第五百五話 統魔の目覚め(二)
統魔が、自分が眠っている間になにがあったのかをつぶさに聞いたのは、食事を取りながらのことだった。
四日もの間眠り続けていたのだ。
体そのものに大きな問題はなく、生命維持装置の必要性すらないほどの状態だったとはいえ、腹は減るものだ。しかも、長時間に及ぶ星象現界の発動と維持によって、魔素を消耗し尽くしていた。
その後遺症として意識を失うだけで済んだというのは、むしろいいほうだろうとしか言い様がないとは、医者の言葉だ。
「先生も随分と驚いてたみたい」
ルナは、特殊合成樹脂製の食器が次々と空になっていく様子と、統魔の口に続々と放り込まれていく料理の数々を交互に見ていた。だが、その程度のことで驚きはしない。
統魔は、元々、よく食べる方だったし、よく食べるといえば、ルナ自身がそうだからだ。
統魔が、寝起きとは思えないほどの量の料理を消化していく光景は、むしろ、ルナには微笑ましかったし、喜ばしかった。
統魔が完全に復活したと断言できるからだ。
この四日間、ルナは気が気ではなかった。
ルナだけではない。
この一室に集った皆代小隊の隊員たちのだれもがそうだったはずだ。
皆、統魔のことが心配で堪らなかっただろうし、ルナのようにずっと側にいたいと思っていたものもいるだろう。
字などは、特にそう考えながら任務や訓練に当たっていたのではないか。
「驚くって、なにに?」
「たいちょーのたいちょーに、だよ」
「それ、冗談か?」
「冗談じゃない!」
「なんなんだよ、それ」
統魔は、ようやく空腹感が失われてきたのを実感しつつ、飲み物に手を伸ばした。ルナが湯飲みを手渡してくれる。
「隊長があれだけのことをしたわりには全く以て問題なかったのが、医者たちにも驚かれたってことだ。尋常ではない生命力だってな」
「それは褒められてるのか?」
「驚き半分、感心半分って感じだったかな」
枝連や剣の反応から、統魔は、この衛星拠点に勤務する医者たちがどんな表情を見せたのかを想像するも、思い浮かばない。あまり世話になっていないせいもあるだろう。
「ふう……」
「お腹いっぱいになった?」
「腹八分目」
「これだけ食べてか」
枝連は、寝台の横に山積みになった食器類を見て、呆れるような思いだった。いくら四日間も眠っていたとはいえ、寝起きによくこれだけの量が食べられるものだと感心もする。常人には真似の出来ない量だったし、大柄な枝連ですら、不可能に思えた。
「うん」
「さすがはたいちょ。体調も快調で最高に順調だねー」
「……おう」
香織の軽口がいつも以上に跳ね回っているような気がして、統魔は、字とルナを一瞥した。二人は、顔を見合わせ、頭を振る。二人にも香織の調子の良さがよくわからないというのだろう。
「それにしても……四日間か」
統魔は、寝台に備え付けられた移動式の小卓を脇に移動させながら、つぶやいた。
四日間。
統魔が眠っていた日数だ。
その四日間にあった出来事というのは、食事の間に聞き終えている。
大空洞調査任務に当たっていた味泥中隊は、その場で解散となった。味泥小隊以外の三小隊は、即刻、衛星拠点に帰投することとなり、医療棟で精密検査を受けている。
統魔を含む全員、なんの問題もなかったらしい。
心身ともに消耗し尽くしていたものの、それはあれだけの数の幻魔との戦闘を考えれば当然の話だった。しかも、統魔は星象現界を使っていたし、ほかの誰もがそれまでに大量に魔法を行使している。
簡易拠点に残っていた四人以外、全員が消耗し尽くしていたとして、なんら不思議な話ではなかった。
とはいえ、統魔を除く全員が二日後には任務に復帰しており、小隊長不在の皆代小隊の隊員たちは、六甲小隊、薬師小隊等と同行することで、任務をこなしたという。
そして、任務がない日は、訓練に明け暮れていた、とは、ルナの弁。
ルナは、といえば、その外見に変化が生じていることに統魔が気づいたのは、いま、この瞬間だった。
