第五百十四話 魔暦二百二十二年八月二十五日(一)
今日は、八月二十五日で、日曜日だ。
日曜日といえば、夏合宿の休養日であり、その一日はなにをしてもいいとされている。無論、常識の範囲内で、だ。犯罪行為が許されるはずもなければ、町中で強力な攻型魔法をぶっ放していいわけでもない。
ただの休日。
されど、休日。
日夜、猛特訓に明け暮れている合宿参加者たちにとっては、週に一度の休日ほど嬉しいものはなかったし、だからこそ、朝から広間に集まってニュース番組を見ていたのだろう。そして、ああでもない、こうでもないと他愛のない言い合いをしていたに違いない。
幸多は、他のみんなより遅れて目覚めたが、昨夜遅くまで統魔や奏恵とやり取りをしていたからにほかならない。
それは、統魔が、ダンジョン攻略任務を終えてからというもの、四日間もの間眠り続けていたということも大きい。
大空洞と名付けられたダンジョン攻略任務は、第九軍団の杖長筆頭・味泥朝彦を隊長とする中隊編成で行われた。合計三名の杖長の小隊に、皆代小隊が加わる形で構成された中隊。
当初の情報だけならば、大空洞調査任務は、呆気なく終わるはずだった。
大空洞内には、三十体以上のトロールが徘徊していたという話であり、それらの討伐のためにこそ、中隊が編成されたのだ。
しかし、大空洞に待ち受けていたのは、トロールだけではなかった。
〈スコル〉の構成員であった三田弘道が、〈七悪〉の一体、〈強欲〉のマモンの手先として現れたのだという。そして、恐るべき事に、三田弘道は、マモンの手によって改造されており、特別製の生体義肢の力でもって中隊を圧倒したのだ。
その生体義肢には、星将・麒麟寺蒼秀の星象現界・八雷神の一部が再現され、内包されていた。そして、三田弘道は、麒麟寺蒼秀の雷魔法・鳴雷を使ったのだ。
それ自体驚くべきことであり、恐ろしいことなのだが、いまは、いい。
幸多や奏恵にとって大切なことは、統魔が無事に生還したという事実だ。
大空洞内で起きた出来事について、幸多は、既に戦団本部からの報せでつぶさに知っている。大空洞内部が幻魔の製造工場となっており、サナトス機関なる幻魔の組織、勢力が運営していたらしいということも、把握している。
そして、大空洞で製造されていた四千体もの幻魔が、味泥中隊に襲いかかったという、絶望的な事実も、だ。
味泥中隊が誰一人欠けることなく生還することができたのは、取りも直さず、統魔が星象現界を発動することができたからだ。
そして、統魔の星象現界が三種統合型という規格外の星象現界であり、圧倒的な数の幻魔をものともせず、一蹴し、殲滅し尽くすことが出来たからにほかならない。
統魔が煌光級に昇級するのは、当然の大活躍を果たした、ということだ。
だが、皆代家の人間にとって重要なのは、そこではない。いや、そこも大事なのだが、それ以上に統魔の生存のほうが大事だったし、彼が長い間眠り続けていることが心配だった。
しかも、衛星拠点である。
いかに奏恵が親とはいえ、衛星拠点まで出向くことなど許されるわけもなかった。だから、奏恵は、統魔が一刻も早く目覚めてくれることを祈るしかなく、そんな母親の姿に幸多は胸が痛む思いだった。
ようやく統魔が目を覚ましたことが知らされると、幸多も奏恵も心底喜んだし、統魔からの通話には、二人で対応したものだった。統魔が驚くほどに元気な二人の声は、それだけ彼のことを心配していたからにほかならない。
幸多は、自分がしばらく意識不明の重体だったときも、同様に心配をかけたのだろう、と、思い返したりもした。
統魔と様々に話し合い、その中で、彼が煌光級三位に昇格したという話が飛び出してきたものだから、幸多も奏恵も驚きつつも、それくらい当然の大活躍だったのだと思い直したものである。
四千体もの大量の幻魔を殲滅することができたのは、統魔のおかげである――とは、味泥朝彦ら杖長全員が何度となく言っていることだったし、記録映像を見れば、その通りだと疑うべくもなかった。
統魔の星象現界の凄まじさには、幸多も、ただただ圧倒されたものだ。
そもそも、記録映像を閲覧した瞬間に気圧されたのだ。
圧倒的物量を誇る幻魔の大群は、画面を覆い尽くすほどであり、味泥中隊の姿を確認するのも困難なほどだった。
