第五百十二話 煌光級(二)
幸多は、伊佐那家本邸の彼に与えられた部屋で目を覚ました。
夢を見た気がするが、どんな夢だったのか、思い出すこともままならない。思い出さないということは、大した夢ではないのだろう。夢の大半がそうであるように、覚醒の瞬間、記憶の奥底に沈み込んでいったのだ。
ふとした瞬間に思い出すこともあれば、一生、思い出さないような夢もあるに違いない。
どうでもいいことではある。
しかし、どうでもよくなさそうなことが幸多の意識をざわめかせていた。なにやら、階下から騒がしい声が聞こえてくるのだ。真白やら金田姉妹やらの声であることは、わかる。
合宿参加者の中で騒ぐといえば、この三人だ。そこに隆司が加わることもあるが、大半は、静観している。
黒乃と義一も、大抵の場合、騒ぎには加わらない。黒乃の場合は、真白に巻き込まれること大半だが、彼自身の発言が真白を怒らせることも少なくなく、自業自得だったりする。
そんなことを考えながら、幸多は、寝台を抜け出した。
「どうしたんだろう?」
階下の騒ぎは、普段からは考えられないものだった。
朝は静かにすべし。
それが伊佐那家の鉄則だったし、合宿参加者の誰もが伊佐那家の掟に従っていたからだ。
しかし、騒ぎが収まらないところを見ると、どうやらこの騒ぎは、伊佐那家の人々にも黙認されているようだ。
今日は美由理がいないということも、大きいのかもしれないが。
寝間着のまま部屋を出て、一階に向かうと、騒ぎが大きくなってくるのがわかる。なにやら嬌声を上げているのが金田姉妹で、興奮しているのが真白のようだ。隆司も時折、茶々を入れているようだった。
幸多が、大騒ぎの中心部に近づいていくと、そこは一階の大広間だった。大広間に集まっているのは、幸多同様寝間着姿の六人である。
九十九兄弟、金田姉妹、菖蒲坂隆司、そして、伊佐那義一だ。
そのうち三人がなにに対して興奮しているのかといえば、超大型の幻板に映し出された映像に対してらしい。
見れば、統魔の姿が大々的に映し出されていて、金田姉妹が嬌声を上げている理由が知れた。
金田姉妹は、普段はあれだけ義一と一緒にいて、義一に構って欲しそうにしているというのに、事あるごとに統魔のことを幸多から聞き出そうとしていた。義一にも興味はあるが、統魔にもとても強い興味を持っているようであり、それもただの好奇心ではなく、好意に近いものだということは幸多にも理解できた。
金田姉妹が揃って、映像の統魔に手を振っている様を見れば、統魔がいかに人気者なのかわかろうというものだろう。
そして、それは幸多にとっては、この上なく誇らしかった。
統魔は、幸多にとって自慢の弟だ。
統魔は、逆のことをいうだろうが、幸多にとっては弟なのだ。
それだけは譲れなかった。
「おはよう、幸多くん。今日は遅かったね」
そういって真っ先に幸多に気づいてくれたのは、黒乃だった。相も変わらぬ真っ黒でぶかぶかな寝間着を着込んだ黒乃は、容貌も相俟って、人形のように愛らしい。
長椅子の上で膝を抱えて座っている姿も、人形っぽさに拍車をかけている。
その隣の義一が、つぎに幸多に反応した。
「昨日の訓練のせいだろうね。おはよう、幸多くん」
義一は、伊佐那家の家紋である幻獣・麒麟を模した紋様の入った、伊佐那家特製の寝間着である。
伊佐那家の人間であることをこれでもかと主張するのが、伊佐那家の人々だが、それは伊佐那家の人間であるということに自負と誇りを持っているということであるとともに、伊佐那家の人間に架せられた義務と責任を忘れないと告げているようでもあった。
伊佐那家とは、それほどまでに央都において特別な家柄なのだ。
「おはよう、黒乃くん、義一くん。疲れは残ってないんだけどね、なんか、長々と夢を見ていたみたいなんだ」
「夢?」
「残念だけど、覚えてないよ」
「ふーん」
