第五百一話 サナトス機関
「調査の結果、大空洞が幻魔の大量生産工場だということが判明しました」
イリアは、手元の端末を操作しながら、幻板に様々な映像を表示していった。
大空洞と呼称されるダンジョンの調査は、三日三晩に渡って行われた。
大空洞内部には、もはや幻魔一体と残っていなかったし、マモン配下の改造人間が襲いかかってくることもなかった。
二日目の調査には、一日たっぷり休んだ味泥中隊の大半が参加したものの、その必要がないくらいに安全だった。
味泥中隊が殲滅した幻魔が、大空洞で製造されていた幻魔の全てだったからだ。
三田弘道は、味泥中隊を全滅させるため、大空洞内の全工場で眠っていた幻魔を覚醒させ、解放したようだ。そうすることによって圧倒的戦力差を得、味泥中隊を完全に葬り去ることができると考えたに違いない。
普通ならば、三田の思惑通りになったはずだ。
だが、味泥中隊には、皆代統魔がいた。
彼の途方もない星象現界によって味泥中隊は窮地を脱し、三田と全ての幻魔を撃滅、大空洞は、幻魔たちの墓標と化した。
そんな墓標を調査し尽くした――とは、いいきれなかった。
というのも、大空洞各所には様々な幻魔の大量生産工場があったのだが、それら機材を調査しようにも、人間の手によって作られた機械でもなければ、操作することもままならず、調べようとすることすらできなかったのだ。
取れるだけの情報こそ収集したものの、それら微々たる情報がどれほど戦団に寄与するものかわかったものではない。
そして、戦団本部に戻ってきたイリアは、早速戦団最高会議を開くことを提案し、了承され、この本部棟大会議場にいるのだ。
「幻魔の大量生産工場……か。なるほど」
神木神威は、いつも以上に眉間に皺を寄せながら、幻板に表示された映像を見据えた。
大空洞内の各所で発見された工場の全体像である。それらの工場群は、複数種の幻魔がそれぞれ大量に生産されていたことを示している。
妖級幻魔トロールだけで五百体以上が生産されていたのだ。
獣級幻魔ガルムやフェンリル、ケルベロスなども確認されているし、妖級幻魔フェアリーも大量に生み出されていた。
「幻魔が減らないわけだ」
「……おそらくは、そういうことだと想われます」
イリアは、神威の苦い表情を見つめ、頷いた。
「味泥杖長が三田弘道から聞いた話によれば、サナトス機関と呼ばれる組織の施設だったようです。サナトスという名には、聞き覚えがありますね?」
「確か、リリスの日記に書いてあった名だ」
「幻魔大帝エベルの腹心の一人だったかと」
上庄諱と伊佐那麒麟がそれぞれにつぶやく。
リリスの日記とは、葦原市の土台となった〈殻〉バビロンの殻主《かkしゅ》であった鬼級幻魔リリスが、ノルン・ネットワークに書き残していた文章の総称である。まるで日記のように日々記された文章群には、リリスがなにを考え、なにを企み、どのような思想を持っていたのか、これでもかと記されていた。
それらは通常、リリス文書と呼ばれるが、日記とも呼ばれている。
戦団が魔天創世という事象と言葉を知ったのも、リリスの日記からである。
リリスがそのように記していたからこそ、戦団もまた魔天創世と呼んでいるのだ。
リリスの日記には、魔天創世に纏わる様々な驚くべき事実が記されていたのだが、その一つが、魔天創世を引き起こした幻魔大帝エベルを影で操っていたのがリリスだということだろう。
リリスは、圧倒的な力を持つ鬼級幻魔であったエベルを利用し、幻魔戦国時代を終わらせようとしていたのだ。そして、リリスの思惑通り、エベルは、幻魔の世界を統一した。
まだ人類が少なからず残っていた時代、数多の鬼級幻魔が跋扈し、無数の〈殻〉が乱立していた頃、全ての幻魔の頂点に君臨したのが幻魔大帝エベルである。
そして、エベルは、魔天創世を起こし、それによって自ら命を絶つことになってしまったのだ。
それは、しかし、リリスにとって予期せぬ事態でああったらしく、エベルに心酔していた腹心たちの反感を恐れ、しばらく雲隠れしていたというようなことまで、リリスの日記には記されている。
