第五百十八話 魔暦二百二十二年八月二十五日(五)
出雲遊園地直行バスは、当然のように迷うことなく目的地に到着した。
神在駅を南下すれば、やがて大社山の山道へと至る。山道もまた、央都の都市開発規準に則った道幅の広さであり、四台の市営バスが仮に横に並んだとしてもなんの問題もなさそうだった。
それもこれも、幻魔災害対策であり、山道であっても、遊園地であっても、幻魔災害が発生することを思い知らせるようだった。
いや、むしろ、遊園地のような人の集まるような場所のほうが、幻魔災害は起きやすいと考えるべきかもしれない。
幻魔災害は、最近でこそ、人為的――というのもどうかと思うが――に引き起こされていることが少なくないが、基本的には、市民がなんらかの理由で死亡することが原因である。
央都市民、ネノクニ市民は、そのほとんど大半が魔法士である。魔法士としての才能を生まれ持ち、開花させてきた生粋の魔法士たち。その死によって生じる莫大な魔力が苗床となって、幻魔は誕生する。
そして、幻魔災害が引き起こされるのだ。
だからこそ、人が多く集まる場所ほど、幻魔災害が起きやすいといえるのだが、しかしながら、そう簡単に起きるものでもないのが普通なのだ。
最近は、異様なほどの頻度で幻魔災害が起きているが、それもこれも、サタン一派の暗躍によるところが大きく、自然発生的な幻魔災害はほとんど記録されていなかったりする。
サタンが手引きしたことによってこそ、大量の幻魔災害が発生しているのだ。
そのことを踏まえれば、央都四市のどこにも安全な場所などないのだろうと想わざるを得ないし、一刻も早くサタン一派を殲滅しなければ、央都に安息の日々は訪れないのだろうと確信するのだ。
無数の木々に彩られた山道を進むバスの車窓からは、日光を浴びて輝く自然の美しさを堪能できるのだが、愛理は、いまも携帯端末と熾烈な戦いを繰り広げているようだった。
そこまで悩まなくてもいいのに、などと、幸多はにはいえない。そんな迂闊なことをいえば、愛理が哀しむのではないかと思えたからだ。
ふと、窓の外を見ると、青空の中、法器に跨がる人々を発見した。見る限り一般市民である。進路から、遊園地に向かっていることは明らかだ。
バスに乗って行くよりも、空を飛んでいった方が早いし、気軽だ、ということからそうしているのかもしれない。
魔法社会だ。
誰もが手足を動かすのと同じような感覚で魔法を使うものであり、魔法を使ったほうが楽な場合は、誰だってそうするだろう。
それでもバスを利用する市民も少なくないのは、魔法を使うには魔力を消耗するからであり、遊園地を満喫するのであれば、遊園地に辿り着くまでに無駄な消耗を避けたいからに違いなかった。
短距離の飛行魔法程度ならば、大した消耗もないだろうが。
愛理が駅前広場まで空を飛んできたようなものだ。
駅前広場から出雲遊園地までの直線距離は、大したものではない。バスに乗るよりも短時間で辿り着けること間違いなかった。
(それもあるか)
幸多は、上空を飛んでいく魔法士一行を見遣りながら、色々考えるものだと想った。
夏休み最後の日曜日、出雲遊園地は、それこそ央都四市のみならず、ネノクニからの観光客も訪れることになるだろうし、凄まじい人混みになることは想像に難くなかった。
朝のニュース番組でも、開演前から長蛇の列が出来ているというほどだった。
央都最大の遊園地だ。夏休み最後の想い出作りには持って来い、というのが、央都市民の一般的な感覚であり、家族連れや恋人たち、学生たちがこぞって集まるのだろう。
そこに最近ではネノクニ市民が加わっており、毎年この時期になると、出雲遊園地は満員御礼状態が続いているという。
平日ですら満員だという話だが、日曜日となれば、それはもうものすごいものなのだろう。
