第四百九十八話 生還
幻魔の製造工場。
そんなものがこの世界に存在していたとは、イリアですら想像したこともなかった。
過去、人工的に幻魔を生み出すための様々な研究が行われ、非人道的な実験も盛んに行われたという記録が残されてはいるが、それらを行ってきたのは、人間である。
この大空洞は、幻魔による幻魔のための施設であり、幻魔を大量生産しているのもまた、幻魔であるらしかった。
そんなものが発見され、いまもなお稼働中だったという事実を知れば、いても立ってもいられなくなるのが技術局であり、情報局である。
イリアは、即座に総長と連絡を取り、トリフネ級飛翔艇・天風の使用許可を得ると共に、大空洞調査隊を編成したのだ。そして、すぐさま飛んできたというわけである。
大空洞調査隊には、技術局第四開発室の面々だけでなく、情報局から選抜された調査員に加えて、第七軍団の導士たちが加わっていた。
現地には第九軍団の導士たちがいることもわかっていたし、味泥中隊が調査中だということも理解していたのだが、大空洞内部の本格的な調査となると、独自の戦力を用意していくべきだった。
第九軍団に負担はかけられない。
そして、現地に到着した結果が、この有り様である。
味泥中隊がトロール製造工場に飛び込んでからしばらくして、連絡が途絶えたのだ。さらに、大空洞の入り口が閉ざされてしまったという。
「穴を開けられないものかと、何度も試したんですが……」
そういって、不安そうな顔色を隠そうともしないのは、皆代小隊の上庄字である。皆代小隊の隊員二名が、味泥小隊の二名とともに簡易拠点にあって、内部調査に赴いた面々の後方支援を担当していたのだ。
ただでさえ、大空洞の調査は困難を極めるかもしれなかったのだ。そんなダンジョンの深部に幻魔の大量生産工場があり、そこで製造されていたトロールたちが動き出した途端に連絡が取れなくなったとあれば、不安に駆られるのも無理のない話だった。
イリアだって、そうだ。
味泥中隊が、五百体ものトロールと、機械型幻魔同様の改造処置を受けた三田弘道を相手にしながら、全滅を免れられるのかどうか、全く想像がつかなかった。
無事を祈ることしか出来ない。
味泥中隊率いる味泥朝彦は、星象現界を体得した煌光級導士であり、第九軍団の杖長筆頭である。その実力は、蒼秀のお墨付きであり、八咫鏡子がいなければ、副長に任命していたと漏らしていたほどだ。
だが、朝彦は、トロール工場に辿り着いたときには、星象現界を発動しただけでなく、力を使い果たしていた。
そこからさらに力を絞り出したとして、星象現界を再度発動するのは困難だろうし、それでどうにかできるとは考えにくい。
防型魔法を駆使して、なんとか生き延びていて欲しいのだが、大空洞内部ではなにが起きているのか、まったくわからない。
イリアは、蒼秀に呼びかけた。
「蒼くん、きみの出番じゃなくて?」
「ああ、そのようだ。試してみよう」
蒼秀は、イリアの提案に頷くと、全身の魔素を魔力へと練成し、さらに高密度に圧縮し始めた。魔力から星神力への昇華を行うことによって、星象現界を発動するためだ。そして、そのためには超高密度の律像を展開する必要が出てくる。
分厚く複雑な多層構造の律像が、蒼秀を中心に展開していく様には、その場にいた誰もがただただ圧倒され、息を呑んだ。
イリアですら、蒼秀の星象現界の発動の瞬間を目の当たりにすれば、言葉を失ってしまう。
それほどに濃密な魔法の設計図が虚空に浮かび上がったときだった。
物凄まじい轟音とともに大地が揺れた。
「な、なに!?」
「まさか」
「幻魔か?」
