第四百九十九話 規格外(一)
統魔は、味泥中隊全員の無事を確認すると、ようやく安堵の息を吐いた。
そんな統魔の横顔を心配そうな顔をして見つめているのは、ルナだ。ルナの目には、統魔の消耗ぶりがはっきりと見て取れていた。
長時間に渡る星象現界の発動は、心身にとんでもない負担をかけるということは、ルナ自身、身を以て理解している。
発動するというだけで多大な負荷がかかるということもわかったし、星象現界の維持にとてつもない集中力が必要だということもわかった。魔力を星神力へと昇華するだけでも、途方もなく消耗するのだ。
それを維持し続けるのだから、疲弊するのも当然だった。
さらにいえば、統魔の星象現界は、朝彦らが驚くほどのものであり、規格外と呼んで然るべきものだった。
それを維持しながら、脱出まで漕ぎ着けたのだから、統魔が意識を保っていられるだけで奇跡なのではないかとさえ、ルナは想う。
彼の体を支えながら、大空洞の大穴の縁に降り立つと、字と剣が大慌てで駆け寄ってきた。
「隊長!」
「統魔くん!」
統魔は、二人に笑顔を向けようとしたが、出来なかった。統魔の視界は暗澹たる闇の中に沈み、意識も埋没してしまったからだ。
統魔の全身を覆っていた黄金の装束が消え失せ、光輪も消滅すると、味泥中隊の導士たちの武装もまた、消えてなくなる。
統魔が意識を失い、星象現界が解除されたからだろう。
ルナは、統魔の体が倒れないように支えながら、字を見た。字が、ルナの反対側から統魔を支える。
「ありがと、字ちゃん」
「隊員ですから、当然です」
「そうだね、当然だよね」
ルナは、字のいつも通りの反応になんだか嬉しくなって、満面の笑顔になった。屈託のないルナの笑顔には、字も引き込まれるようだった。
ルナも、星象現界を解くと、それだけで立っていられなくなりそうになったから、剣に統魔を任せて、自分は香織に寄りかかった。
「おっと、ルナっち、そこであたしを選ぶとは、偉い!」
「なにがだ」
枝連が呆れるようにいいながら、香織がルナをしっかりと支える様を見ていた。
今回の戦いにおいてもっとも活躍したのは、いうまでもなく、統魔だ。統魔がいたからこそ、彼が星象現界に目覚めたからこそ、味泥中隊は誰一人かけることなく、あの地獄を突破し、地上に辿り着くことが出来たのだ。
統魔の規格外の星象現界がなければ、何人死んでいたのか。
全滅していた可能性も十二分にあった。
もちろん、忘れてはならないのは、ルナの活躍だ。ルナがあのとき、三田弘道に食ってかかったからこそ、統魔が星象現界に目覚めたのではないか、と、枝連は考えていた。
星象現界に目覚めるきっかけは、様々だという。
究極的には、〈星〉を視ることなのだが、そのためのきっかけは、人それぞれなのだ。
修行中、突如として〈星〉を視たものもいれば、感情の激発が引き金となり、〈星〉を視たというものもいる。
統魔は、後者だろう。
感情の激発。
ルナを痛めつけられているのを見ることしか出来なかった自分への怒り、あるいは、三田への怒りが、彼の〈星〉を目覚めさせたのではないか。
枝連は、そんなことを考える。
そして、途方もない疲労感に襲われて、その場に座り込んだ。
見れば、香織もルナを支えながら座り込んでいて、二人して抱き合うような格好になっていた。
「あれが全て統魔の星象現界だと?」
「本当なの? 味泥杖長」
とても信じられないといいたげな蒼秀とイリアの反応に対し、朝彦は、なんだか優越感すら覚えるような気分になった。
「そうでんねん。おれら、皆代くんの星象現界のおかげで誰一人欠けることなく脱出できましてん」
「このカラスに工場で起きた全ての出来事が記録されています」
南が、脱出の最中に回収したヤタガラスを蒼秀たちに提示すると、イリアが手に取った。超小型の自動撮影機は、戦場においてその存在自体を確認するのが困難なほどの小ささであり、イリアの手のひらに収まるほどだ。
