第五百二十話 魔暦二百二十二年八月二十五日(七)
「皆代統魔導士に関連する記事や報道は見たかい?」
城ノ宮明臣の質問は、予想外のところから飛んできたものだから、升田春雪は、多少、戸惑いを覚えた。
今日は、日曜日だ。
が、戦団情報局に休みはなく、年中無休、二十四時間態勢で回転し続けている。
それもそのはずだ。
情報局は、戦団の根幹といっても過言ではない。
戦団は、情報こそが最大の力であることを知っていて、常に情報収集と分析や解析を怠らない。そして、それらの解析結果から未来予想をも行うのが、情報局であり、ノルン・システムだ。
そして情報の精度を上げるためには、休んでなどいられないというわけだ。
もっとも、それは情報局という部署全体の話であって、情報局で働く導士個人が休養することには問題はなかった。
むしろ、定期的な休養は、推奨されている。
魔法士とはいえ、人間である以上、疲労は蓄積し、心身ともに消耗していくものだ。そうなれば、仕事の効率は低下し、魔法を使っても誤魔化しきれなくなっていく。
適度な休養こそ能率を上げるコツなのだ、とは、城ノ宮明臣の言葉だが。
今日という日曜日を満喫している情報局員も多少なりともいるだろうし、ただただ休養に専念しているものもいるに違いない。
春雪は、昨日一昨日と二日間たっぷり休養したため、日曜日である今日、出勤してきたというわけだ。多少、疲れが残っているのは、昨日、出雲遊園地で走り回ったせいだが、そのおかげで娘が完全に元気を取り戻したので良かったとする。
「もちろん、見ましたが……本当に彼は、凄まじいというべきか、素晴らしいというべきか……」
端末を操作し、前面に展開する三枚の幻板を流れる膨大な情報を目で追いかけながら、脳を全力で回転させる。
情報局員の仕事とは、情報との戦いである。
日夜、双界を流れる莫大な情報を処理するのは、ノルン・システムの仕事であり、役目だが、そのノルン・システムが精査した結果、情報局に寄越されてくる情報に目を通すのが、情報局員の役割なのだ。
ノルン・システムは、極めて高度な人工知能と仮想人格を持ってこそいるが、機械なのだ。だからこそ、莫大極まりない情報を常時集積し、分析や解析を行うことができているのだが、最終的な判断は、人間が行うべきである、と、女神たちは考えているようだった。
機械では、人間の機微はわからない。
機械にできることは、まさに機械的に判断することだけだ。
「凄まじく、素晴らしい。彼は、まさに戦団が長らく欲して堪らなかった人材だ。彼ほどの魔法士は、過去にも、そして未来にも存在しないのではないだろうか」
明臣は、手元の端末を操作しながら、いった。
少なくとも、過去の記録と照合した結果、皆代統魔に比肩する魔法士はいないだろうと判断されている。
無論、皆代統魔は、まだまだ発展途上、未完成極まりない状態であり、その状態と、完成形の魔法士を比較すれば、完成形の魔法士に軍配が上がることはわかりきっている。
皆代統魔の将来性を加味した結果で比較した場合の話である。
「三種統合型の星象現界の使い手が現れるなど、だれも想像できなかったはずだよ」
「できるわけがないでしょう。常識外れにもほどがある」
「まったくだ」
明臣は、春雪の意見を否定しなかった。
確かに彼の言うとおりだ。
皆代統魔は、大空洞調査任務中、星象現界を発動した。それも武装顕現型、化身具象型、空間展開型の三形式の星象現界を同時に発現させたのだ。
それは、星象現界が発見され、技術として確立されてからというもの、誰一人として成し遂げられなかった偉業といっていい。
そして、三田弘道と四千体もの幻魔の大半を撃滅したという事実は、彼を一足飛びに煌光級に昇進させるのを当然のものとした。
ただし。
