第四百九十六話 太陽と月
「ルナっちのあれも星象現界……なのかな?」
香織は、下位獣級幻魔オンモラキの群れに向かって長杖を振り下ろしながらいった。杖の先端に輝く巨大な宝玉から雷光が迸ると、とてつもなく大きな球電を形成し、羽をもがれた鶏に見えなくもない醜悪な幻魔の群れを飲み込んでいく。
下位獣級幻魔とはいえ、一撃で消滅していく光景というのは、そう簡単に見られるものではない。それも、香織の意思によって生じた魔法の力が引き起こしている現象だというのが、信じられなかった。
無論、これが借り物の力だということは重々承知しているのだが、それにしたって、と、思わざるを得ない。
圧倒的としか言い様がない力が、満ち溢れてくる。
「どうだろうな」
枝連は、香織が空中の幻魔を相手に戦う傍らで、地上を埋め尽くす獣級幻魔の相手をしていた。火を噴く大金槌を振り回し、その一撃でもってガルムの上半身を魔晶核ごと打ち砕く。すると、金槌が火花を発し、火花の一つ一つが炸裂し、後続の幻魔を次々と飲み込み、爆殺していく。
ただの一撃でこれだ。
魔法を使う必要性すら感じなくなるほどの力。
いや、この武装そのものが強力無比な魔法、星象現界だということは、理解しているのだが。
ルナのそれは、どうなのだろう。
彼女は、人間ではない。幻魔でもないが、人間とは異なる、未知の存在なのだ。そんな彼女が使う魔法の原理は、しかし、人間である枝連たちと全く同じものだ。
であれば、星象現界もまた、同様に発現しうるものなのかもしれないのだが、同時にこうも思うのだ。
そう簡単に真似できてたまるものか、と。
とはいえ、ルナの全身に起きた変化と、彼女の全身から満ち溢れる膨大な魔素質量は、統魔が発する星神力と同質のもののように見えてほかならないのも事実だ。
凶悪としかいうほかない力が、幻魔の群れを蹂躙している。
「まあ、本人がそういうんやったらそれでええやろ」
「そんななげやりな」
「本荘くんから感じるのは、紛れもなく星神力や。星神力はな、魔力を超密度に濃縮し、昇華した状態なんや。それができるのは、〈星〉を視たものだけや。つまり、本荘くんのあれは星象現界で間違いない。武装顕現型のな」
朝彦は、南とともに金銀の矢を次々と番えては撃ち放っている。朝彦の放つ金の矢は、光熱の奔流となり、南が射る銀の矢は、冷光の渦となって複数の幻魔を飲み込み、撃破していく。
霊級、獣級、妖級――低級幻魔と総称される幻魔たちではあるが、その討伐速度たるや、通常では考えられないものだった。
通常ならば、本来ならば、数の上で圧倒的に負けていたのだ。
四千体もの幻魔だ。
数の暴力によって踏み潰され、蹂躙され、圧殺されて全滅しただろう。
あるいは、統魔だけを犠牲にして、十三人だけで脱出したか。
それくらいの戦力差が、いまや拮抗どころか、味泥中隊の圧倒的優勢という有り様だ。
それもこれも、統魔の常識外れの星象現界のおかげであり、そんな統魔の側で白銀に輝く少女の姿は、黄金に輝く彼とよく似合っていた。
「星象現界の大盤振る舞いだね」
緑が苦笑しながら、衣から伸びる魔法の帯で複数体のトロールを締め上げた。そのまま振り回し、周囲のトロールを巻き込みながら粉砕し、さらに圧縮したトロールを放り投げて、獣級幻魔ケルベロスの巨体に激突させる。ケルベロスが唸りを上げ、その三つの獅子の顔で緑を睨んだ。
かと思えば、ケルベロスの全身を火柱が飲み込んだ。その周囲に次々と火柱が立ち上り、ケルベロスに率いられていた下位獣級幻魔、霊級幻魔が巻き込まれていく。
英理子である。
「はあ……どんどん若手に抜かれていくわ」
英理子は、全身に満ち溢れた力をこれでもかと発揮しながら、幻魔の殲滅に勤しんでいた。星象現界は、誰もが発現できるものではない。〈星〉を視ることができた魔法士だけが至ることのできる境地であり、領域なのだ。
長年、魔法士としての研鑽と鍛錬に余念をかかさなかった杖長たちにとって、自分たちよりも経験も実力も低いであろう導士たちに先に星象現界を体得されるという事態は、喜ばしいことではあるのだが、複雑な気分になるのも当然だった。
そうはいっても、だ。
英理子は、幻魔の群れの中に火の雨を降らせながら、いった。
「でも、まあ、それでこの状況を打開できるのなら、どうでもいいけどね」
