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第五百四話 統魔の目覚め(一)

 長い長い廊下を歩いている。

 廊下はどこまでも続いていて、道幅は安定せず、形も不安定だ。歪な廊下。壁も床も天井も、なにもかもが歪んでいる。

 床は紅く、壁は黒い。天井は白く、統一性がなかった。飾り一つ見当たらないし、この廊下がなんなのか、皆目見当かいもくけんとうも付かない。

 どこまで歩けばいいのかわからなかったし、いい加減疲れてきていた。

 精も根も尽き果てて、足に力も入らない。見れば、靴はボロボロだったし、足の裏から血が噴き出していた。歩く度に激しく痛んで、意識を強く苛むのだ。

 骨がきしんだ。

 全身の骨という骨にまるで亀裂でも走っているのではないかというような痛みだ。筋肉が悲鳴を上げている。筋繊維きんせんいがずたずたに切り裂かれているのが、感覚だけでわかる。

 本来ならば歩くことなどままならないし、立っていることだって、不可能な状態だ。

 意識は朦朧もうろうとしていて、視界もぼやけてきた。

 廊下が不安定に歪んでいるように見えるのは、心身ともに劣悪極まりない状態だからなのかもしれない。

 立ち止まって、休むべきだ。

 そう思うのだが、しかし、歩き続けなければならないという使命感が、体を突き動かし続けていた。

 歩いて、歩いて、歩いて。

 永遠に変わらない廊下の中をただひたすらに歩き続ける。

 こんなことに一体なんの意味があるのかと疑問が湧いても、立ち止まってはならないという強迫観念だけがある。

 立ち止まったら最後、全てを失ってしまう――。

 どうして、そんなことを思うのだろう。

 ふと、手を見る。

 手のひらに穴が空いていて、止めどなく、血が流れていた。

 ああ、そうか、と、理解する。

 この真っ赤な床は、全部、自分の血なのだ、と、思い出したのだ。

 歩き続けて、血を流し続けて、心の臓から全ての血を流し尽くして、それでもまだ、立ち止まらない。

 立ち止まってはいけないのだ。

 でなければ、歩き出した意味がなくなる。

 ここまで歩き続けてきたのだ。

 歩き続けてきたことの意味を、奪い続けてきたものの全てをなかったことにするわけにはいかないのだ。

 だから、歩き続ける。

 どれだけ血を流し尽くしても、自分の体が壊れ尽くしても、命の形が失われ、魂さえも燃え尽き、灰となって消えて失せようとも、歩き続けなければならない――。

 どうして、そこまでする必要があるのか。

 そんな疑問とともに視界が開けると、目の前がぼやけていた上、影になっていてよくわからなかった。

「やっと起きた-!」

 高い声が間近で聞こえて、統魔とうまは、思わず両耳を塞いだ。両手は自由に動いたし、腕に痛みが走ることもなければ、体中、なんの問題もなさそうだということが一瞬にして理解できた。

 夢を見ていたのだろうが、その夢も、今や朧気おぼろげになってしまっていて、思い出すこともままならなかった。

「統魔が起きたよ-!」

「そんな大声で叫ばなくても聞こえるよー、ルナっち-」

「そうそう、皆同じ部屋にいるんだし」

「そうですよ、ルナさん。隊長を気遣わないと」

「でもでも、やっと起きたんだよ? 四日間も眠ってたんだよ!?」

「そりゃあわかるが……」

「四日……?」

 統魔は、しばらくの間を置いて、部下たちの会話の内容を理解した。判然としていた意識が、急速に覚醒していくような感覚に襲われる。

 目覚めたとき、視界を覆っていた影がなんだったのか、それによってはっきりとわかった。

 ルナの顔だ。

 ルナが統魔の顔を覗き込み、それこそ鼻の息がかかるほどの距離にまで近づけていたのだ。

 それで、統魔が目覚めたから、皆に報せるために顔を放したこともあって、統魔の視界には光が差し込んできていた。

 統魔は、衛星拠点の医務室にいるようだった。白い天井や壁、開けられた窓に揺れる真っ白なカーテンがそれを示している。なんにしても白一色で、潔癖なくらいだが、それくらいでなければならないらしい。

