第四百九十七話 死の大地
麒麟寺蒼秀は、なんの変哲もない死の大地を睨み付けていた。
空白地帯ならばどこにでも見受けられるような、生気のない、あらゆるものが死に絶えた大地。土も砂もなにもかもが死んでいて、微生物など一切存在せず、生態系も崩壊し尽くした、死の世界。
生きているのは、幻魔と、結晶樹と呼ばれる異界原産の植物だけだ。結晶樹を植物と類別していいのかは、未だ議論の的のようだが。
それ以外に生物はなく、故にこの異形の大地は、どこもかしこも似たような風景なのだろう。
ただし、似ているようで大きく異なるのもまた、空白地帯の特徴である。
なぜならば、空白地帯の地形は、まるでそれが日常といわんばかりに変化する。微々たる変化ならば毎日起きているし、時として、広い範囲の地形そのものが激変することもあった。
そのような激変が起きたのが、蒼秀の目の前に広がっている、いまはなにもない荒野である。
ほんの少し前まで、彼の目の前の広範囲に渡って、巨大な穴があったのだ。
その巨大な穴は、空白地帯の激変とともにその存在が露呈したのだが、元々この地下に埋没していたなんらかの施設だろう。
この異界と化した地上の各地には、旧世代の人類が残した遺構や遺跡、また幻魔が作ったなにかしらの施設などが存在し、空白地帯の黒き大地の奥底に飲み込まれていることが判明している。
空白地帯に稀に出現するそうした遺構群を、戦団は、ダンジョンと総称していた。
大空洞と名付けられたダンジョンも、そうした遺構群の一種であり、地下深くまで続く巨大な穴の内壁に沿う螺旋状の通路と、その脇道のような通路が特徴だということだった。
一度、味泥小隊と皆代小隊によって調査され、多数のトロールが徘徊していたことによって、戦力の確保が必須と判断された。その後、ダンジョンを注視しつつ、必要とされるであろう戦力が整うのを待っていたという次第である。
そして、第九軍団杖長筆頭・味泥朝彦を隊長とする、味泥中隊が編成され、本格的な調査に乗り出したのが今回のことだ。
味泥中隊には薬師小隊、六甲小隊、皆代小隊が編成されており、このうち、薬師小隊、六甲小隊は杖長が率いているということもあり、戦力的には十分過ぎるだろうと考えられていた。
相手が愚鈍なトロールだけならば余裕だろう、とさえ思えたものである。
ところが、だ。
味泥中隊は、ダンジョン内部でトロールの死骸の山を発見した。それも魔晶核を一撃で撃ち抜かれて絶命した死骸ばかりであるということと、その傷口が鳴雷によるものと酷似していることが判明した。
味泥中隊には、蒼秀の弟子が二人、編成されている。味泥朝彦と皆代統魔だ。二人が鳴雷を連想するほどだ。余程そっくりだったのだろうし、統魔は、そこから推理し、一つの可能性を見出している。
それは、〈七悪〉アザゼルが奪った蒼秀の右腕を、なぜかマモンが見せつけてきたことに深く関連している。
つまり、蒼秀の右腕を元にして各部位の生体義肢を生成したのではないか、ということだ。そして、それによって鳴雷を再現したのではないか。
そのためにマモンが八人もの囚人を浚っていったのではないか。
統魔の推論に日岡イリアの推察が加わり、さらにそれが確定的な事実となった。
鳴雷が宿る生体義肢を身につけた人間が、味泥小隊の前に立ちはだかったからだ。〈スコル〉構成員の一人、三田弘道であり、マモンによって連れ去られた囚人の一人だった。
三田弘道の言動は、統魔とイリアの推理の回答となり、マモンが蒼秀の右腕から各部位の生体義肢を生み出していることが知れたのだ。
星象現界を秘めた右腕から、星象現界を秘めた他の部位を生成し、人間に移植する――どうしようもなく想像したくもない事態だが、既に起きていることを否定することは出来ない。
「おれが出るべきだったか」
蒼秀は、起伏のほとんど見受けられない荒野を見つめながら、つぶやいた。
