第五百六話 統魔の目覚め(三)
「寝起き早々、大丈夫かいな」
朝彦が半ば呆れながらいったのは、導衣姿の統魔を見てのことだった。
場所は、幻想空間である。
戦場は、葦原市・一。
葦原市中津区未来河付近を模した戦場には、朝彦と統魔以外にも、皆代小隊の面々と躑躅野南の姿がある。
「いまさっき検査を受けましたし、問題ありませんよ」
統魔は、そんな風に言い切りながら、朝彦と対峙していた。
朝彦に幻想訓練に付き合って欲しいと言い出したのは、統魔からである。
四日間も眠っていたという事実は、空腹感から脱却した統魔に焦燥感を覚えさせるものだった。
統魔が眠っている間、誰もが任務や訓練に明け暮れている。統魔は、眠り続けるだけで、なにもしていなかった。それはつまり、力を失い続けるということにほかならない。
人間は、鍛え続けない限り、すぐに衰えていく生き物だ。筋肉や体力、魔法技量を維持するだけでも相応の鍛錬が必要であり、故にこそ、四日間もの眠りは、統魔を焦らせるに至った。
そんな統魔の焦りが、朝彦にもはっきりと伝わってくるほどだ。
四日間なにもしていなかったという事実が、統魔にとってはこの上なく大きく、罪悪感すら覚えているのではないか。
それは、多くの導士が共感する反応かもしれない。
「たった四日程度で焦りすぎちゃうか」
「おれはようやく星象現界を使えたんですよ」
「……せやな」
朝彦は、統魔のその一言で、全てを納得するに至った。
この四日間、統魔は眠り続けた。
星央魔導院に入り、魔法士として、導士として、徹底的な訓練を受け、飛び級で合格した彼は、戦団に入るなり麒麟寺蒼秀に弟子入りした。
戦団最高峰の魔法士の一人である麒麟寺蒼秀に、だ。
蒼秀の弟子になったということは、蒼秀に匹敵する魔法士になることを期待されているということであり、彼自身、そうした周囲の期待を全身に感じていただろう。
そして、期待以上の活躍を果たしてきたのが、彼だ。
いまは輝光級で足踏みしているが、それもよくあることだったし、なにも悪いことではないのだが、統魔が焦燥感を覚えるのも致し方のないことだ。
そんな中、星象現界を発動することができた。
それは、統魔にとってなによりも嬉しいことだったかもしれないし、そんな彼が四日間の眠りの間に星象現界を発動できなくなってしまったのではないか、と、不安に駆られるのも無理はなかった。
「本当に大丈夫かなあ?」
「だいじょぶだいじょぶ、たいちょのこと、心配したって仕方ないよ」
「おまえだって心配してただろ」
「そりゃあ、意識を失ってたんだよ? 心配しない方がおかしいっしょ」
「そうだね」
「ええ、本当に」
皆代小隊の一同は、統魔のことが心配でならなかった。
四日間の眠りから覚めたばかりだ。医師からお墨付きを得たとはいえ、いきなり訓練を行って平気なのか、と、想わずにはいられない。
しかし、統魔を止めることなどできるわけもない。
統魔の星象現界は、戦団最高会議でも議題として取り上げられたという。三形式の星象現界を同時に発動し、味方の戦力を大幅に引き上げることの出来る、まさに規格外の星象現界だ。
四千体もの幻魔の大群に対し、無傷の勝利を収めることができたのは、紛れもなく統魔の星象現界のおかげだった。
無論、ルナの星象現界も勝利に貢献しているが、統魔の星象現界があればこそなのは、一目瞭然の事実だ。
だからこそ、統魔は、星象現界を完璧に発動できるようにしたいのだ。
「統魔の星象現界、凄かったよね」
「ああ、凄かった」
「凄かったねえ」
「凄かったよ」
「皆さん、語彙力が……」
「じゃあ、アザリン、感想を」
「凄かったです……」
「ほらあ」