震源は、大空洞の巨大な穴があった地点であり、その地中からさらに何度となく轟音が響き当たってきたものだから、蒼秀は、速やかに星象現界を発動した。
「八雷神」
蒼秀の全身が眩いばかりの雷光に覆われると、雷光そのものが鎧となって彼の全身を包み込んでいく。蒼秀の星象現界・八雷神は、武装顕現型の星象現界であり、全身を高密度の星神力の結晶によって包み込むことにより、あらゆる能力を飛躍的に向上させるというものだ。
その姿は、神々しく、まさに地上に顕現した雷神の如くだったが、しかし、彼がその力を発揮する必要はなかった。
連続的な轟音が鳴り響く中、激震が地上を襲い、簡易拠点の機材が転倒するほどだった。
蒼秀はすぐさま雷光の結界で導士たちを守ったが、その必要すらなかったことは、すぐにわかった。
大地に無数の亀裂が走り、巨大な岩盤が隆起した。岩盤の底には分厚い金属製の装甲板があり、それによって大空洞を守っていたことが明らかになる。字たちがいくら魔法で穴を開けようとしても、どうにもならなかったわけである。
では、どうやって内部からこじ開けることができたのかといえば、蒼秀には、瞬時に理解できた。
莫大な星神力の奔流が、岩盤や装甲板を吹き飛ばしながら天へと昇っていく。
それはさながら巨大な光の柱そのものとなって聳え立ち、大地に穿たれたわずかばかりの穴を急速に拡大していった。光の奔流はさらに膨大化し、嵐の如く吹き荒んで、大空洞の蓋を徹底的に剥がしていく。
「これは……」
イリアは、ただただ驚愕し、瞠目していた。地中から満ち溢れたのは、星神力だ。星象現界の使い手が身近にいることもあって、見間違うはずがなかった。
魔力と星神力では、その密度、濃度、そして純度が段違いなのだ。まさに次元が違うといっても過言ではなく、だからこそ、星象現界は、圧倒的な力を発揮しうる。
そして、星象現界だからこそ、大空洞の天蓋に巨大な穴を開けることができたに違いなかった。
大空洞の蓋を吹き飛ばした巨大な光の柱の中から、つぎつぎと人影が姿を現してくる。
神々しい黄金の武装を纏った十二名の導士たち。
味泥中隊に編成されていた十二人だということは、一目でわかった。
だが、解せない。
「星象現界……?」
「全員が……か?」
イリアと蒼秀は、互いに顔を見合わせた。
十二人が武装顕現型の星象現界を発現し、だからこそ、トロール工場の苦境を脱したのだとすれば、なにもかも納得が行くものの、しかし、そんなことがありえるのかといえば、天文学的な確率ではないかと想わざるを得ない。
「ちゃうちゃう、ちゃいまんねん、蒼秀はん。これにはふっかあああああい、事情がありましてやね」
そんな風にいつも通りの軽妙な調子で話しかけてきたのは、朝彦であり、彼は黄金の弓を携え、光の輪を背負う姿だった。
その姿は、武装顕現型の星象現界そのものだが、しかし、彼本来の星象現界とは大きく異なるものでもあった。彼本来の星象現界である秘剣・陽炎は、武装顕現型の星象現界だが、それは大剣として具現される。
幻想的な黄金の装束など、彼に似つかわしくないことこの上なかった。
「蒼秀はん、いま、ひどいこと考えましたやろ」
「いや、そんなことはないが……では、これはいったい」
「おれの弟弟子の星象現界ですねん」
「それってつまり蒼くんの弟子よね」
「せやね」
「……わざわざ弟弟子っていう必要あったかしら」
「めちゃくちゃありまっしゃろ。おれが鍛えに鍛えた結果でっせ?」
「……確かに、その通りだな」
蒼秀は、朝彦の我の強さに辟易しつつも、彼の意見の正しさに唸るほかなかった。
そして、光の柱が消えて失せると、穴の底から、黄金に輝く少年と白銀に輝く少女が姿を見せた。
皆代統魔と本荘ルナである。