戦場自動撮影機の名称通り、遠隔操作せずとも、自動的に戦場の様子を撮影し、記録してくれる優れものだ。当然、味泥中隊の死闘も全て記録されているはずであり、イリアはすぐさま簡易拠点の機材とヤタガラスを接続させた。
イリアが記録映像に当たっている最中、蒼秀は、味泥中隊の隊員の誰もがとてつもない消耗を訴えていることに気づいた。当然だろう。三田と、トロール五百体を相手に戦い、生き延びたのだ消耗もしよう。
「皆、御苦労だった。大空洞調査任務は、予期せぬことの連続であり、生還できたこと自体が奇跡のようなものだが、いまはそのことは考えず、ゆっくり休むといい」
そういうと、蒼秀は、連れてきた部下たちに、味泥中隊の隊員たちを輸送車両まで運び込むように命じた。複数台の輸送車両に分乗すれば、全員、存分に休憩できるはずだ。
後のことは、蒼秀たちとイリアたちに任せてくれればいい。
「凄いわ……皆代くん」
イリアが感嘆の声を上げてきたので、蒼秀も簡易拠点に向かった。そして、幻板に表示された記録映像を目の当たりにして、絶句する。
「これは……」
統魔の星象現界は、まさに規格外というべき代物だった。
武装顕現型、空間展開型、化身具象型という三形式の星象現界を同時に発動しているという時点でとんでもないことなのだが、さらに彼は、星霊を他者に貸し与えたのだ。
十二体もの星霊は、味泥中隊の導士に憑依すると、武装顕現型の星象現界となって機能し、味泥中隊の戦力を大幅に引き上げることに成功している。
それらの記録を見れば、彼らがどうやって生き延びたのかがわかろうというものだったし、興奮とも混乱ともつかない感情が押し寄せてきて、蒼秀は、輸送車両に運び込まれていく統魔の後ろ姿を見遣った。
統魔が精も根も尽き果て、意識すら失うのは、当然の結果と思えた。
三形式の星象現界を発動し、それらを駆使してとてつもない数の幻魔との死闘を勝利に導いたのだ。
そう、とてつもない数だ。
記録映像には、三田弘道と五百体のトロールのみならず、何千体もの幻魔が雪崩れ込んでくる様子が映し出されており、大規模幻魔災害と呼ぶに相応しい地獄のような光景が展開されていた。
そんな地獄をどうにか切り抜けることができたのは、紛れもなく統魔がいたからこそであり、彼が星象現界に目覚めた上、それが途方もない代物だったからにほかならない。
もちろん、ルナの活躍も忘れてはならないのだが。
ルナも、星象現界を発動した。
これには、さすがのイリアも唖然とするほかなかったようだったし、蒼秀も、愕然としたものだ。彼女が武装顕現型の星象現界を身に纏っていたのを目にしているとはいえ、だ。
まるで当然のように星象現界を発動して見せたルナは、一体なにものなのか、と、想わざるを得ないが、そもそも正体不明なのだからなんとも言い様がない。
「四千体以上の幻魔がこの大空洞で製造されていて、それらが一静に襲いかかってきたということか」
「そしてそれらを殲滅して、生き延び、脱出に成功したのは、疑いようもなく皆代くんのおかげよね」
「最高でっしゃろ、おれの弟弟子」
「おれの弟子だ」
「なにいうてまんねん、この放任主義者が」
「……味泥くん、きみが回復したら、少しお話をしようか」
「うう、む、胸が、く、苦しい……み、南、た、助けてくれ……」
「わたしももう動けませんし、助けませんが」
「ひ、酷い……」
がくりと地面に倒れ伏した朝彦を横目に見て、イリアがつぶやいた。
「……あれだけ元気なら問題はなさそうね」
「そうだな」
蒼秀も同感だった。
普段通りに軽口を飛ばし合うだけの気力があるのであれば、消耗の後遺症もなさそうだ。
後は、大空洞内を調査することだが、これには数日かかるだろうと考えられていた。
なにせ、幻魔製造工場である。
人類にとってそれは、紛れもない未知の領域だった。