 統魔には、よくわらないし、共感もできないが。

「四日も眠っていたのか」

 統魔は、上体を起こしながら、つぶやいた。長い間夢を見ていたような感覚こそあるものの、そのような感覚はあてにはならない。稀にあることだからだ。

「そうだよ、四日! 四日間も眠っていたんだよ、統魔!」

 ルナが大声を上げながら統魔に寄り添ってきて、頬ずりしてきた。

「はぁー」

「なんだよ?」

「生き返るー」

「どういう反応なんだ?」

 統魔が誰とはなしに質問すると、室内の各所に座っていた隊員たちが困ったような顔をしたり、肩を竦めたりと、様々な反応を見せた。

「隊長が眠っている間、大変だったんですよ」

「……だろうな」

 統魔は、ルナが統魔の首筋に鼻をくっつけて匂いを嗅ぎ出したのを見て、なんともいえない顔をした。ルナにそのような趣味はなかったはずだったし、こんなことをされた記憶もなかった。

「統魔だあ、統魔のにおいだあ!」

「なんなんだ、いったい」

 統魔は、ルナの顔面を首筋から引き剥がしながら、殊更に渋面を作って見せた。すると、ルナは、満面の笑みを浮かべてくるものだから、当惑するほかない。

「統魔が元気になってよかったよお」

 そして、ルナは、今度はあざなに抱きつくのだ。つぎは、字が困ったように笑う番だった。

「これの百倍は大変だったんだにゃあ」

 とは、香織かおり。彼女は、いつの間にか統魔の右隣に陣取っていた。

「それは言い過ぎだろ」

「じゃないんだな、それが」

「本当に大変だったんだぞ」

「まじかよ」

 香織の発言を全面的に肯定するつるぎ枝連しれんの言葉に、統魔は、絶句するしかなかった。

 いまの百倍大変だったルナの様子とは、想像しようもなかったし、字や香織が彼女の対応に追われて疲れ果ててやしないか、心配にならざるを得なかった。

「そりゃあたいちょが四日間も眠り続けてたら、ルナっちだって心配になるでしょ。あたしたちだって、だいぶかなりすっごく心配してたんだし」

「ルナさんなら、なおさら、ですね」

 字は、胸に顔を埋めてくるルナの頭を撫でながら、香織に強く同意した。それはつまり、自分も、統魔のことを心配したのだといいたかったからだ。 

 字だけではない。

 皆代みなしろ小隊の全員が統魔のことを心配し、ほとんどつきっきりで看病していた。

 もちろん、常に手が空いているわけもなければ、体調が回復し次第、日課の訓練や、任務に出向かなければならなかったから、時間さえあればこの部屋に入り浸っていたということだ。

 統魔は、大空洞からの脱出直後に意識を失い、それから四日もの間、眠り続けていた。精密検査の結果を待つまでもなく、統魔の体に異常は見受けられなかったし、そういう意味での心配はいらなかったのだが、しかし、彼が消耗し尽くしていたということは誰の目にも明らかだった。

 統魔にとって初めての星象現界せいしょうげんかいの発動であり、それも長時間に及んでいた。さらにいえば、三形式の星象現界を同時に発動していたも同然であり、その負荷たるや想像を絶するものに違いなかったのだ。

 字は、外で統魔たちの無事を祈ることしかできなかったこともあり、気が気ではなかったし、味泥中隊が無事帰還したときには、奇跡の存在を信じたほどだった。

 味泥みどろ中隊が追い込まれていた状況というのは、それくらいに絶望的なものだった。

 その絶望を覆したのが、統魔であり、統魔の無事にうれし涙を流すルナである。

 二人の星象現界があればこそ、あの絶体絶命の窮地きゅうちを脱することができたのは、誰もが認めるところだった。

 第九軍団内部のみならず、戦団内部における本荘ルナの評価が大きく上がったことはいうまでもない。

 ルナが元より献身的かつ利他的であり、自己犠牲的な精神性の持ち主だということは、皆代小隊一同わかりきっていたのだが、今回のことでより多くの導士たちに知れ渡ることとなった。

 ルナの激憤げきふんが引き金となり、統魔が星象現界を発動するに至ったのではないか。

 字は、そう考えていた。


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