具現だ。
そして、人の想像とは、考えている間に無限に変化する可能性があり、些細なことで異物が混じり、本来想定していた魔法とは異なる魔法が発動してしまったり、不発になることも、暴発することだってありうるのだ。
魔法に固有の名称を与えるのは、魔法と名称を紐付けることによって、想像を固定させ、魔法を確実に発動させるために必要な儀式のようなものなのだ。
だから、三人のように会話をしながら魔法合戦を繰り広げることができるのは、極めて優れた魔法士である証だった。
「それで閃光級二位までいったんだもの、凄いよね」
「本当にすげえよ、あいつは」
黒乃の意見に賛同しながらも、真白は、法機を召喚すると、黒乃の襟首を掴んだ。
ちなみに、幻想空間に飛び込むなり、三人とも導衣姿に変わっている。
空中に飛び上がって飛行魔法を発動させ、黒乃を後ろに乗せる。黒乃も手慣れた様子で真白の背後に立ち乗りなると、その右肩に手を置いた。
これで、二対一でありながら、一対一の形式になる――というのは、あまりにも一方的な考え方ではあるのだが。
「魔法が使えないんだぜ」
「うん、そうだね」
義一は、真白が飛ばしてきた魔法の力場を回避して見せながら、頷いた。
九十九兄弟がやけに幸多について話したがっているのが、なんとはなしに伝わってくる。
二人がなぜ、現実空間での戦闘訓練に勤しんでいたのかも、そこにこそ理由があるのではないか、と思えた。
幸多に感銘を受けたから、幸多のような身体能力を手に入れたくなったのではないか。それが無理でも、少しでも彼に近づきたくなったのかもしれない。
皆代幸多は、過去、類を見ないほどの速度で昇進している。
彼が戦団に入ったのは、今年の六月末、ちょうど二ヶ月前くらいのことだ。
それからたった二ヶ月で閃光級二位である。
それだけ活躍しているからこそだったし、実際、彼の活躍は素晴らしいとしか言い様がなかった。虚空事変、天輪スキャンダル、機械事変、スコル事件と枚挙に暇がない。
その中には九十九兄弟や義一が関わったものもあったし、彼らの活躍も一定以上の評価を受けている。
九十九兄弟、金田姉妹、菖蒲坂隆司は、ついこの間、灯光級二位に昇格し、義一は、閃光級一位に昇格した。
義一の昇格速度も決して遅いわけではない。むしろ、早いくらいなのだが、昨年、超高速で駆け抜けていった皆代統魔と比較されると、どうしても遅く感じられてしまうところがあった。
そこへ、幸多だ。
彼は、統魔以上の速度で閃光級二位にまで上がっている。
もっとも、皆代統魔は、つい先日、煌光級三位に昇級しており、彼が戦団の昇級記録を塗り替え続けていることに違いはなかった。
いくら幸多が活躍したところで、統魔のこの記録を塗り替えることは難しいだろう。
そして、そんなことのために幸多が戦っているわけではないことは、無論、九十九兄弟も義一も理解していることだ。
「おれには、全く想像がつかないんだ。生まれついたときからの魔法士で、物心ついたときには空を飛んでいたからさ」
「どこでも飛び回ってよく怒られたっけ」
「あったなあ、そんなこと」
「へえ」
義一は、空中を高速移動しながら立て続けに攻型魔法を放ってくる黒乃に意識を集中しながら、同様に高速飛行でもって回避し続けた。
黒乃の攻型魔法の破壊力は凄まじく、わずかに触れるだけで致命傷になり得るのだ。紙一重で避けるような戦い方はできなかった。
大きな動きで躱して見せなければならない。
そうすると、野外音楽堂の座席や壁に巨大な破壊が起きて、爆音とともに残骸が飛び交った。
「ぼくは……どうだったかな」
「伊佐那家の後継者様なら、それくらい余裕だったんじゃねえのか?」
「まあ、ね」
義一は、言葉を濁しながら、雷撃を放つ。
義一が得意とする攻型魔法・閃飛電は、虚空に雷光の奔流を放ち、対象へと殺到する。九十九兄弟を乗せた法機は、凄まじい空中機動によって雷撃を回避して見せたが、すぐさま転回し、拡散する閃飛電の雷光を躱すことに集中した。
魔法士の戦闘は、超高速戦闘といわれる。
飛行魔法で空中を飛び回りながら、強力無比な攻型魔法をぶつけ合うことになるからだ。
そしてそれは、傍目には、凄まじい決戦の様相を呈するのである。