第五百十九話 魔暦二百二十二年八月二十五日(六)
「相変わらず、すんげー人混みだな」
「夏休みだからね」
「しかも、最後の日曜日ときたもんだ」
「そりゃあ、まあ、客も多くなるか」
などと、ハイパーソニック小隊の面々が話し合っているのは、大社山中腹に広がる出雲遊園地の広大な敷地内でのことだった。
ハイパーソニック小隊は、戦団戦務局戦闘部第八軍団に所属する導士たちによって編成された小隊であり、輝光級二位の導士・音波空護を隊長とする。
隊員は、隊長音波空護を筆頭に、国玉万葉、倉石哲治、高徳真也の四名である。
そんなハイパーソニック小隊がなぜ、出雲遊園地にいるのかといえば、もちろんのこと、任務を全うするためだ。
この八月、出雲市の防衛任務を担当しているのは、第八軍団なのだ。
防衛任務。
通常任務ともいう。
担当する都市の防衛を一手に担うという、央都の秩序、平穏の維持において、極めて重要な役目である。
防衛任務には、いくつかの種類がある。
市内を巡回し、幻魔災害が発生次第対応する巡回任務。
市内各所の駐屯所や待機所に留まり、担当地区内で幻魔災害等が発生次第に対応する待機任務。地下鉄道網や大地下道の警備も、これに当たる。
そして、今日の出雲遊園地のように人出が予想される場所の警備を任されるような任務は、派遣任務などと呼ばれたりする。
つまり、ハイパーソニック小隊は、夏休み最後の日曜日を当て込んだ央都市民によって凄まじい人混みとなるであろう出雲遊園地への派遣任務が与えられたというわけである。
もっとも、この広大な遊園地をたった四人で対応しきれるはずもなく、ほかにも二つの小隊が遊園地の別方面を担当している上、杖長も二名、派遣されていた。
ハイパーソニック小隊は、出雲遊園地の正面玄関付近の塔の上に腰を落ち着けており、優美な門を潜り抜ける人波の多さに気圧されたりしている最中である。
どこを見ても、人、人、人、だ。
駐車場に停まった市営直通バスから吐き出される大量の人々は、一切迷うことなく正面玄関へと足を向け、正門を潜り抜けていく。
何千人では足りないだろう。
「今日だけで何万人来るんだろうな?」
空護がなんの気なしにつぶやくと、隊員たちも考え込んだ。
「さすがに十万はいかないよね?」
「それはねえよ」
「人口の十分の一だもんな」
「仮に五万人来たとしても、とんでもないんだが」
「まあ、ネノクニからの観光客も来るだろうし」
「あっちは、八月いっぱいの夏休みなんてないんだろう? それでも来るんだな」
「浮かれてるのさ」
空護は、部下たちの会話に混ざりながら、眼下を見下ろしている。
ハイパーソニック小隊が待機している塔もまた、この出雲遊園地に関連する建造物の一つだ。
出雲遊園地は、葦原市と同じ建築基準が定められている出雲市内にありながら、唯一、例外的処置が取られている。
つまり、園内には高度十メートル以上の建造物が存在しているということであり、四人がいる塔も十メートルを優に超える高さを誇っていた。
故に、待機場所として機能すると考え、この場所を起点として警戒に当たることとしたのだ。
無論、一カ所に留まり続けるのはよくないことではある。
これだけの人出だ。
幻魔災害が発生した瞬間、一刻も早く対応しなければ、被害が拡大する一方になる。
そのため、空護は、時折、隊員たちと分散して、周囲の警戒に当たる算段を立てていた。
それまでは、この壮麗な塔の上から、途切れることなく続く入園者の人波の凄まじさを見ているつもりなのである。
幻魔災害の警戒だけでなく、魔法犯罪をも警戒しなければならないのだから、人波を監視するのは理に適っている。
無論、遊園地側の警備員も数多と配置されていて、そこら中にいるのだが、やはりこういうときに頼りになるのは、魔法の行使に制限がない戦団の導士なのだ。
警備員も生粋の魔法士だ。しかも、このような遊園地の警備員になるのだから、それなりの訓練を受けていて、それなり以上の魔法技量の持ち主ばかりだろう。だが、行使できる魔法に制限がある以上、凶悪な魔法犯罪者には対応できない場合がある。
幻魔災害など、尚更だ。