あまりにも赤裸々《せきらら》に綴られた日記は、誰の目に触れることもないからこそのものだったに違いない。
そして、その日記の中で触れられたエベルの腹心の一体が、鬼級幻魔サナトスだ。
「サナトス機関は、エベルの腹心だった鬼級幻魔サナトスが率いる組織と考えて間違いないでしょう」
かつて幻魔世界を統一したエベルの腹心の名を冠しているのだ。それ以外には、考えにくい。
「そして……これはおそらく、なのですが……サナトス機関は、各地に同様の幻魔大量生産工場を持っているのではないでしょうか」
「なぜ、そう考える?」
「わたしは、まず、この工場の存在意義を考えました」
イリアは、幻板に表示した工場内の映像を見つめながら、持論を展開する。様々な幻魔が生み出されるための工場群。生産過程は不明であり、どのような理論や技術が用いられているのかは、調べようがない。
リリスの日記とは異なり、用いている言語や機械そのものが異なるからだ。
全てにおいて、幻魔の文法が用いられている、とでもいうべきか。
「なぜ、サナトスはこのような工場を作ったのか。なんのために、どのような目的、どんな理由で、幻魔を大量生産しているのか。あるいは、しなければならないのか」
サナトスは、エベルの腹心の中でも、特にエベルに近しい存在だったと、リリスの日記にはある。エベルに心服し、エベルの王国における宰相のような役割を成していたのだ、と。
エベルのもう一人の腹心、鬼級幻魔アーサーとともに、常にリリスの動向を注視し、警戒していたようだ、とも書かれている。リリスは、日記の中で、そんなサナトスとアーサーを嘲笑い続けていたが。
それは、ともかく。
「理由は、一つ。人類が滅亡したからです」
「……ふむ」
「そういうことか」
「なるほど」
「おれにもわかるように説明してくれないかな」
イリアがなにをいわんとしているのか、瞬時に理解し、納得する最高幹部の中にあって、頭を抱えるような表情をするものもいないではなかった。
天空地明日良などはその筆頭だ。
「幻魔は、どうやって生まれるかは知っているでしょう」
「死んだ魔法士の魔力を苗床に……って、ああ、そういうことかよ」
「そういうことよ。魔天創世によって人類は滅亡してしまった。少なくとも地上からは一掃されたわ。その結果、大量の幻魔が誕生したに違いないけれど、エベルが敷いた秩序は、エベルの死によって失われ、幻魔戦国時代が再来してしまった」
イリアの説明は、リリスの日記の記述によるものである。当然そこにはリリスの主観が多分に混じっていることは考慮しなければならないものの、ネノクニに籠もっていた人類が、当時の地上の様子を知る方法は限りなく少なく、リリスが残した大量の日記を参考にするのは致し方のないことだった。
「幻魔戦国時代の再来は、エベルの一統を快く想っていなかった鬼級幻魔たちには、この上なく喜ばしいことだった。幻魔同士の領土争いが活発化し、兵隊として動員される幻魔たちは、日々、大量に消費されていく」
「幻魔を生み出す人間はいないのに、幻魔だけは死んでいくというわけだ」
「それで、サナトスが幻魔生産工場なんてものを作り出して、各地の幻魔に戦力を供給している、と?」
「めちゃくちゃだな。それだと、サナトスが幻魔戦国時代を悪化させていることになる」
「でも、筋は通っている……気がする」
とは、美由理。
イリアは、親友の助け船に目配せした。もちろん、美由理なりの考えがあってことの意見に違いないのだが。
「サナトスは、エベルの腹心だったわ。しかもこの上なく心酔していたほどのね。だから、エベルが魔天創世によって命を落とし、幻魔戦国時代が再来したのを快く想わなかった」
「それで、エベルのような統一者が現れないように、大量の幻魔を生産し続けているって? 荒唐無稽だな」
「……まあ、ただの想像だもの。工場から得られた手がかりなんて、幻魔が大量に生産されるような技術があり、それが幻魔によって生み出されていたということだけよ」
サナトス機関と名乗る、サナトスの名を冠する組織によって。