「本当だってば。嘘をついてもどうしようもないでしょ」
「そうだけど……」
黒乃は、それでも幸多に疑いの目を向けているようだった。なにか隠し事をしているように受け取られたのかもしれない。
(隠すことなんてなにもないんだけどな)
黒乃と義一が腰掛けている長椅子の端っこに座りながら、幸多は、思った。それから、ニュース番組に目を遣る。
「……で、一体なんの騒ぎなの? 二階まで聞こえてきたんだけど」
「そうなんだ? 姉さんがいたらきっと怒られるな」
「本当、騒ぎすぎだよ……わからなくはないけどさ」
「騒ぐだろ、そりゃあよお!」
ニュース番組を食い入るように見ていた真白が、黒乃に向き直った。黒乃とは対照的な白ずくめの寝間着は、髪色や名前と合わせているのだろうが、しかし、彼は白という色から想像するような性格の持ち主ではなかった。
どちらかというと、赤が似合うのではないか、と、幸多は想ったりする。真白を見ていると、圭悟を思い出すのも、そのせいかもしれない。
圭悟は、赤が似合った。
「なんたって十代の煌光級導士の誕生だからな!」
「十代の……煌光級導士……ああっ!?」
幸多は、真白の言葉の意味を理解して、ようやくことの重大さを理解するとともに、なぜ、今朝のニュース番組が大々的に皆代統魔を取り上げているのかを思い知った。
それならば、朝の静謐を乱すくらいの大騒ぎになって当然だった。
いつからか統魔の昇級が当たり前のようになっていたとはいえ、輝光級に上がってからというもの、長らく足踏み状態が続いていたのだ。
それだけ輝光級以上の壁が大きく、昇級が困難だということもあるのだが、しかし、統魔に対する期待の大きさは、彼がそれくらい容易く突破し、あっという間に星将になって当然というほどに膨れ上がっていた。
だからこそ、長い――とはいえ、一年未満なのだが――足踏み期間に対する不服、不満の声が聞こえ始めていたのが、最近の統魔に対する市民の評価の一部だった。
そうした悪評が吹き飛ぶ快挙が、今まさにニュースとなって央都のみならず、双界中を駆け巡っている。
『――以上、皆代統魔導士のこれまでの活躍を振り返って参りましたが、如何でしたでしょうか。戦団からの発表があったように、史上最年少の煌光級導士となった皆代統魔導士の今後には、ますます期待されますね』
『本当にその通りだと思います! まさに期待の超新星! その名の通りの大活躍、大躍進を続ける皆代統魔導士を市民一同で応援しましょう!』
番組の司会者の男女が当たり障りのない発言でもって、皆代統魔の煌光級昇進を伝えるニュースを締めくくると、天気予報が始まった。
「だってよ。どうよ、兄貴」
「そこでぼくに振るんだ?」
真白がこちらを見てにやりとしてきたので、幸多は、苦笑するしかなかった。幸多が統魔を弟扱いしているのは、合宿参加者には周知の事実だ。
だからこそ、真白は幸多を兄貴などと呼んできたわけだが。
「自慢の弟の昇級を喜ばないわけないでしょ」
「本音は?」
「本音だよ!」
「そっかあ……おれなら、むかつくけどな!」
真白が黒乃に飛びかかり、義一がその横から避難して幸多の膝の上に乗っかってくる。
「やあ」
「やあって」
「あの兄弟の仲の良さには嫉妬さえ覚えるね」
「冗談?」
「もちろん」
義一が軽口を飛ばしながら幸多の膝の上から降りたころには、九十九兄弟の取っ組み合いは悪化の一途を辿っているのだが、だれも止めようとはしなかった。
いつものことだからだ。
「だれか助けて-」
「外野に助けを求められる状況が導士にあると思うな!」
「統魔様が煌光級導士だなんて……」
「当然よね……」
「遅すぎたくらいよ……」
「見る目がないのよね……」
なにやらうっとりとした様子で虚空を見遣る金田姉妹を横目に見て、隆司がやれやれと頭を振った。
幸多がそんな朝を迎えたのは、八月二十五日のことである。
魔暦二百二十二年八月二十五日。