統魔は、なにやら隊員たちが盛り上がっているのを遠くに見遣り、それから、朝彦に向き直った。
星象現界。
〈星〉を視たものだけが到達することのできる境地であり、戦団魔法技術の最秘奥。魔法の極致にして、窮極の奥義。
蒼秀の弟子となってからというもの、常に追い求めてきたものであり、全く掴み取れる気配すらなかったものだ。
ならばなぜ、あのとき、あの瞬間、あの場所で、〈星〉を視たのか。
魔力を星神力へと昇華することができたのか。
星象現界を発動することができたのか。
「あのとき、味泥さんはおれを止めましたよね」
「せやな」
朝彦は、統魔の真っ直ぐ過ぎる目を見つめ返して、頷いた。互いに導衣を身につけ、法機を手にしている。
間合いは、十メートル。
場所は、未来河の河川敷。
大河を流れる水音は、夏の爽やかさを思い起こさせるようであり、異界そのものたる空白地帯とはなにもかもが違った。風の感触から、日光の優しさまで、なにもかもが、だ。
そんな空間にあって、統魔の眼差しは、ぎらぎらと輝いていた。
「勝算もなけりゃ、無駄死にさせるわけにはいかんからな」
だがそれは、ルナを見殺しにするという判断でもある。
冷徹で、冷酷極まりない決断。
しかし、そうするよりほかはなかった。
ルナが時間を稼いでくれている間にあの状況を打開する方法を考えようとしていたのだ。
その矢先だった。
「でも、すぐに行かせてくれた。なぜですか?」
「……きみの目の中に〈星〉を視たからや」
「〈星〉を」
「せやなかったら、いくらなんでも行かせんかったわ。本荘くんには悪いけどな」
朝彦の周囲に律像が展開する。
複雑で精緻な紋様が幾重にも連なり、拡散し、一つの図形を作り上げていく。想像力と魔力が生み出す、魔法の設計図。それは急速に変化し、膨張していく。
同時に、統魔は、朝彦の瞳の奥に光が瞬くのを視た。それはさながら夜空に煌めく星のようであり、その光が瞳孔の奥底から漏れ出る様は、神秘的といってよかった。
朝彦の体内で練り上げられた魔力が爆発的な勢いで膨張したかと想うと、急激に収縮した。
魔力から星神力への昇華。
その現象が、いまの統魔には、はっきりと理解できるようになっていた。
それもこれも、星象現界を発動した経験があるからこそなのだろう。
そして、朝彦が真言を唱えた。
「秘剣・陽炎」
朝彦の律像が発散し、爆発的な勢いで拡散した星神力が右手の中に収斂していく。そして、一振りの大剣が出現した。
武装顕現型の星象現界。
「つぎは、きみの番やで。皆代くん」
「だってさ」
香織が、ルナに話しかけたのは、朝彦の発言を受けてのことだった。
朝彦は、今日に至るまで、ルナを見殺しにするかのような決断について一切の釈明をしなかった。中隊長として必要な判断を下したまでのことであり、説明責任すらないのだから、部下の香織たちがなにをいっても意味はない。
あのときのあの判断が正しかったのは、誰の目にも明らかだ。
もし朝彦が統魔を止めず、突っ込んでいった結果、星象現界に目覚めなければ、手痛い反撃を受けていたのは間違いないのだ。最悪、殺されていた可能性すらある。
「でもきっと、隊長のことですから、本荘さんを助ける方法を考えてくれていましたよ」
「わかってるよ。味泥さんって、絶対に部下を見捨てないひとだよね」
「はい。絶対に」
南は、ルナが朝彦を高く評価しているだけでなく、懐いてくれていることが自分のことのように嬉しかった。
朝彦は、評価されて然るべき人物だ。導士として、杖長筆頭としてだけでなく、人間として、味泥朝彦という個人として、もっと高く評価されてもおかしくはない。
南は、星象現界を発動した朝彦の姿に尊敬を込めた眼差しを向けながら、想うのだ。
彼ほど部下想いの導士を、彼女は知らなかった。