「あれ?」
「なに?」
統魔が疑問の声を上げてきたものだから、ルナは、食器を片付ける手を止めた。
「おまえ……なんか変わったか?」
「……やーっと、気づいたんだ?」
ルナが、統魔を半眼で睨み付けたのは、彼が気づいてくれるまで待ち続けていたからにほかならない。
そうなのだ。
ルナの外見に変化が生じていた。
以前は、極めて露出度の高い、下着だけといっても過言ではないような格好だったのだが、いまの彼女は、それよりも幾分も増しな出で立ちになっていた。
ところどころに銀色が混じりつつも黒基調なのは変わらないし、肌を露出している部分もあるが、下着や水着というよりは、導衣に近い格好だった。背後に浮かんでいた装飾もなければ、頭上の輪っかも見当たらない。
彼女を一目見ての印象は、大きく変わるだろう。
少なくとも、いまの彼女を見て、破廉恥などとは想うまい。
「……ごめん」
「やだなあ、謝らないでよう、冗談だよう」
ルナは、統魔が戸惑いながらも謝ってきたことに驚きを覚えつつ、彼が自分の身に起きている変化に気づいてくれたことが嬉しくて堪らなかった。想わず食器を放り投げてしまったほどだ。
「あぶなっ」
「ナイスキャッチ、かおりん!」
ルナが放り投げてしまった食器を空中で受け止めたのは香織であり、その素早い反応はさすがとしか言い様がなかったのだが、統魔は、そのことに感心しつつも、ルナの言葉が気になった。
「かおりん?」
「香織ちゃんの愛称だよ。可愛いでしょ」
「まあ……そうだな」
統魔が、言葉を探した末に頷くと、香織が食器を台車に乗せる手を止めて、彼を睨み付けた。
「なぁにぃ? たいちょー、嫉妬かなあ?」
「なんでそうなる」
「愛するルナっちが、自分より先に部下に親しみを込めて愛称をつけるなんて、許せない!」
自分を抱きしめて腰をくねらせ、あまつさえわけのわからないことを言い始めた香織に対し、統魔は、苦い顔をした。
「……勝手に人の心情を代弁するな。そして愛するってなんだ」
「統魔、愛してくれないの?」
「たいちょ、ルナっちのこと、愛してあげなよ!」
「……なんなんだ」
ルナの真っ直ぐな眼差しと、香織のからかい力全開の視線を受けて、統魔は、頭を抱えたくなった。
そんな様子を眺めながら、剣がつぶやく。
「隊長は大変だ」
「だな」
「本当に」
字は、統魔が可哀想で仕方がなかったが、しかし、そうなってしまったのも統魔自身のせいだとも想わないではなかった。
そんなときだった。
病室の開きっぱなしの扉から、ひょっこり顔を覗かせてきた人物がいた。
「ほんま、大変そやな」
味泥朝彦である。
「あ、味泥っち!」
「杖長筆頭に勝手な愛称をつけるやなんて、ええ度胸やなあ、きみ。気に入った!」
「気に入るんですか」
と、朝彦に続いて室内に入ってきながらつぶやいたのは、躑躅野南だ。ほかに味泥小隊の隊員の姿はない。
「まあ、悪い子やないし」
「それはわかりますが」
「冗談ですって、じょーちょー」
「その言い方もどやねん、きみ」
朝彦が笑いながら香織に応対する様を見ながら、統魔は、憮然とするほかなかった。香織が誰に対してもあのような態度を取るのは、それが彼女という人間だからだが、しかし、もう少し立場を弁えてもらってもいいのではないか、と、想わないではない。
「おはよーさん、皆代くん。よぉ眠れたみたいやな」
「おはようございます……で、いいんですかね」
「ええでええで。目ぇ醒めたら、まず第一声はおはよーさん、や。それで大抵は上手く行く」
「上手く行かなかったらどう責任取るんですか」
「なんでおれが責任とらなあかんねん。その場の空気を読んで発言するのは当然やろ」
「……まあ、そうですけど」
南は、朝彦の見解に同意しながら、台車に乗せられた山盛りの食器を見ていた。
統魔が一人で食べたのだろうか。
そんな疑問が、南の意識を席巻した。