第四百八十三話 ルナ(一)
「はははははっ、絶景だなあっ、これはっ!」
三田は、幻魔製造工場内を見渡しながら、哄笑していた。工場の各所で展開され始めた導士たちと幻魔の戦いに興奮を禁じ得ないのだ。
冬眠装置を解除したことにより、工場内で眠っていた五百体ものトロールが一斉に覚醒したのだ。製造機という名の拘束具を解き放たれた怪物たちは、目覚めの雄叫びを上げ、獰猛で破壊的な大合唱でもって、血で血を洗う闘争の始まりを告げた。
幻魔の生涯は、闘争とともに始まり、闘争によって終わる。
大量生産された消耗品に過ぎない量産型のトロールたちの生涯は、今まさに終わりに向かって始まったのだ
彼らの敵は、すぐ側にいた。
大量の魔力を練成した魔法士たちは、これでもかと己の存在を自己主張しているのと同じだった。
トロールたちの攻撃対象になるのも時間の問題、一瞬の出来事だった。
ずんぐりむっくりした巨人めいた怪物であるトロールたちは、その巨腕を振り回すようにして移動し、地団駄のような足踏みだけで工場の床をぶち抜き、複雑な機構を破壊していく。
トロールの大量生産ほど割に合わないものはないのではないかと思わせるくらいに、工場内各所で破壊活動が行われていたが、同時にその破壊活動は、いくつかの点へと集約され始めている。
それこそ、導士たちが小隊単位で固まっている地点である。
三田は、味泥朝彦率いる中隊が三つの小隊に分かれていることに着目しつつ、適度に攻撃を放った。
三田の居場所は、工場内全体を見渡すほどの高所であり、五百機もの幻魔製造機を操作するための設備が配置されている場所だ。しかし、全てのトロールが解放され、幻魔製造機の尽くが破壊された今となっては、この設備に意味はないだろう。
二度と使えないのだ。
だから、トロールを製造することの価値を考えてしまうのだが、いまは、目の前の敵に集中するべきだろう。
目の前の敵。
味泥朝彦と率いる中隊は、四方八方から怒濤の如く押し寄せてくるトロールの群れに対し、押しに押されていた。
味泥中隊の内、このダンジョン内に突入してきたのは、十四名。味泥小隊から、味泥朝彦、躑躅野南の二名、皆代小隊の四名、薬師小隊の四名、六甲小隊の四名である。
朝彦と南は、すぐさま皆代小隊と合流したものの、それでどうにかなるような状況ではなかった。
トロールは、どこにでもいた。
四方八方、あらゆる場所からトロールの巨躯が津波のように押し寄せてくるのだ。
トロールは、愚鈍だが、戦闘能力が低いわけではない。ただ考えなしに破壊し回ることこそがトロールの最大の武器といっても過言ではなく、その武器は、この状況でも遺憾なく発揮されていた。
破壊の津波が、各小隊を包囲し、覆滅しようとしているかのようだった。
「戦団導士諸君! この絶望的な状況、どう打開するかね!」
「聞かれんでも打開したるわ! ぼけなす!」
「でも、どうするんです? この数、どうにもなりませんよ」
「おれらだけやったら、まあ、半分も斃せたら御の字やな」
「それ、かなり甘く見積もってますよね」
統魔は、朝彦は呼吸を整えながら魔力を練成している様を横目に見て、すぐさま、飛びかかってきたトロールを光魔法で吹き飛ばした。巨躯を跳ね飛ばすだけの威力を込めた魔法は、しかし、致命傷にはならない。
トロールの丸みを帯びた巨体が別のトロールの頭の上から落下して激突したが、それによって下敷きになったトロールはびくともしていなかった。
トロール同士、振り回す腕や足がぶつかり合っているのだが、それが互いの進撃を妨げることはあっても、魔晶体を傷つけることはないらしい。それだけ、トロールの魔晶体が頑丈だということだが。
皆代小隊の周囲には、枝連の防型魔法が展開しており、分厚い炎の結界が六人を守っている。だが、トロールたちは、そんなことはお構いなしに押し寄せてきて、魔力を込めた拳を魔法壁に叩きつけてくるのだ。
一撃一撃が人体を容易く粉砕するであろう打撃の乱打。
時折、枝連が苦悶の声を上げるのは、防壁の維持に全力を費やしているからであり、全方向から殺到するトロールの猛攻を耐え凌ぐのに精一杯だからだ。
「せやな。だいぶ、甘く見積もってる」
「三分の一でも斃せたら御の字ってとこ?」
「この人数じゃあな」
「……蒼秀はんにいうて、もっと人数を集めるべきやったな」
「でも、それは仕方なくないですか? いくらこのダンジョンが大きいからって、これは想像つきませんよ」
「まさか、幻魔の製造工場なんてもんがあるとはな。でもまあ、時間の問題や」
