第四百八十二話 大空洞の戦い(十)
「そう、ここは幻魔の製造工場だ。サナトス機関が独自に開発した幻魔製造機がここには五百機ある。そして、それら五百機の幻魔製造機は、ご覧の通り、トロールを製造していた。長らく、な」
三田は、味泥中隊の包囲を突破し、広大な製造工場の奥へと辿り着いていた。
製造工場内に並ぶ五百機の幻魔製造機は、互いに干渉し合わないように設置されている。トロールの巨躯が収まった培養器の数々が立ち並ぶ様は圧巻としか言い様がなかったし、嫌悪感も凄まじいものだった。
それら製造機が等間隔に並んだ工場の奥に行けば行くほど、傾斜があり、段差があるようだった。その最奥部にはなにやら機械があり、三田は、それを目指していたのだと誰の目にもわかる。
そして彼は、いまや目的地に辿り着き、機材に触れている。
「なにをするつもりや」
「見てわからないか? こうするのだよ!」
三田が機材を操作した瞬間だった。
工場全体が鳴動したかと思うと、朝彦たちの周囲で物凄まじい音がした。足下が激しく震え、立っているのもやっとという有り様だ。
「なんや!?」
「これは……」
「排水の音?」
「たいちょ、見て見て!」
香織が指差したのは、前方の培養器である。トロールの全身を浸していた液体が急速に失われていき、ついには、なくなってしまった。そして、幻魔の巨躯を培養器に固定していた機具が外され、トロールの巨体が前のめりに倒れていく。トロールは顔面を培養器の壁に強打したことで、閉じていた目を開いた。赤黒い光が、その双眸から漏れる。
そのような光景が、工場内の各所で同時多発的に発生している。
「おいおいおいおい……冗談やないで!?」
「いまさらなに動揺してるんだい?」
「最初からわかっていたことよ。中隊長殿」
「せやからいうたんやろが! 来るなって!」
「でも、来ちゃった」
英理子が悪戯っぽく笑っている間にも、周囲の培養器が割れ、けたたましい音を鳴り響かせた。
「来るべきではなかったな。これでは、せっかくの杖長殿の覚悟が台無しだ」
「はっ、どうだかね」
「この状況を打開すればいいだけでしょう。楽勝よ、楽勝。ねえ、中隊長殿」
「気楽に言ってくれるなあ……ま、せやな。この五百体のトロールと、蒼秀はんもどきを斃せば、それで仕舞いや」
朝彦は、遥か上方でこの様子を眺めている三田を睨み据えながら、言った。五百体ものトロールと戦ったことなど、この場にいる誰一人としていまい。生き延びられる保証はない。
むしろ、絶望的といっていい。
朝彦は、魔力をほぼほぼに使い果たしている。それもそのはずだ。星象現界の発動に多大な魔力を費やし、その後は、生命維持のために魔力を使い続けてきたのだ。
朝彦に残された力は、わずかばかりだ。
「せやけどな。これで一人でも死んだら、ほんまに意味ないからな。だれも死ぬなよ」
「なにいってるんです」
「ん?」
「隊長の代わりに死ねるなら、本望ですよ」
「はっ」
朝彦は、南の真剣そのものの眼差しを見つめながら、冷ややかに吐き捨てた。
「冗談でも、そんなこというなや」
足下の培養器が、破壊された。
トロールが覚醒の咆哮を上げる。幾重もの咆哮は、まるで合唱のように響き渡り、工場内を反響し、散乱する。凄まじいまでに野太く、破壊的なうなり声。
「目覚めが最悪だったんじゃない?」
「だろうな」
「悪い夢でも見てたのかしら」
「幻魔が夢を見るのか?」
「さあ?」
ルナは小首を傾げつつ、統魔の腕に身を委ねた。
倒壊する培養器の上から飛び離れる際、統魔は、ルナを抱き抱えたのだ。香織は枝連の背中に乗っかることで移動の手間を省き、枝連は仕方なしに飛び降りている。
「だが、寝起きが最悪なのは、間違いなさそうだ」
「トロールがああなのは、元々だと思うけど」
「それもそうだな」
統魔は、培養器から飛び出してきたトロールが目の前の培養器を破壊する様を一瞥し、当初の作戦通りに動いていた。
戦闘中、なんらかの混乱が起きた場合は、小隊ごとに固まって動く、というのが戦団の鉄則だった。特に中隊、大隊での作戦行動中には、指示系統が乱れることは少なくない。
