第四十八話 圭悟の戦略
『おおっと、これは、中々に珍しい展開です!』
『実力が伯仲していないと、こうはなりませんね』
『なんと、延長戦です! 対抗戦では極めて稀です!』
「そうなのか?」
天燎鏡磨は、隣の席に座り、緊張した面持ちのまま会場を見遣っている川上元長に質問した。疑問があれば常に彼に聞いた。彼は、天燎高校の関係者のわりには、対抗戦に詳しかった。
校長なのだから当然といえば当然なのかも知れないし、理事長の分際でなにも知らない鏡磨のほうがどうかしているのかもしれない、と、今ならば思えた。
「過去の大会でも何度かはあったようですが、それも予選大会でして、決勝大会での延長戦は、ほとんど記録になかったかと……」
川上元長は、必死になって頭脳を高速回転させていた。
鏡磨が決勝大会を会場で観戦すると言い出したのは、つい先日のことだった。鏡磨は、天燎財団の次期総帥候補であり、常日頃から多忙な日々を送っている。それこそ、彼には休みというものがなかった。それなのに急遽予定を開け、あまつさえ会場の貴賓席を押さえたといわれれば、校長としてはついていかないわけにはいかなかった。
鏡磨が観戦するのは、天燎高校の生徒たちが出場するからであり、その応援のためだ。
であれば、校長の彼が同行しない理由がなかった。そんなことができるわけがなかったし、そんなことをすれば盤石だったはずの立場が一瞬にして危うくなるのは明白だ。
これまで散々対抗戦に不満を漏らし、否定的な立場だった鏡磨が様変わりしたように興味を持つようになった、それ自体はどうでもいいのだ。大切なのは、元長自身の立場であり、身の上だ。それを守る唯一の方法が、鏡磨に逆らわないことにほかならない。
そして、そのために彼は、この数日間、必死になって対抗戦の過去の記録を漁り、様々な情報を頭の中に叩き込んでいた。万年予選敗退の天燎高校のことはともかくとして、決勝大会の情報、記録の類は覚えておいてそんはないだろうし、実際、役に立っていた。
「ふむ。ならば、奮闘している、といえるのかね、我が校は?」
「おそらく……」
「しかし、なんだな。閃球というのは、得点が入らなければ面白くもなんともないな」
「は、はい、その通りで」
「確かに星門際の攻防は白熱しているようだが、一点も入らないというのは、退屈で困る」
鏡磨は、もはや天燎高校への応援もしなくなっていた。
初戦における天燎高校の圧倒的大勝利を見れば、そうもなるだろう。
御影高校との試合において、天燎高校は、十二点もの得点を挙げた。それは対抗戦の歴史に名を刻むほどの大量得点であり、大勝利だった。その勝利には、さしもの天燎鏡磨も昂奮を隠せなかったし、川上元長も我を忘れるほどに喜んだものだ。
もしかしたら、天燎高校は圧倒的に強いのではないか。
競星で一位を飾り、さらに閃球の初戦を大勝で終えたのだ。これで弱い、などとは思いようがなかった。
少なくとも、第三試合となる天神高校との試合が、このようにまったく動きのない、互いに点を取られないことだけに集中したようなものになるなどとは、想定外も想定外だった。
元長は、内心、選手たちにもっと頑張らないか、と叫びたかった。しかし、引率としてついている小沢星奈に連絡したところで、どうにかなるものでもないだろう。小沢星奈は、立場上仕方なく彼らについているだけであって、彼らに指示しているわけでも、監督しているわけでもないのだ。
鏡磨は、退屈そうに欠伸を漏らした。
延長戦は、十分。
先に一点入れた方が勝者になるという競技規則であり、ひりついた展開になることは疑いがなかった。
が、延長戦もまた、両校ともに無得点で終わった。
これには、鏡磨は大きく落胆し、そんな彼の反応を目の辺りにして自分のことのように震えるのが、元長だった。
「これはどうなのだ?