幸多には、想像も付かない。
不意に、愛理が幸多に目を向けた。携帯端末を鞄に仕舞い込む様子を見れば、考えが纏まったようだった。
「そういえば、お兄ちゃんは出雲遊園地に行ったことあるの?」
「あるよ。ずっと小さい頃にね」
「小さい頃かあ……わたしより?」
「うん。愛理ちゃんよりもずっと小さくて……統魔ともよく喧嘩していたな」
「統魔様と?」
幸多は、愛理が目を丸くして驚いたことよりも、統魔に対して様づけをすることにこそ、微笑んだ。
ある程度有名で優秀な導士に対し、様付けで呼ぶことは、央都市民ならば一般的な反応である。
幸多ですら、幸多様などと呼ばれることがあるくらいだ。
統魔ほどの才能溢れる導士ならば、誰もが様付けで呼んだとしてもおかしくはなかったし、当たり前のように思えた。
「うん、統魔とね。よく喧嘩してたんだよ。本当に小さい頃はさ。まあ、今でも、たまにはするかな」
「お兄ちゃんと統魔様が喧嘩……想像つかないなあ」
「そう?」
「うん。だってお兄ちゃんがだれかと喧嘩するなんて思えないし」
それが愛理の実感だった。
愛理にとって幸多は、全知全能にして完全無欠の超人に等しい存在だ。愛理をあらゆる苦悩から救い、解放してくれた最強の魔法使いであり、ヒーローなのだ。
いつも優しく笑いかけてくれて、どんな疑問にも答えてくれる。わからないことには一緒に考えてくれるし、手を握れば、握り返してくれる。
優しくて、温かい手。
夏の暑さも忘れてしまうくらいに、ずっと握っていられる。
そんな幸多が、誰かと口論したり、ぶつかり合うような場面を想像できなかったし、その相手が統魔となれば尚更だ。それが小さい頃、子供の頃であったとしても、だ。
「喧嘩は、よくしたよ」
「そうなんだ?」
愛理は、ますます驚き、幸多の顔を覗き込んだ。彼の笑顔は、愛理にとっては太陽のようだ。それも真夏の太陽ではない。春の日差しのように、決して激しくはなく、柔らかく全てを包み込んでくれるようだった。
だから、見惚れてしまうし、ずっと見ていたいと想ってしまうのだが。
「ぼくは魔法不能者だからね。よくどうでもいいことで馬鹿にされたり、見下されたし、笑われたりしたもんさ」
「お兄ちゃん……」
「でも……そうだな。そういうときは無視するようにいわれてたし、我慢してたな」
幸多は、子供のころの記憶を手繰り寄せるようにしながら、述懐する。
「そうだ。喧嘩っ早かったのは、統魔だ。統魔がいつも率先して喧嘩をふっかけて、問題をややこしくしてたんだった。そうだよ、そうだった」
幸多の脳裏には、小学校の教室で暴れ回っては教師に嘆かれる統魔の姿が過っていた。幸多が魔法不能者というだけで馬鹿にされると、それだけで、統魔は怒り狂ったのだ。
幸多を馬鹿にすると統魔の怒りを買う。
そんな評判が学校中に知れ渡るまで時間はかからなかったが、だからといって、幸多に対する扱いが大きく変わるには多少の時間を要したものだ。
この魔法を根幹と成す現代社会において、魔法不能者に対する差別を根絶することは難しい。
ある程度成熟した人々ならば、差別的な意識を限りなく抑えることもできるのだろうが、幸多がそういう目に遭ったのは、子供のころが大半だ。
まだ、不能者差別が悪いことだと学んでもいなければ、想ったこと、感じたことを素直に言葉や態度に現してしまう子供たちには、幸多の存在は奇異に映っただろうし、故に、そのような言動を行ってしまうのも無理からぬことだ。
そして、統魔の自制が効かなかったのも、子供であるが故だったに違いない。
そんなことを思い出している間に車内アナウンスがあり、出雲遊園地の広大な空間がバスの中からでもはっきりと見えてきた。
「わあ……!」
愛理が想わず声を上げたのを聞いて、幸多は、それだけで嬉しくなったものだ。