第五百話 規格外(二)
「まさに死屍累々《ししるいるい》といった感じね」
実際に現場に辿り着き、その死闘の痕跡を目の当たりにすれば、イリアの口から感嘆の声が漏れるのは当然のことだった。
イリア率いる調査隊は、慎重に慎重を期しながらも大空洞下層部に位置する幻魔製造工場に到達した。
道中、多数のトロールの死骸があり、それらが擬似鳴雷とも呼ぶべき魔法によって殺されたものであることを再確認しつつ、味泥中隊が辿った経路を進んできたのだ。
五百体ものトロールが製造されていた工場である。
工場全体がもはや原型ひとつ留めていないのは、味泥中隊と幻魔の大軍勢との死闘が繰り広げられたからにほかならない。
五百体のトロールが一斉に目覚め、暴れ回ったというだけでも、工場そのものの機能が失われるほどの大打撃を受けるだろうが、その数倍もの幻魔がこの広大な空間に押し寄せてきたのだ。
記録映像を見る限り、まるで大量の幻魔が竜巻のように渦を巻き、皆代統魔を包囲していた。
その凄まじさたるや、様々な戦場を見てきたイリアですら慄然とするほどのものだった。
光都事変を経験した麒麟寺蒼秀でさえ、絶句したほどだ。
地獄のような戦場とは、まさにこのことだ。
そして、その凄惨極まりない戦いの痕跡が、この魔法や星象現界によって破壊され尽くした工場の跡地に刻みつけられている。
獣級幻魔、妖級幻魔の死骸が所狭しと散乱していて、液体のように散らばる残留魔力の濃密さには、想わず息を止めたくなるくらいだった。
霊級幻魔の死骸は、存在しない。
霊級幻魔は、最下級の幻魔であり、苗床たる死者の魔力から実体化することに失敗した幻魔だといわれている。故に力弱く、意思も薄弱であり、ただ魔素質量に引き寄せられるだけだという。
しかし、実体を持たないために壁や床を擦り抜けて移動することが出来るため、実は、霊級幻魔による被害も馬鹿にならないのだ。
霊級幻魔と侮った結果、手酷い目に遭うということは、よくあることだ。
しかも、霊級幻魔は、一度に大量に現れることが多いため、その点でも注意が必要だ。
今回の場合は、霊級幻魔どころではなかったようだが。
「これだけの数の幻魔を相手によく生き残れたものだ」
「それも誰一人欠けることなく、ね」
イリアは、蒼秀率いる小隊とともに幻魔の死骸を確認しながら、トロール製造工場の高所へと向かった。
三田弘道が陣取り、皆代統魔と最終的に激突した地点。
そこがこのトロール製造工場にとって重要な場所であるらしいということは、三田の行動からもわかっている。
ヤタガラスは、三田の一挙手一投足を見逃さず、記録しているのだ。
「それもこれも、あなたの弟子のおかげよ。蒼くん」
「……もちろんだ」
蒼秀が少し間を置いてから肯定したのは、イリアの呼び方に引っかかりを覚えたからだ。しかし、そんなことに拘っている場合でもない。
トロールを始め、大量の幻魔の死骸が散乱している。ずたずたに切り裂かれた妖級幻魔の巨躯が転がり、獣級幻魔の頭部が機材の上からこちらを見下ろしていた。無論、生きているわけもなく、眼窩には暗い影だけがあった。
どの死骸も凄惨そのものだ。
それだけの激闘が繰り広げられたのだから当然だったし、味泥中隊の誰もが生き延びるため、必死に戦った結果なのだ。
そしてそれこそ、統魔が星象現界を発現したからこそだということは、今更確認するまでもないことだった。
味泥中隊の誰もがそういっているし、統魔に感謝し、賞賛し、褒めそやしていた。
統魔がいなければ死んでいただろうと、味泥朝彦ですらいっている。
誰かが犠牲になれば全滅こそ免れることは出来ただろうが、だとしても、そのためにどれだけの犠牲を払わなければならなかったのかわからないし、どれだけの人数が生き残れたのか、想像もつかなかった。
