第五百九話 第一歩(二)
(ようやく、第一歩……か)
朝彦の言葉を噛みしめるようにして胸中で反芻しながら、統魔は、激突音を聞いた。強烈な衝撃の余波が、体を突き抜けていくようだったが、大したことではない。
振り向く。
(遠い遠い、第一歩だな)
内心、苦笑したくなる気分だった。
これが星将への、最高峰の導士への第一歩なのだとすれば、これまでの鍛錬や研鑽は、足を踏み出してすらいない状態だったということにほかならない。
だが、尊敬する兄弟子の言葉を疑う理屈はなかったし、統魔は、自動的に秘剣陽炎の斬撃を弾き返した光輪の向こう側で、朝彦の全身が光の中に融けて消える様を見ていた。
まさに陽炎のように揺らめき、視界から消えて失せる。
しかも、秘剣の能力によって消えるのは、朝彦の姿だけではない。
朝彦は、現在、星象現界を発動している最中だ。その全身には、莫大極まりない星神力が満ちている。その魔素質量たるや圧倒的といっても過言ではないのだ。魔法士ならば、朝彦の身に満ちた星神力の強烈さを肌で感じ取ることくらい容易いはずだ。
だが、秘剣陽炎の能力は、彼の星神力すらも虚空に掻き消してしまった。
朝彦の星象現界・秘剣陽炎の能力について、当初、統魔は、光の屈折を利用することによって自身の姿を見えなくするものだとばかり想っていた。だが、実際は違った。姿のみならず、魔素質量をも欺瞞する能力は、状況によっては強力無比だ。
その能力を利用した奇襲攻撃は、どんな強敵相手にだって通用するのではないか。
実際、三田弘道は、朝彦の接近に気づけないまま、一度殺されている。
それほどの能力だが、しかし、いまの統魔には余り有効ではなさそうだった。
朝彦は、何度も統魔に対し、奇襲をかけた。陽炎のように実体を消しては接近し、おもむろに攻撃をしかけてきたのだが、そのたびに統魔の背後の光輪が自動的に対応し、斬撃を弾いたのだ。
統魔は、それによってようやく朝彦の接近を把握し、対応しようとするのだが、そのときには朝彦の姿は消えている。
魔法を練り上げ、奇襲してきた瞬間に反撃を試みるが、それも間に合わない。
秘剣陽炎による透明化は、朝彦の縦横無尽ともいえる機動力と合わさって、無敵の能力のように思えた。
が、それは、統魔の星象現界も同じだ。
朝彦からすれば、だが。
「まあ、奇襲に拘るんが悪いんやが」
などと、彼はつぶやき、真言とした。
陽炎の能力によって姿を消したまま、魔法を放ったのだ。数本の光条が様々な軌道を描きながら、統魔を包囲し、別々の角度から同時に襲いかかる。
さらにそこへ、朝彦の奇襲が加わるため、統魔の光輪は、いずれかの魔法への対処に追われるはずだった。
光輪による自動防御が、統魔の星装の能力なのだろう、と、朝彦は考えていたのだ。その自動防御は、一カ所への攻撃に対しては無類の強さを誇るが、多角的な同時攻撃に対しては、どうか。
朝彦は、それを試した。
結果、
「そんな無体な」
朝彦は、虚空に融けて消えながら、憮然とつぶやいた。
大剣による斬撃が光輪に防がれたかと思えば、魔法の光線は、光輪の突起が周囲に展開することで対応したのだ。魔法光線の一つ一つを撃ち落とし、統魔への攻撃を完全に防ぎきって見せている。
「すっごーい!」
「さすがは統魔!」
「あれが隊長の星象現界なんですね」
「ああ、あれが隊長の星象現界、その一、だ」
「武装顕現型、いわゆる星装、だね」
皆代小隊の面々は、統魔が朝彦の全周囲同時攻撃を防ぎきった様を見て、興奮を隠せなかった。
朝彦の猛攻は、ルナたちには防ぎきれないものだったに違いなかったし、一瞬で打ち倒されただろう。そんな猛攻を統魔はなにもすることなく防ぎきったのだ。それが星象現界の能力なのだとすれば、彼は鉄壁の防御力を手に入れたことになるのではないか。
大空洞の工場での戦いにおいても、星象現界を発動した統魔が手傷を負うことは一切なかった。圧倒的な数の幻魔が繰り出す攻撃の数々を防ぎ、無傷の勝利を収めたのだ。
それが統魔の黄金色の星装の主な能力ということになるのだろうが、攻撃手段はどうなのか。
