第四百八十一話 大空洞の戦い(九)
南は、息も絶え絶えといった状態の朝彦を見ていた。
導士が戦闘時等に装着する導衣には、常に生体反応を監視する機能があり、また、生命維持のための機能も搭載されている。だが、そうした機能の数々も、三田による継続的な攻撃によって故障してしまっているようだ。導衣が壊滅的な被害を受けている。
凄まじい攻撃を受け続けたのだ。
導衣がある程度原型を保ち、朝彦の体がぼろぼろになりながらも息をしているというだけで、奇跡なのではないかと思えるほどの重傷だった。
「かっこつけすぎなんですよ、隊長。まったく、似合ってませんって」
「格好くらいつけさせえや。それくらいしか取り柄ないんやからな」
「格好いいところだけが取り柄って、十分じゃないですか」
「せやねん。おれって、最高やろ」
朝彦は、憤懣やるかたないといった様子の南に向かって、およそ状況にふさわしくないほどの軽口を叩きながら、彼女に抱えらて立っていた。本来ならば立っていることなどできるわけもない重傷だが、持ち前の気合いがそれを成している。
体中、いまにも引きちぎれそうになるような痛みが鈍く重く、断続的に反響しているのだが、しかし、見得を切らずにはいられないというのが、朝彦という人間だった。
だから、朝彦は、いつの間にか全身を包み込んでいた柔らかな光に感謝しつつも、毅然とした表情で、三田を睨むのだ。
朝彦の全身を包む光は、他小隊の補手による治癒魔法だ。
それも、作戦通りだった。
新野辺香織の魔法でもって一気に敵陣に突っ込みつつ三田の注意を引きつけ、南が虚を突いて朝彦を救出する。そして、朝彦をすぐさま治療することにより、戦況は一変するというわけだ。
もっとも、地獄の真っ只中に突っ込んだことに代わりはないのだが。
「この最悪の状況でよく冗談がいえるね。感心するよ」
「本当、この減らず口を縫い付けたいわ」
「おうおう、褒め言葉、ありがとさん」
「誰も褒めてませんって」
南は、朝彦がすぐさま調子を取り戻し始めたことに多少なりとも呆れたし、なんだか後悔するような気分がした。
朝彦の全身の傷という傷が見る見るうちに塞がり、彼の意識を苛んでいた痛みも薄れ始めたのか、血色も良くなっていく。ぼろぼろの髪だけは、戻らないようだが。
三田は、そんな導士たちのやり取りを見聞きしながら、苦笑した。戦況は、なにひとつ変わっていない。人質を取り戻されたが、それだけだ。
むしろ、三田の目論見通りの状況になっているのだから、彼の勝ちに等しい。
「いや、褒めてやるよ。味泥朝彦。おれはおまえを少々見くびっていたようだ。あれだけの攻撃を受けたというのに、いまだ意識を保っていられたというのは、賞賛に値する」
「はっ……」
朝彦は、南の支えから己の体を解放すると、三田を指差した。
「おまえらに褒められても嬉しないわ、あほぼけかすあほ! ぼけ! ぼけ!」
「隊長、語彙力が……」
「せやねん、やばいねん。脳のな、言語野がいかれてもうたんちゃうかって、心配しとんねん」
「だったら、安心だね」
「そうね。少しは静かになりそう」
「なにがですか、心配です!」
いつも通りの軽口を叩いたつもりだった緑と英理子は、南が激憤してきたことに驚きを禁じ得なかった。
普段、朝彦に冷め切った突っ込みを入れているのが、南だ。朝彦への対応は義務的なものだとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしいということがわかると、二人は目配せした。
「ま、それもそうだ」
「わたしたちの大切な中隊長殿をいたぶってくれたお礼、たっぷりしてあげるわ」
「そうだそうだ! お礼参りだ!」
「うむ!」
「許さないから!」
「ああ!」
杖長たちの口上に乗せられてか、香織や枝連、ルナまでもが怒りに満ちた声を発した。皆代小隊の誰もが朝彦の世話になっているという感覚があったし、彼に直接指導を受けてきたことによって確かに強くなったという実感もあった。
朝彦という面倒見の塊のような人物に好感を持たない理由もない。
ルナが好感を抱くほどだ。