統魔が、全てを覆した。
三田弘道が引き起こした大惨事、地獄のような状況を、統魔の星象現界によって引っ繰り返したのだ。
蒼秀は、統魔の師匠として誇らしい気持ちになるとともに、彼がようやくその才能を発揮し始めたのだとも想った。
統魔は、才能の塊である。
彼の魔法士としての素養が、戦団によって確認されたのは、彼がまだ十歳のときだった。
統魔は、十歳のとき、養父である皆代幸星を鬼級幻魔サタンによって目の前で殺されている。その場には、養母・皆代奏恵、そして皆代幸多もおり、皆代家の人々の心に深い傷を残したことはいうまでもない。
統魔は、それがきっかけでサタンへの復讐を誓い、そのために戦団に入る道を選んだという。
そして、統魔の魔法士としての天賦の才が確認されたのも、そのころである。
ある日、ノルン・システムは、とてつもない魔力質量を観測した。
それは、皆代幸星の葬儀が行われた日のことであり、葬儀を終えた後、統魔が一人激情に任せて魔力を発散させたからだった。
それが、戦団が皆代統魔を本格的に認識することになったきっかけである。
そして、それ以来、戦団は統魔に目をかけてきた。統魔は、戦団に入りたがっていたこともあり、戦団が星央魔導院への入学を勧めると、即座に応じた。
星央魔導院を飛び級で卒業した直後の彼の評価たるや、戦闘部十二軍団で凄まじいまでの争奪戦が繰り広げられるほどであり、蒼秀率いる第九軍団の配属になったのは、幸運だったのだ。
蒼秀は、統魔を弟子にした。統魔も、蒼秀ならば師匠に相応しいと想ってくれたようだ。同じ光属性を得意とする味泥朝彦を弟子として育て上げた実績があったからだろう。
そして、師弟関係を続けてきたわけだが、蒼秀は、彼の才能を引き出してあげることができていないのではないか、と、考え続ける日々を送っていた。
日夜鍛錬と研鑽を怠らないのは、導士の常だ。
誰もがそうだったし、蒼秀や統魔だけが特別そうしているわけではない。導士ならば当然のことだ。特に戦闘部の導士ならば、誰にいわれるでもなく訓練漬けの日々を送るものである。
そうしなければ戦闘部に入った意味がないし、生き延びれないという圧倒的な現実がある。
誰もが必死に今日を生きている。
生き抜くためにこそ、自分を鍛え抜くのだ。
蒼秀は、時間がある限り、統魔を鍛えてきた。星象現界でもって相手をし、彼が〈星〉を見出してくれることを期待してきた。
星象現界を体得するには、まず、星象現界を視ることだ。
星象現界を見聞し、体感し、認識する。
それが〈星〉を視るための第一条件だとされている。
その上で、魔法士としての技量を磨き上げていくことだけが、現状、星象現界体得のための筋道であり、蒼秀は統魔のために出来る限りのことをしてきたつもりだった。
だが、星象現界は、誰もが必ずしも到達できる領域ではない。
どれだけ魔法の才能に恵まれようとも、一生涯をかけてなお、〈星〉を見出せないものもいる。
誰もが確実に〈星〉を見出すことが出来るのであれば、世の中にはもっと星象現界の使い手で溢れているはずだったし、魔法史に記録されているはずだ。
しかし、星象現界は、魔法史には記録されていない。
戦団によって初めて明らかにされた魔法技術であり、故にこそ、戦団魔法技術の最秘奥、あるいは戦団式魔導戦術の極致と呼ばれるのだ。
そして、統魔は、若くしてその領域へと到達したということでもある。
統魔は、まだ十六歳だ。
まだまだ若く、これからもっともっと強くなれる逸材だった。
しかも彼の星象現界は、規格外としか言い様がないほどに強力無比であり、蒼秀は、ずたずたに破壊された幻魔の死骸の山を魔法で押し退けながら、その凄まじさに唸るような想いだった。
これが愛弟子の戦果なのだから、いうことはない。