第五百三話 マモンについて
「人間を幻魔へと改造する技術か……まったく、非道いことをするもんだ」
新野辺九乃一は、三田弘道という人間の成れの果てを見つめながら、つぶやいた。
幻魔は、元より機械を嫌う傾向を持つ生き物とされてきた。あらゆる機械、魔機の存在そのものを黙殺し、無視を決め込むのが幻魔という生物であり、幻魔の習性、生態であると考えられ、いつ頃からか定説として信じられていた。
実際、大半の幻魔がそうだったし、故にこそ、大空洞内部の様々な設備をトロールたちが率先して破壊して回っていたというのも、通常、考えられないことだった。
もっとも、それらトロールたちが別の幻魔の指示に従っていたのであれば、話は別だ。
そして、その指示を出した幻魔というのは、例外の幻魔である。
一部の例外の幻魔は、機械を利用した。
リリス文書とも呼ばれる日記をノルン・システム内に残した鬼級幻魔リリスが、その筆頭といえるだろう。
リリスは、己が主宰する〈殻〉バビロンの地下にヴェルザンディ・ユニットを発見すると、どういうわけが注目し、確保した。配下の幻魔たちの行動の余波で破壊されることのないように、厳重に保管したのだ。
その上でヴェルザンディ・ユニットを調査したリリスは、姉妹機の存在を知り、スクルド・ユニット、ウルズ・ユニットを確保するために様々に活動したことがその日記に詳細に記載されていた。
リリスのように機械の存在を認知し、存分に活用する幻魔が確認されたのは、人類にとってもリリスが最初ではなかったか。
それまで、幻魔にとって機械は忌み嫌う存在であるというのが定説だったし、その定説を覆すことは何人にもできなかった。
そして、アスモデウスとマモンである。
アスモデウスは、東雲貞子と名乗り、双界の人類社会に暗躍していた。天輪技研を始めとする様々な企業に接触し、多種多様な方法を用い、策謀を巡らせていたのだ。
虚空事変、天輪スキャンダル、〈スコル〉事件――アスモデウスが関与し、双界の秩序を大いに乱した事件は、この数ヶ月でこれだけ存在する。
さらにアスモデウスがその誕生に関わったマモンは、機械事変を引き起こしただけでなく、長谷川天璃ら八名の囚人を浚い、機械型幻魔への改造すら施してしまった。
機械を恐れず、むしろ積極的に活用する幻魔たちによって、想像を絶する恐るべき事態が、この双界の何処かで、あるいは双界の外で進行していたのだ。
「非道い話か。確かに非道い話だが、それ以上に恐るべきは、星象現界の擬似的な再現だろう」
九乃一の一言を受けて、冷ややかに言い返したのは、伊佐那美由理である。
「今回は、麒麟寺軍団長の星象現界が擬似的に再現されたが、もしそれがわたしだった場合を考えるとな」
「……全くもって、絶望的だね」
九乃一は、大量生産された月黄泉使いの姿を脳裏に想像して、怖気が走るのを認めた。
美由理の星象現界・月黄泉は、ある意味において、最強の星象現界といっていい。この点に関しては、誰もが認めるところだろうし、明日良とて否定はしないはずだ。
「時間を静止する能力……」
「そんなものが〈七悪〉の手に渡れば、どうなるものか、考えたくもないな」
伊佐那麒麟が美由理を見つめる様を横目に見て、神木神威も、渋い顔をした。
美由理の星象現界の凶悪さは、最強の導士たる神威を以てしてもどうすることもできないほどのものである。
時間を止められたという認識すらできないのだ。
対応することは、不可能に近い。
美由理が星象現界を発動する前に強力な防型魔法を全身に張り巡らせておくことで、ようやく、月黄泉の理不尽さに対抗できるのだが、それでも、一方的な展開になることはよくあることだった。
そのことは、軍団長ならば誰もが知っていることだったし、この会議に参加している全員が言葉を失ったのは、擬似月黄泉の使い手と対決しなければならない可能性に思い至ったからにほかならない。
無論、麒麟寺蒼秀の星象現界・八雷神も、強力無比だ。
星象現界なのだ。
並の魔法とは比較にならない威力、精度、範囲を誇り、大抵の場合、使われたら最後、対応することもできないまま撃破される。