そのような状況下で単独で動き回るなど自殺行為にほかならない。
中隊にせよ、大隊にせよ、行動の中核となるのは小隊である。自身の所属する小隊を中心として行動していれば、まず、間違いはない。
その上で、他の小隊と連携を取れるように行動するべきであり、統魔は、そのように飛び回った。統魔の着地点に枝連が香織を乗せて辿り着く。
「行け行けあたしの枝連号! あたしを乗せて、どこまでも!」
「降りろ」
「にゃっ」
雑に放り出されて悲鳴を上げた香織だったが、すぐさま立ち直ったのは、さすがに冗談を言っている場合ではないことを理解しているからだ。
ルナも統魔の腕の中から離れたが、その際、名残惜しそうにしていたのは、彼女の中の恐怖心が沸き上がってきたからだろう。
五百体にも及ぶトロールが次々と咆哮を上げている。
長い眠りから目覚めたことを地上に知らしめんとするかのような雄叫びは、物凄まじい圧力となって統魔たちを襲う。
そこへ、雷鳴が轟いた。
見れば、朝彦が吹き飛ばされていた。
鳴雷。
「敵は、トロールだけではないぞ?」
三田は、悪辣な笑みを浮かべながら、双眸を赤黒く光らせた。
統魔は、朝彦が受け身を取ったことで、彼が致命傷ではないことを理解し、三田を睨んだ。
「借り物の力でよくもまあそんな顔ができるな」
「借り物の力か。確かにな。だが、そんなことをいえば、きみの御兄弟もそうだろう。皆代統魔くん」
「……幸多が?」
「そうだとも。皆代幸多のような完全無能者が活躍していることそれ自体が、借り物の力だろう」
「なにを――」
いうのか、と、統魔は、三田を見据えた。そのときには、統魔の意識は、三田に集中している。三田を斃すための魔法を想像し、地を蹴り、前方に飛び上がってトロールの頭を踏み越えて、さらに跳躍する。
「道化だよ。皆代幸多は、きみ以上の道化だ。窮極幻想計画とやらで強大な力を得ただけの、紛い物のヒーロー。そんなものを喧伝する戦団に未来はないよ」
「輝槍撃!」
統魔は、高空から遥か眼下の三田に向けて、大きく腕を振り下ろした。同時に生じた閃光は、急激に膨れ上がると、一点に収束していくようにして三田へと殺到する。
光り輝く投げ槍のように。
「遅いな」
三田は、嘲笑い、右足を振り払った。軽く振った瞬間に生じた雷光が、光の槍を打ち砕き、そのまま統魔へと到達する。が、炎の壁が勢いの弱まった鳴雷を受け止め、爆散する。
その光景を、統魔は地上で見ていた。香織に強引に連れ戻されたのだ。
つまり、枝連と香織の連携によって事無きを得たということだ。
「すまない」
「本当だよ、もっと誠心誠意謝って」
「ごめんなさい」
「よろしい」
「なんでみんなそんなに偉そうなの」
とはいいつつも、ルナも香織や枝連と同じ気持ちだった。
統魔がなんの指示も出さずに飛び出したものだから、ルナは慌てたのだ。小隊長は、統魔だ。作戦の指示は、統魔が下すものであり、統魔の指示があれば、ルナも幻魔とだって戦える気がした。
だが、統魔は、ルナたちに一切の命令をせず、一方的に飛び出してしまった。その上で、迎撃されかけたのだ。
香織と枝連が怒るのも当然だったし、反省を促すのも必要なことなのだろう。
そうこうしている間にも、周囲ではトロールとの戦いが始まっている。
五百体のトロールの大半が目覚め、手当たり次第に暴れ始めたのだ。
トロールは、ただ歩き回るだけで周囲に被害をもたらすだけではない。人間を見つければ、途端に襲いかかってくるようになるし、人体を徹底的に破壊することでも知られている。
トロールは、愚鈍だが、力だけは一級品だ。
その拳が唸りを上げて工場の床に打ちつけられれば、凄まじい衝撃とともに大穴が開き、壁も機材も破壊され放題だった。
それらのトロールに対応しつつも、三田の攻撃に注意を払い続けなければ、ならない。
トロールだけに意識を割けば、三田に殺されかねず、三田に集中すれば、トロールに殺されかねない。
地獄だ。