そんな中、星象現界を発動させた統魔の神々しさたるや、幸多は、まるで別人を見ているような感覚に陥ったものだ。
武装顕現型、化身具象型、空間展開型という三形式の星象現界を同時併用する統魔の姿は、規格外というほかなく、彼が天才中の天才と呼ばれる所以が現れていた。
そんな統魔の活躍と、それに相応しい昇格には、幸多自身、なんだか大きな力をもらったような気分だった。
無論、幸多が統魔のような活躍ができるとは、思わない。
幸多は、統魔ではない。
統魔には統魔にしかできないことがあるように、幸多にもきっと、幸多にしかできないことがあるに違いないのだ。
そう信じなければ、やっていけないという気持ちもある。
「愛理ちゃんのこと、ちゃんと守ってあげなさいよ」
奏恵が声をかけてきたのは、幸多が食事を終え、着替えを済ませた後のことだった。いま幸多が着ている服装を選んだのが、奏恵である。
「わかってるよ」
とはいいつつも、そんなことにはならないだろう、とも思う。
無論、母がいうのは、幸多が脳裏に過らせたような物騒なことではないのだろうが。
今日は、愛理と遊びに行くことになっていた。
愛理が、星央魔導院の早期入学試験を合格したと報告してきたとき、一つ、幸多にお願い事をしてきたのだ。
それが、一度で良いから、二人だけで何処かに遊びに行きたい、という可愛らしいものであり、幸多は、一も二もなく了承した。
愛理は、幸多の返事に大喜びだったようであり、その日の夜は中々寝付けなかったと、翌日に連絡があった。それから、どこに行くのかと悩みに悩んだ末、遊園地に行くことに決めている。
出雲市大社山には、山頂の野外音楽堂以外にも様々な施設がある。
その一つが、出雲遊園地だ。
央都四市に数ある娯楽施設の中でももっとも規模の大きな遊園地であり、広大な敷地内には様々なアトラクションや催し物があるため、一日中歩き回っても遊び足りないと言わしめるほどだ。
今日は、夏休み最後の日曜日。
きっと混んでいるに違いないが、だからこそ、幸多は、奏恵に先程のようなことをいわれたのだと思い返した。
迷子になったりしないように、細心の注意を払うべきだ。
幸多は、奏恵に確認してもらいながら準備を整えると、予定より早く、伊佐那家本邸を出た。家を出るとき、金田姉妹や九十九兄弟が手を振ってくれたので、手を振り返した。
魔暦二百二十二年八月二十五日。
午前八時三十分頃。
天気は、晴れ。
雲一つ見当たらない快晴ぶりであり、どこまでも突き抜けるような青空が、夏の気温の高さを忘れさせるような爽やかさを感じさせた。
風も爽やかだ。
まるで世界が愛理の合格を祝ってくれているような感覚さえあった。
きっと、気のせいなどではあるまい――と、幸多は、思う。
愛理は、才能に溢れた魔法士だ。そのことは、彼女が早期入学試験を史上最高点で合格したことからもわかるというものだろう。
万能症候群が完治していないにも関わらず、実技においても最高得点を叩き出しているというのだ。それは即ち、魔法の制御が暴発しても、瞬時に、それとわからないように制御し直す事ができていたということではないか。
そして、それほどの魔法技量の持ち主は、戦団にもそうはいないのではないか、と、幸多は勝手に思うのだ。
愛理は、万能症候群を克服するために特別な訓練をしてきた。その結果、誰にも真似の出来ないような魔法技量を身につけてしまったのではないか。
そんなことを考えながら待ち合わせ場所に多度膣いた幸多は、携帯端末を見た。
時刻は、予定よりも二十分以上早い。
待ち合わせ場所は、中津区旭町桜台駅の駅前広場である。
愛理からしばらく前に出発したという伝言が届いていたため、幸多は、到着したと返信しておいた。
すると、
「うわわわわああああああああああ――」
聞き知った悲鳴が遥か頭上から聞こえてきたため、幸多は、透かさず闘衣を身に纏い、地を蹴った。遥か頭上に飛び上がって、法機と共に落下してきた少女を抱き留める。
「お、おはよおおお!?」
「おはよう、愛理ちゃん。今日も元気だね」
「げ、元気だけが取り柄だからね!?」
愛理は、幸多の腕の中で、素っ頓狂な声を上げた。