「引き分けたので、我が校には勝ち点一が入りましたが」
「それはいいのか?」
「とても、よろしいかと。閃球の勝ち点と特別点の合計が総合得点に加算されますので、ここから大敗しなければ、優勝に大きく近づくはずです」
「ふむ……ならばいいのだが」
鏡磨は、天燎高校の面々には是非とも優勝して欲しいと考えているようだった。
元長には、彼の考えがまったくわからない。あれほどまでの対抗戦を否定し、憎悪さえしているようだった男が、予選免除権など不要極まりないと言いつのっていた男が、いまや対抗戦に熱中しているのだ。
それではまるで、ただの熱心な教育者のようではないか。
そんな鏡磨らしからぬ姿を横目に見て、元長は戦場に視線を戻した。
引き分けに終わったはずの天燎高校の生徒たちは、意気揚々と引き上げていっている。まるで勝利したかのような有り様だった。
天燎高校にとっての閃球二戦目となる第三試合、天神高校との戦いは、零点対零点のまま前半戦を終え、その勢いを維持し後半戦も終えた。
そして、延長戦となったのだが、これまた無得点無失点で終了となった。
引き分けたのだ。
これは、圭悟の作戦通りの展開だ。
圭悟は、一戦目で想定以上の大量得点をした以上、もはや点を取る必要はないと判断し、選手一同に護りを徹底するように厳命した。
布陣も、超防御型陣形である後衛四名の陣形、結界陣を取り、前衛は法子一人が担当した。さらに、法子にも攻撃にではなく、守備に参加するように呼びかけている。
失点を防ぐこと。
負けないことが重要である、と、圭悟はいった。
そして、なぜ攻撃をしないのかといえば、体力の消耗を限りなく押さえるためだ。
対抗戦は、この閃球の試合で終わるわけではない。
天燎高校の今日の出番こそ、この試合で終わりだが、明日には閃球の二戦、それも強豪校である星桜高校、叢雲高校との試合が予定されている。
そしてなにより、明日には、対抗戦における最大の問題ともいうべき、幻闘が待ち受けているのだ。幻闘の結果が、対抗戦の優勝を決めるといっても過言ではない。対抗戦の歴史がそれを証明している。
幻闘のためにもできる限り余力を残しておきたいというのが圭悟の考えであり、彼の作戦であった。幻闘で圧倒的大勝を飾ることができれば、文句なしに優勝できるのだ。
そのためには、閃球で全力を尽くし、力を使い果たすなど、考えられないことだった。
幸多たちは、引き分けで終わるなり、速やかに戦場から選手控え室へ引き揚げた。真弥たちが皆を出迎える。
「お疲れ様、全部作戦通りだったね!」
「おうよ、なにもかもおれの掌の上だぜ」
「まるで天才軍師みたいだったよ」
「もっと褒めてくれていいんだぜ」
「優勝したらね」
「お、いうねえ」
圭悟は、幸多の頭を思い切りぐりぐりとしながら、上機嫌でいった。幸多は圭悟の予期せぬ行動に驚きつつも、その機嫌の良さに感化されて笑った。
「護りに徹するというのも、大変だったでしょう」
「一度も星門を割られなかったのは、我孫子先輩のおかげだよ」
「皆が頑張ったからよう、わたしはわたしに出来ることをしただけだもの」
「それが素晴らしいということだ、我孫子雷智」
「法子ちゃんってば本当、褒め上手なんだから」
法子に褒められるのが心の底から嬉しいのだろう、我孫子雷智は、法子を抱きしめ、抱え上げて、その喜びを表現した。
そんな風にして、天燎高校の控え室に戻っていく。
控え室に入るなり、幸多は、長椅子に横になった法子に手招きされた。法子は、圭悟の作戦に従い、守備に徹したが、しかしまさに獅子奮迅といっていいほどの働きをしている。
天神高校が一点も取れなかったのは、天燎高校が敷いた鉄壁の守備陣のせいだが、その中核をなしたのは、前衛に配置された法子なのだ。法子が敵の攻勢を尽く崩壊させたのだ。
攻撃する機会はいくらでもあっただろうが、しかし、天神は御影よりも余程守備が堅く、簡単には通せそうにないというのが、休憩中に法子が述べた意見だった。天神から点を取るならば、前衛がもう一人か二人欲しい、というのだが、そんなことをすれば守備が薄くなって点を取られる可能性が増大する。
故に、守備に徹するという圭悟の作戦は正しかった、というわけだ。
幸多は、戦場を縦横無尽に駆け回り、飛び回った法子の体を労り、指圧を開始しながら、蘭と圭悟の会話を聞いた。
「いまのところ、閃球の勝ち点は三、特別点は六点だから、合計九点……このまま行けば、閃球での一位もあり得る点数だよ」
「ま、閃球の順位は関係ねえが……そこに競星の五点と合わせりゃ、十四点か。上出来すぎるな」
「特別点ってなんなのよ?」
真弥が、控え室内の冷蔵庫から飲み物を取り出しながら、怪訝な顔をした。真弥は、あまり閃球に詳しくないようだった。
「得失点差から算出される特別な点数、だから特別点。得点を半分にした数値から、失点分を引いた数値だよ」
「なんで得点を半分にするわけ? 得点から失点を引くだけで良くない?」
「それはそうなんだけど、それだと面白くないと思ったんじゃないかな」
「だれがよ」
「運営に決まってんだろ。突然予選免除権なんて考えて採用して全高校を困惑させるような連中だぞ。特になんにも考えてねえんだよ」
「そういわれると、説得力が凄いわ……」
真弥は、紗江子と手分けして飲み物や食べ物を手配しながら、呆れるようにいった。呆れたくなるのもわからなくはない。
対抗戦は、運営委員会の一存によって、その規則が大きく変わる。それこそ、対抗戦の歴史上、規則変更は些細なものから大きなものまで無数にあり、そのたびに困惑してきたのが参加高校なのだ。
対抗戦の歴史上最も大きな変更は、今年加わった予選免除権だろうが。
「ま、なんであれ、今日のおれたちの出番はこれで終わりだ。あとは、ゆっくりと観戦しておくだけでいいんだから、楽なもんだぜ」
「そういう意味だと、一試合目と三試合目だったのは、よかったかもね」
「五試合目だったら結構しんどかったかもな」
圭悟は、炭酸飲料を飲み干して、大きく伸びをした。
皆、多少なりとも消耗している。
法子や雷智でさえ、消耗を隠せていなかった。
未だ元気が有り余っているのは、幸多くらいのものだったのだ。