「時間?」
「援軍がここに向かっとるんや。それも、蒼秀はん直々にな!」
「師匠が……!」
統魔は、朝彦のその言葉を聞いただけで生きる希望が沸き上がってくるのを感じた。それと同時に、朝彦がどこか暢気に会話していた理由もわかる。
もちろん、最初から死ぬつもりはなかったが、絶望的な状況であることを否定することもできなかった。
広大な工場内のどこもかしこもトロールが溢れていて、四方八方を囲まれている。逃げようとすれば、三田の攻撃に撃ち落とされるだろうし、先程、ここに飛び込んできた方法を使うのは難しい。
香織のあの魔法は、大量の魔力を消耗するだけでなく、律像の形成にとてつもない集中が必要だ。香織がその準備に入った瞬間、三田が攻撃を仕掛けてくる可能性は高い。
三田が、律像から魔法の内容を正確に読み取れるほどの技量を持っているとは、考えにくいのだが。
「うおおおお、力が湧いてきた!」
「麒麟寺軍団長が来てくれるというのなら、勝ち目はあるな」
「あんな紛い物なんかに、負ける理由ないもんね!」
香織や枝連、ルナまでもが麒麟寺蒼秀直々の援軍という言葉に勇気をもらったようだった。
香織の雷魔法がトロールの振り上げた右腕を吹き飛ばし、枝連の炎の結界が硬度を増す。ルナが、魔法で生み出した剣閃でトロールの巨躯を切り裂けば、統魔の魔法がそこに痛撃を叩き込む。
皆代小隊の連携も、取れてきている。
他の小隊も、トロールの群れを相手に一進一退の攻防を続けていた。
やはり、小隊の要となるのは防手である。防型魔法の使い手である防手が、戦場のど真ん中に築き上げる拠点ともいうべき結界の中でこそ、攻手、補手は役割を果たせるのだ。
このような地獄のような戦場ならば、特に、だ。
薬師小隊も、六甲小隊も、皆代小隊同様に防手を中心とする戦術を組み立てており、魔法の防壁の内側から、トロールの猛攻を捌きつつ、攻撃を行っている。
皆、朝彦の発言を聞いていたのだろう。
絶望的な表情など、誰一人としてしていない。
トロールの数は圧倒的で、こちらの数は余りにも少なく、彼我の戦力差は如何ともしがたい。まともにぶつかり合ってどうにかなるわけもなく、かといって逃げ場もない。
ならば、死力を尽くして戦う以外に道はないのだが、しかし、勝算の見えない戦いほど、絶望的なものはない。
そんな状況にあって、希望の光明がもたらされた。
蒼秀率いる援軍である。
戦団でも最高峰の魔法士の一人である蒼秀が、自ら援軍を率いてここに向かっているというのだ。その言葉を聞けば、勇気も湧き上がろうというものだし、なんとしてでも生き延びようとするものだった。
だが。
三田は、そんな彼らに絶望の言葉を浴びせた。
「残念だが、それは不可能だ。ここにきみたちの援軍が到達するころには、きみたちは息絶えている」
「なんやと」
「もう、閉じたんだよ。大空洞の蓋がね」
「はあ!?」
朝彦が、素っ頓狂な声を上げたときだった。導衣の通信機から反応があった。
『こち――高畑――聞こ――』
「おい、高畑、おい!」
「そんな……!?」
雑音混じりの通信が次第に聞こえなくなっていき、ついには完全に途絶えると、さすがの南も顔面を蒼白にした。携帯端末にも反応がなくなり、どれだけ必死に操作しても、どことも繋がらない。
レイライン・ネットワークが、切断されている。
統魔は、トロールの顔面に光弾を叩き込んで、その後方の幻魔ごと転倒させたはいいが、すぐさま別のトロールが視界を埋めたことに苦い顔をした。トロールの数は、一向に減る気配がない。
五百体ものトロールが、洪水の如くこの工場内を埋め尽くしていて、足の踏み場もない状態だった。
「幻魔の製造工場は、いまこの瞬間、きみたちの処刑場に変わったのだ! 思う存分戦い、胸を張って死にたまえ! 戦団の導士諸君!」
「くそが」
朝彦は、トロールの咆哮すらも上回るような大音声で宣言してきた三田を睨み据えた。
胸を張って死んで行く、とは、戦団総長・神木神威が導士を定義した言葉として知られている。
央都の秩序のため、市民の平穏のため、幻魔殲滅のため、人類復興のため――戦団導士は、胸を張って、死んでいくのだ、と。
三田が用いれば、ただの皮肉、嫌味にしかならない。
「……恨むなら、このような惨状を招いた無能な中隊長殿を恨むんだな」
などと、三田がいったときだった。
「誰を恨むって!?」
怒りに満ちた叫びを上げて、ルナが炎の結界の中から飛び出していったものだから、統魔は、彼女の名を呼んでいた。