「硬すぎちゃうか?」
「星象現界ですよ」
「せやったな!」
朝彦は、斬撃の際の言葉を真言として、魔法を発動した。統魔の頭上に無数の光点が煌めいたかと思うと、光が、豪雨の如く降り注ぐ。
統魔は、避けない。
頭上に光輪を展開し、高速回転させることで、光の雨の尽くを跳ね返して見せると、右腕を掲げ、光の剣を生み出した。虚空の中から閃光と共に現れた秘剣陽炎を受け止め、その威力の凄まじさに舌を巻く。
さすがは星象現界というべきだろう。
斬撃の威力だけならば、統魔の魔法の剣よりも遥かに強力だ。
「いまのところ、防御よりの星装って感じやな」
「そうみたいです」
統魔は、朝彦と数合撃ち合いながら、肯定する。
この訓練は、統魔が己の星象現界について知るためにこと行っている。星象現界は、無意識に近く発動したものであるため、どのような能力が秘められているのか、統魔自身にも完全には把握しきれていないのだ。
朝彦のいうとおり、星装は、防御よりのようだ。それも鉄壁の防御能力を誇ることは、朝彦の猛攻を凌ぎきったことからも明らかだ。
本来、統魔自身は、攻撃型の魔法士だ。攻型魔法を得意とし、攻手として小隊に組み込まれている。幻魔との戦闘においても、攻撃に専念することが多い。
そんな統魔にとって、防御寄りの星象現界というのは、欠点を補うという意味においては大きな力になるだろう。
しかも、だ。
光輪の防御は、統魔が意識する必要がなかった。統魔が認識できない、死角からの攻撃にも自動的に対応し、防いでくれている。
その上で、星神力を元にする攻型魔法で攻撃することができるのだから、鉄壁の防御力と、強力無比な攻撃力を手に入れたも同然である。
「星装は、こんなところやろ。それとも、ほかになんかできそうな芸当はありそうか?」
「特には……思いつかないですね」
統魔は、魔法の剣を解除すると、光輪を振り回して見せた。普段、星装の背後に展開し、さながら後光のように存在するそれは、統魔が意識するだけで自由に動き回った。ある程度の距離、範囲内ならば自由自在に動くのだ。
ふと、思い立って、朝彦目掛けて光輪を投射すると、杖長は、陽炎を振り回して光輪を弾き飛ばした。
「なんやそれ。新野辺くん譲りの忍法か?」
「まさか」
統魔が朝彦のなげやりな言葉に苦笑すると、遠くから声が聞こえてきた。
「忍法! 統魔手裏剣! ってね!」
「だっさいよ、かおりん」
「ええ!? すっごくよくない!? 風魔手裏剣だから、統魔手裏剣だよ!?」
「だっさい」
「ええ!?」
ルナの評価に対し、香織はひたすらに愕然としたようだった。自信満々の命名だったに違いない。
「かおりん?」
「うん。香織ちゃん、あだ名をよくつけるでしょ? わたしのことをルナっちとか、さ」
「そうですね」
字は、剣に慰められる香織を横目に見ながら、くすりと笑った。香織は、相手との距離を縮めるための第一歩として、愛称を考えるらしい。
「それで、真似をしたのか」
「うん。わたし、皆と仲良くなりたいし。だから、香織ちゃんはかおりんで、字ちゃんはあざりん、剣くんは、つるぎん。で、枝連」
「おい」
「だって、しれんんって呼びにくいし」
「いや、別に「ん」で締めるのに拘る必要はないんじゃないか?」
枝連が難しい顔をしたのは、なんだか自分だけ仲間外れになったような気分になってしまったからだ。
皆代小隊の一員として、それは少し、寂しい。
「んー……そこは拘りたいかなあ」
「拘りたいのか……」
「じゃあ……いっそ、れんれん、で」
「れ、れんれん……」
枝連は、ルナが閃きとともに提示してきた愛称を反芻して、硬直した。想像だにしないあだ名だったこともあったし、そのような呼び名が自分に似つかわしくないことくらい、理解していないわけもなかったからだ。
「いいじゃん、れんれん! すっごく可愛い」
「ふふ、親しみやすくなるね」
「れんれんさん……」
「それはやめろ」
「れーんれん」
「うう……」
枝連は、隊員たちから愛称を連呼されることの苦しみを初めて味わうのだった。