「しかし、彼の本当の活躍は、央都市民の誰も知らない。知っているのは、戦団の人間だけだというのは、なんとも虚しいものだとは、想わないかな」
「……それは――」
春雪は、思わず鍵盤を叩く指を止めてしまったが、すぐさま作業を再開した。幻板を流れる莫大な情報の海の中から、違和感を覚えた単語、文字列を引き上げ、精査するという作業。それによって双界の秩序が保たれているのだから、重要な仕事ではある。
「真実は、隠される。だが、これは、必要な処置だ。皆代統魔が星象現界を発動したダンジョン・大空洞が、幻魔の大量生産工場だったなどと知れ渡れば、それだけで大騒動になるのは目に見えている。央都市民の心情を思えば、隠匿しておくに越したことはない。真実を知った結果、絶望的な気分になるよりは虚偽と欺瞞に満ちた平穏のほうが余程いい」
「なんだか棘のある言い方をしますね」
「そう聞こえてしまったのなら、申し訳ないが……まあ、一般論だよ。わたしとて、知りたくなかったさ」
「……ですね」
明臣が少しばかり肩を落としたので、春雪も同意するほかなかった。
サナトス機関なる幻魔の組織が存在し、それらが妖級以下の幻魔を大量生産していたという事実に直面したのだ。その衝撃たるや、戦団そのものを大きく揺るがしたものだった。
魔天創世以来、幻魔が一向に減らない理由が、そこに明確に存在したのだ。
絶望的としか、言い様がない。
「だが、きみは知るべきだ。十六年前の今日、ここでなにがあったのか」
「十六年前の……今日?」
春雪は、明臣の目を見た。
普段、飄々《ひょうひょう》としてつかみ所のない男の目は、真っ直ぐに彼を見据えていた。
空を、仰ぎ見ている。
雲一つ見当たらない空は、透明な青さで煌めいているようだった。太陽は燦然と輝き、眩いばかりの光を降り注がせている。
夏。
真夏も過ぎ去り、八月も終わろうとしているにも関わらず、暑さは衰えを知らないようだった。吹き抜ける風は、相変わらず熱気を帯びていて、頬を撫でて汗を流させた。
未来河の河川敷。
夏休み最後の日曜日だからなのか、人気はなく、だからこそ、彼女は、一目を気にする必要がなかった。
伊佐那美由理は、ただ一人、河川敷に設置された長椅子に腰掛けていた。私服だが、特に変装などはしておらず、市民には一瞬で気づかれた。
が、ほとんど多くの市民は、美由理に大声で声援を送ってくるようなことがない。
氷の女帝の異名を持つ伊佐那美由理には、愛想良く振る舞ってくれることを期待してはいけない、などという暗黙の了解が、市民の間にあるらしい。
だから、声をかけるにしても、返事を期待しないものばかりだった。遠方から撮影してくることもあったが、それも、他の導士に比べれば少ないほうだろう。
「人徳、という奴かしら」
「どうでしょう。ただ、近寄りがたいだけでは?」
「それもあるでしょうけれど……でも、あなた、とんでもなく人気者よ」
「それは……まあ、否定しませんが」
そこまでいってから、美由理は、背後を振り返った。私服姿の伊佐那麒麟が真後ろに立っていて、美由理の眼差しを受けると、微笑した。そして、軽い身のこなしで長椅子の背もたれを飛び越え、美由理の隣に腰掛ける。
麒麟のそういう軽々しさは、戦団の重鎮とは思えないほどのものだが、美由理のような伊佐那家の人間には慣れ親しんだ姿ではあった。
驚きはない。
麒麟も、私服である。伊佐那家の紋章が入った服装は、自分が伊佐那家の人間であることを強く主張しているが、それによって人集りができることはほとんどなかった。
伊佐那麒麟が相手では、畏れ多いからだ。
だからこそ、二人きりになれている。
「十六年ぶりね」
「はい」
美由理は、深く、頷く。
「十六年前の今日、あなたはここに現れた」
麒麟は、昨日のことのようにいった。