「そうさ。生きて帰れるのなら、なんだっていいよ」
「まったくその通りやで、お二人さん。皆代くんの星象現界も、本荘くんの星象現界も、調べるのはここを無事に出てからのことや。さすがにこれ以上の幻魔はおらんやろうけど……殲滅しきる前に力尽きたら世話ないからな」
「ですね。皆代導士がくれたこの好機、決して無駄にしません」
普段通りに冷静な朝彦の発言を受けて、南は銀の矢を番えた。この星霊の武装が星象現界に等しい力なのであれば、戦団が導士たちに星象現界の体得を望み、そのために朝彦のよう星象現界の使い手を若い導士たちの指導教官とするのも当然だと思えた。
これだけの力を導士の誰もが使えるようになれば、戦団が幻魔を一掃し、人類復興を成し遂げるのも夢ではない。
無論、その前段階である、全導士の星象現界の修得が夢物語だということは、理解しているのだが。
一方で、統魔は、ルナの瞳の奥に瞬く光を見ていた。それが〈星〉と形容されるものであることは、なんとなく理解できる。
「なんで、星象現界が使えるんだよ」
「〈星〉を視たからだよ」
「……だろうけどさ」
統魔は、ルナが間近で真っ直ぐに見つめてくるから、仕方なく光輪を展開し、彼女の背後から迫ってきていた獣級幻魔アンズーの巨体を薙ぎ払った。巨大な異形の鷲が、断末魔の声を上げながら、落下していく。
幻魔は、それだけではない。
千を超える幻魔の群れが、二人を包囲していた。
この戦場で圧倒的な魔素質量を誇るのは、星象現界を発動した統魔とルナだ。統魔が分け与えた星霊たちも星神力の塊であり、それが十二体も揃えば十分な魔素質量を持つのだが、統魔とルナの二人だけで、その十二体を陵駕する魔素質量を生み出していた。
それはさながら重力のように幻魔を引き寄せ、大量の幻魔が、もはや陣形などかなぐり捨てて、二人に襲いかかってくるのだ。
「いつ視たんだか」
「ずっと、視てたよ」
「ずっと……って」
「だって、統魔はわたしの太陽だもん」
ルナは、統魔のことだけを見ていた。黄金色に輝く装束を纏う彼の姿は、神話に登場する神や英雄よりももっと気高く、美しく、神秘的で、幻想的な存在に思えたが、しかし、そのような空想上の存在とは異なる圧倒的な現実感を伴っていることが、彼女には嬉しかった。
手を伸ばせば、触れることができる。
実際、ルナは、右手で統魔の頬に触れた。統魔が困ったような顔をしながら、周囲から迫り来る幻魔の群れを打ちのめしていく。
光輪が二人の周囲を旋回しながら、カーシーやアンズー、オンモラキといった飛行型の幻魔を切り裂き、灼き尽くすのだ。
さらに統魔は、右手を頭上に掲げた。手の先に星神力を集め、光球を生み出す。まるで小さな太陽のようなそれは、幻魔たちの注意を集めた。そして、統魔が振り下ろすのと同時に解き放たれ、幻魔の群れを飲み込んでいく。
「統魔は、わたしの太陽で、だから、わたしは、太陽の光を浴びて輝く月でいいの。月のように、遠くから、ずっと、太陽を視ていたいな」
ルナは、統魔の瞳の奥に輝く光――〈星〉を見つめていた。きっと、自分の瞳の奥にも同じような輝きがあって、互いに引かれ合っているに違いない、と、確信する。
それが勝手な思い込みでも構わなかった。思い違いでも、勘違いでも、見当違いでも、どうだってよかった。
ただ、統魔のことを視ていたい。
そのためには、これくらいの力は必要不可欠だと想った。
そうすると、力が満ち溢れたのだ。
「月か……遠いな」
統魔がいったのは、軽い冗談だ。だが、それがルナの意識を貫いた。
「そうよ! 遠いわよ! 嫌よ! 太陽と月の関係なんて、嫌すぎるわよ!」
「はあ?」
統魔は、突如として怒り狂ったように叫びだしたルナの反応に呆気に取られるほかなかったし、彼女が背後に浮かぶ三日月を手に取って、幻魔の群れに投げ放つ様を見届けた。
「邪魔しないでよ! もう!」
ルナが放った三日月は、凄まじい速度で回転しながら二人の周囲を旋回し、触れるもの全てを両断していく。
「嫌よ嫌! わたしは統魔の側にいたいの! 太陽と月の距離感なんてぜええええええったいに嫌ああああああああああああああああっ!」
ルナの激情に呼応するようにして、彼女の全身が放つ星神力がその密度を増していく。それは白銀の光を波動として放出し、周囲一帯の幻魔を飲み込み、その魔晶体を粉々に崩壊させていった。