だからこそ、導士の協力が必要不可欠なのだし、戦団こそが央都の秩序の根幹を成しているというのは、そういう理屈もあった。
もし仮に戦団の導士以外の魔法士が制限なく魔法を使うことが許されれば、それだけで治安は悪化し、秩序が崩壊しかねない。
今はまだ、戦団が圧倒的な戦力を誇っているからどうとでもなるかもしれないが、一般市民が、魔法士たちが、競い合うように魔法技量を鍛え上げ始めれば、それだけで戦団の優位性は失われていくだろう。
「ん……? あれは……」
ふと、空護は、出雲遊園地の正面玄関を目前に立ち止まった二人組に目を留めた。周囲から浮いているように見えたのは、同じバスから降りてきたのだろう大量の市民が、その二人を避けるようにして入場口に向かっているからだ。
その二人組とは、少年と少女である。どこにでもいそうな兄妹といった様子の二人は、この人混みではぐれないようにであろう、しっかりと手を握り締めていた。
「あれってさ、皆代幸多じゃない?」
「まさか」
「確かに似ているが……」
「あー……幸多くんか」
空護は、少女から少年に視線を移しながら、静かに納得した。確かに、帽子を軽く被っているのは皆代幸多の顔だ。なにやら正面玄関の巨大さに圧倒されているような顔をしている。間の抜けた表情だ。
皆代幸多といえば、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの新人導士である。
つい二ヶ月前に戦団に入ったばかりだというのに、もう閃光級二位にまで昇格したことは、戦団内部のみならず、双界全土を沸き立たせた。
あの皆代統魔をも超える速度で昇進しているのだ。
戦団史上最速の昇進速度であり、それはつまり、彼がそれだけ活躍しているということにほかならない。
「あのときの無謀な少年がいまや戦団の顔とは、恐れ入るよ」
「本当、信じられないよね」
「まったく」
隊員たちが口々にいうのもわからなくはない。
ハイパーソニック小隊は、入団前の一般市民の頃の皆代幸多と会ったことがあった。彼は、魔法不能者だというのに獣級幻魔ガルムに立ち向かい、傷だらけになりながら格闘していたというのだ。
その際、ガルムを斃したのは、伊佐那美由理である。美由理の到着が数秒でも遅れていれば、空護たちがガルムを撃破したことは間違いなく、故に、美由理に厳重に抗議したものである。
それも、いまや遠い昔の話のように思えてくる。
あれから四ヶ月ほどしか経過していないというのに、だ。
「幸多くんは、確か、合宿中だったよな?」
「夏合宿組は、日曜日は休養日だそうです」
「そうか。それで……」
「ああっ!」
「なんだよ、いきなり大声出して」
「あの子、どっかで見たことあると思ったら、あの子だよ! あの子!」
そういって少女のほうを指さしたのは、国玉万葉である。興奮気味の部下に多少、気圧されるような気分になりながら、空護も少女を見た。確かに、見覚えがあった気がしたのだ。だから、少年よりも少女に気を取られたというのもある。
「砂部愛理ちゃんだよ! 早期入学試験歴代トップの!」
「あー……軍団長がなんとしてでも欲しがってる人材か」
「皆代統魔を第九軍団に取られたから、躍起になってるんだってね」
「まあ、躍起になったところで、どうなるわけじゃないけど」
皆代幸多と手を繋いでいる少女、砂部愛理は、いまや、戦闘部の人間で知らないものはいないくらいに有名になっていた。
それもそのはずだ。
あの難関中の難関である、星央魔導院の早期入学試験を歴代最高得点で合格したというのだ。実技、座学、面接、全てにおいて最高得点を叩き出し、その魔法技量たるや将来有望極まりないと、試験官の誰もが賞賛していたという。
また、実技の記録映像を見た軍団長たちも、いますぐにでも軍団に引き入れたいというほどだった。
しかし、そんな軍団長たちにとって、ただひとつだけ、難点があった。
「砂部愛理は、皆代幸多の弟子、なんだったな」
空護は、信じられないという気持ちで、二人がようやく歩き出す様を見ていた。
頭上は、晴れ渡っている。
雲一つ見当たらない蒼穹からは、燦々《さんさん》たる太陽光線が降り注いでいて、今日という一日を祝福しているかのようだった。