つい先程まで彼の目の前には、巨大な穴があったはずだった。
簡易拠点の監視カメラの記録映像を見れば、その巨大さが想像以上のものだということがわかったし、途方もなく巨大な穴が、凄まじい震動とともに塞がっていく様子も記録されていた。
大空洞は、閉ざされた。
「仕方がないでしょう。誰もこんな事態になるなんて、想定していなかったし、想像しようもなかったんだから」
「返す言葉もないが……」
蒼秀は、聞き知った声を振り返りながら、告げた。この異界に相応しくない白衣を揺らめかせるようにしながら、こちらに向かって歩み寄ってくるのは、日岡イリアである。
葦原市の戦団本部に詰めているはずの彼女がなぜここにいるのかといえば、それほどの事態だからとしか言い様がない。
彼女は、第四開発室での仕事中、味泥中隊の調査に加わっていたのだが、事態の進展に伴い、通常業務を中止せざるを得ないと判断すると、即断即決でここまで飛んできたのだ。
彼女を筆頭とする技術局第四開発室の面々をここまで運んできたトリフネ級飛翔艇・天風の威容が、簡易拠点近くの平地に堂々とあった。
魔法金属製の黒い装甲に覆われた空飛ぶ船は、第四開発室が推進する窮極幻想計画の過程で誕生したものであり、そこにもイリアの才能が遺憾なく発揮されていることはいうまでもない。
「マモンが見せてきたあの映像に手がかりがあったとはいえ、まさかこんなことになるなんてね」
「おれの失態だな」
蒼秀は、右腕を見下ろし、その感覚を確かめるようにした。
光都跡地でのアザゼルとの戦いの中で、蒼秀は、星象現界を発動した。相手は鬼級幻魔である。星象現界を出し惜しむ余裕などあろうはずもない。最初から全身全霊の力を叩き込まなければ、わずかばかりの勝機すら失ってしまう。
だが、そのような勝機など、最初からなかったとも考えられた。
アザゼルは、終始、余裕を持って、蒼秀の攻撃に対応していた。
蒼秀の星象現界・八雷神は、確かに届いた。アザゼルに打撃を与え、重傷を負わせたように見えた。だが、致命傷にもならなければ、魔晶核を傷つけるにも至らない。
それどころか、蒼秀が右腕を切断され、奪い取られてしまったのだ。
しかし、それだけならば、問題にはならない。
片腕を失おうが、片目を失おうが、下半身を失おうが、生きてさえいれば、どうとでもなるのが現代の医療技術であり、魔法医療だ。
蒼秀は右腕を失ったが、すぐさま彼本来の右腕とそっくりそのままの生体義肢を得た。神経接続は完璧で、一切の違和感もなければ、誤差も生じない、完全無欠の義手を手に入れたのだ。
この時代、体の一部を失うというのは、ちょっとした怪我程度のことでしかない。
もちろん、部位によっては致命的なことにだってなり得るのだが、しかし、体の一部が欠ける程度ならば、重傷にすらならないのは、もはや社会的常識といっても過言ではなかった。
だから、蒼秀が右腕を失っても、彼の部下の誰一人として大騒ぎをしなかったのだ。
鬼級幻魔を相手に生き残ったことに安堵こそすれ、その程度の負傷で騒ぐなど、むしろ蒼秀を馬鹿にしていると受け取られかねない。
とはいえ。
「そんなこと、あるわけないでしょう」
イリアは、蒼秀が気にしすぎていることに対して、首を横に振りながら、簡易拠点に歩み寄った。
味泥中隊によって設営された簡易拠点には、味泥小隊と皆代小隊の隊員たちが、青ざめた顔で機材と向かい合っている。
彼らが直面した事態を考えれば、気が気でないのもわからなくはなかったし、イリアも、多少の焦りを禁じ得なかった。
大空洞に蓋がされて、それなりの時間が経過している。
この大空洞がただのダンジョンで、敵がマモンに改造をされた三田弘道だけならばいいのだが、そうではない。
大空洞は、ただのダンジョンなどではなかった。
イリアですら想像したこともないものが、この地下深くに隠されていたのだ。
幻魔の製造工場である。