香織などは、朝彦との訓練を一番の楽しみにしていて、よく軽口を飛ばし合っては大笑いしていた。
そんな朝彦が瀕死の重傷を負わされたのだ。
統魔でさえ、三田への怒りを募らせていた。
この場にいる全員が律像を展開し、魔法の発動を準備すると、三田が呆れたように肩を竦めた。彼の周囲にも律像は展開しているが、それが防御用の魔法だということは、統魔には一目でわかった。
律像は、魔法の設計図だ。律像を構成する紋様の形状、種類によって、攻撃、防御、補助といった魔法の傾向を読み取ることができた。
ただし、余程単純なものでなければ、瞬時に読み取ることは難しい。
「きみたちは、この状況を理解しているのか? まさか、なんの考えもなしに突っ込んできたわけではないだろう。ヤタガラスだったか。あんな便利なものがあって、利用しなかったというのか?」
「もちろん、存分に使わせてもらったさ。この空間がトロールの寝床らしいっていうのも理解した上で、それでも飛び込んできたんだよ」
「ちゃうねん」
「なにが?」
「ここ、工場らしいねん」
「工場?」
「幻魔の製造工場やねんて」
「はあ!?」
「幻魔の製造工場ってなに!?」
「いったまんまのいみやねんけど……」
「いくら杖長筆頭でもいっていい冗談と悪い冗談の区別くらいはつけて欲しいもんだね」
「そうよ、いくらなんでもそんな質の悪い冗談――」
「彼の言葉に嘘は一つもないよ」
幻魔製造機の蓋の上で口論を始めた杖長たちを尻目に、三田は、導士の包囲の中を歩き始めた。堂々と、我関せずといった有り様で。
「ちょっと待てや!」
「動くな!」
「ちっ……!」
朝彦たちは、そんな三田に対し、攻撃するべきかどうか迷い、結局、舌打ちして見逃すほかなかった。
三田は、悠々と、立ち並ぶトロール入りの培養器の間を通り抜けていく。
そこへ攻型魔法を叩き込めば、当然、培養器にも余波が及ぶだろう。いまや眠りについている多数のトロールが、培養器が破壊されたことによって解き放たれ、覚醒し、暴れ出すかもしれない。
そうなれば、多勢に無勢の数的優位が一瞬にして崩れ去る。
トロールは、妖級幻魔の中でも最低といっても過言ではない知能の持ち主だ。ただ暴れ回ることしか頭になく、目に映るものを手当たり次第に破壊して回るのが、彼らの習性である。
つまり、トロールが一体でも解き放たれれば、この数百体のトロールの内の何体、何十体もが解放されるということだ。そしてそうなれば、連鎖反応的に次々とトロールが解放され、覚醒し、暴れ出すだろう。
そして、最終的には、全てのトロールが味泥中隊の敵となる。
無論、三田もトロールの攻撃対象になることは間違いないが、百体以上ものトロールを斃してきた三田にとって、問題ではないのだろう。
余裕に満ちた歩き姿は、朝彦の癪に障った。が、彼の中の冷静な部分が簡易拠点との通信を優先させる。
「この映像、衛星拠点と本部に送ってるな?」
『はい。衛星拠点には応援要請も送りました。本部からは――』
『幻魔の製造工場ですって!?』
通信機に割り込んできたイリアの大声には、朝彦も顔をしかめた。
「このダンジョンの最奥部――つまりここに、なんちゃら機関っちゅう幻魔の組織の幻魔製造工場があったんですわ」
『幻魔の製造工場……そんな……そんなこと……』
イリアがこの上なく衝撃を受けるのも無理からぬことだったし、それは、朝彦としても同意だった。こんなものがこの世界に存在していたという事実は、戦団の戦略の根幹を揺るがしかねない。
生殖器官を持たず、繁殖力を持たない幻魔は、地道に斃して行けば、殲滅こそ不可能に近くとも、数を減らしていくことは決して無理なことではないと考えられていた。
それこそ、何百年もかかる大事業だが、戦団がその版図を広げ、戦力を増強していけば、いずれは幻魔の総数を減らしていくことそのものは、難しいことではないのではないか。
そう、思っていた。
だが、幻魔の製造工場の存在が明るみになったことで、幻魔の数を減らすということすらも不可能に近いのではないかと、一瞬でも想像してしまうのが、想像力の豊かな人間の、魔法士のすることなのだ。
それを絶望という。