味泥中隊が無事だったのは、トロールの死骸の山から、鳴雷を使われた可能性に思い至り、事前に対応策を練ることが出来たからにほかならない。
それでも、かなりぎりぎりの戦いだったことは、味泥朝彦らの証言によって明らかだ。
皆代統魔が星象現界を発現しなければ、全滅するか、多数を生かすために少数を犠牲にすることになっただろう。
味泥中隊が誰一人欠けることなく生存できたのは、奇跡以外のなにものでもない。
「おそらく……ですが、今回マモンが麒麟寺軍団長の星象現界を擬似的に再現出来たのは、麒麟寺軍団長が星象現界を発動した状態の右腕を奪われたからではないかと思われます」
「つまり、擬似月黄泉の使い手が量産されるのを防ぐには、わたしが星象現界を発動した暁には、体の一部でも奪われないようにしろ、ということだな」
「ええ、そういうことよ」
「根本的な解決策もあるだろ」
ドスの利いた声でそういってきたのは、明日良である。彼は、ぎょろりとした目で、幻板の向こう側から一同を見回すような素振りを見せた。
「マモンを斃す。これに限る」
「……確かに、そうね」
イリアは、明日良の短絡的ともいえる結論に、しかし、肯定以外の言葉を見いだせなかった。
「これもおそらく、ですが、星象現界の再現や、人体改造技術は、マモンの能力に基づく技術だと考えられます。大半の幻魔が機械を黙殺し、忌避するように、全ての鬼級幻魔が機械を受け入れる謂われはありませんから……マモンを斃すことができれば、これ以上改造人間や機械型幻魔が増えることはないかもしれません」
「アスモデウスは?」
「アスモデウスは、イクサの開発にも天輪技研を利用しなければならなかったという事実があります。マモンほど、機械に耐性がないのかもしれません」
イリアの発言は、希望的観測に過ぎないが、状況証拠がそう告げてもいた。
アスモデウスは、天輪技研にイクサ開発のための技術こそもたらしたが、直接、機械を操作していたという記録がなかった。知識こそ大量にあり、天輪技研の技術者たちに天啓のように与えていたようなのだが、機械そのものを触ることすら忌避していたようだ。
無論、それらの情報だけでアスモデウスが機械を操れないとは断言できないのだが、いまはそこに希望を持つしかない。
マモンさえ斃せば、機械型幻魔や改造人間が誕生することはなくなると思い込みたいのだ。
でなければ、あまりにも絶望的すぎる。
擬似的とはいえ、星象現界を使うことのできる改造人間、幻魔が量産されるかもしれないのだ。
「ならば、マモンの討伐を優先するべきか」
「マモン自身が直接動き出すと明言してもいますし、それがわたくしたちに出来る最良の判断かと」
神威の意見に大きく頷いたのは、麒麟である。総長と副総長は、いつだって意見をぶつけ合うということがない。阿吽の呼吸とはまさにこのことであり、互いになにを考えているのか、分かり合っているのではないか、と、この会議に参加している誰もが思うほどだった。
実際、その通りに違いないと美由理などは思っていたりする。
神威と麒麟は、長い付き合いだ。それこそ、戦団が誕生する五十年以上前からの戦友だというのだ。二人にしかわからないなにかがあるに違いなかった。
「うむ。戦団は今後、マモン討伐を最優先任務とし、マモンを発見次第、最大戦力の投入を許可する」
神威がそのように明言すると、会議の場に緊張が走った。
最大戦力とはつまり、あらゆる星将の投入である。
マモンは、鬼級幻魔だ。
しかも、〈七悪〉と呼称するサタンの配下の一人であり、強大な力を秘めているのはいうまでもない。
その撃破には、戦団最大戦力の投入が必要不可欠に違いなく、その上で、多大な犠牲を払うことも考えなければならないだろう。
鬼級幻魔の討伐とは、それほどまでに困難を極めるものだったし、一度だって、犠牲を伴わない戦いはなかった。
そのことは、神威が誰よりも知っている。
だからこそ、彼は、軍団長たちの顔をしっかりと見て、彼らの覚悟を見届けたのだ。
誰もが死を恐れない勇者のような顔つきだった。
それが必ずしも望ましくないものなのだとしても、受け入れて、進むしかない。
神威は、しばらくの間を置いて、口を開いた。
「では……つぎの議題だが、皆代統魔導士の昇級に関してだ」