第四百六十七話 大空洞調査任務(一)
大空洞と、命名されて久しい。
統魔率いる皆代小隊が、味泥朝彦の味泥小隊と合同任務を行い、調査したダンジョンのことだ。
空白地帯という異界には、魔素異常が吹き荒れているといっても過言ではない。
いつ何時、どこでも起こり得る魔素異常は、空白地帯の地形そのものに多大な影響を与えるものであり、昨日と今日で景色が様変わりすることが少なくないほどだ。
そして、そんな地形の変化によって突如として出現するのが、いわゆるダンジョンである。
ダンジョンは、かつて人類がこの地に残した建造物の遺構であったり、幻魔の施設であったりする。そして、その大半は、幻魔の住処として利用されているため、ダンジョンは発見次第、内部調査し、棲息する幻魔の掃討に当たることになっている。
そして、大空洞と名付けられたダンジョンも、当初はその予定が組まれていた。
しかし、大空洞の構造の複雑さ、広大さを考えると、たった十名の導士で事に当たるには、少々厄介であると味泥朝彦が判断し、一度撤退する運びになっている。
三十体以上の妖級幻魔トロールが、ダンジョン内部を我が物顔で徘徊していたことが大きい。
トロールがなにやら破壊活動を行うためだけに放たれていたということはわかったのだが、しかし、だからといって放置することはできない。
大空洞内部の破壊活動を終えたトロールが、地上に上がってこないとも限らないのだ。
「トロールがいくら愚鈍やいうたかて、通路から出てくるなりあの穴に落ちてくれるとも限らんしな」
「そんな隊長じゃあるまいし」
「あほかい。おれがそんな小ボケを挟むような男に見えるんか?」
「はい」
「おふ……これまた手酷い反応やな」
味泥朝彦と躑躅野南の軽妙なやり取りは、大空洞の目前で行われていた。
頭上には、不気味といっていい青紫色の空が広がっていて、雲が異様な形をしながら太陽を隠している。そのせいか異常に気温が低く、ルナは統魔に抱きつくことで暖を取っていた。
そんなルナの様子を字がじっと見つめているのを香織が注目している様を、枝連と剣は肩を竦めて見遣っていた。
統魔は、味泥小隊や他の小隊が輸送車両から取り出した機材を配置するのを眺めつつ、今回の大所帯――とは決していいきれないものの――に自分たちがなぜ選ばれたのかを考えていた。
「どこがですか。手酷いなら人格否定までいってますよ」
「おれの人格のどこに否定せなあかんような場所があんねん」
「まずそのカンサイベンからですね」
「なんでやねん!」
「そういうところ」
「これがおれのアイデンティティーやろがい!」
「小さいアイデンティティーですね」
「どこがや!」
「それで、いつまでそのマンザイを聞いていればいいんだい?」
朝彦と南の言葉の応酬に呆れたような口を挟んだのは、今回の合同任務に参加する小隊長の一人である。背が高く、しなやかな肢体を覆う導衣の胸元には、煌光級三位を示す星印が輝いている。鴇色のセミショートヘアと苺色の瞳が美しい女性。
第九軍団の杖長の一人で、名を六甲緑という。
その名からわかる通り、皆代小隊の六甲枝連とは血の繋がりがあり、叔母と甥の関係である。二人の関係性は極めて良好であり、衛星拠点で顔を合わせる度に話し込むほどだ。今回も合流早々、しばらくなにやら談笑していた。
緑は、枝連のことを相当気に入っているようであり、枝連もまた、緑のことを心の底から尊敬しているのだろう。
それはそうだ。
自分の血縁に煌光級の導士がいて、しかも杖長に任命されているのだ。これほど誇らしく、嬉しいことはないのではないか。
「まったくね。いつまで立っても始まらないわ」
「なにをそう急かすねんな。まだまだ準備中やん。焦って突っ込んでも、死ぬだけやで」
「そうね。あんたのようなのが一番早死にするわね」
「なんでそうなんねん。おれのほうが階級は上やぞ」
「階級は、ね」
嘆息とともに頭を振ったのは、今回の作戦に加わったもう一人の杖長である。
薬師英理子という。同じく第九軍団所属の彼女は、当然のように煌光級三位を示す星印を胸元に輝かせている。身長は低いものの、鍛え上げられた肉体の持ち主であることは疑いようもない。狐色の頭髪をツーブロックにしていて、見た目には厳つい印象を受けるし、言葉も強いこともあり、ルナが統魔にさらに強く抱きつくのも無理はない気がした。
山葵色の目がそんなルナを一瞥したのは、わずかな反応をも見逃さなかったということなのだろうし、ルナを注視していることの現れだろう。
杖長ともなれば、ルナの正体を知っているのだ。
無論、その正体というのは、彼女が人間でも幻魔でもない、未知の存在という意味だが。
結局、ルナの正体は不明のままだったし、このまま解き明かされないのではないかとさえ思えてきていた。
そして、それでもいいのではないか、と、統魔は、思うのだ。
ルナは、皆代小隊の一員として、戦団の導士として、日夜、鍛錬と研鑽に励み、任務に勤しんでいる。戦うことを恐れ、幻想空間での訓練でさえ人を傷つけたくないという考えだった彼女が、しかし、いまや幻魔との戦闘にも身を投じているのだ。
ルナがなにものであれ、もうどうでもいいことではないか。
無論、その正体が明らかになることは、悪いことではないだろう。彼女自身、自分が何者なのかを知れるということは、安心に繋がるかもしれない。
しかし、いまは、そのことを考えるよりも、目の前の任務に全力を注ぐべきだった。
目の前の任務。
この大空洞調査任務である。
一度目の調査では、構造の複雑さ、広大さ、そして徘徊する幻魔の多さにより、途中で調査を打ち切るという決断をせざるを得なかった。
確認できただけで三十体ものトロールがいたのだ。
朝彦が星象現界を発動すれば、三十体のトロール如き圧倒し、殲滅出来たに違いないのだが、そうしなかったのは、このダンジョンがとにかく複雑な迷宮そのものであり、奥深くになにがあるのかわかったものではないからだ。
十分に戦力を整えた上で、再度内部調査を行うべきだという朝彦の結論に異論は出なかったし、統魔たちも彼の冷静な判断を支持した。
そして本日、大空洞の発見から随分と日数が経過して、ようやく、二度目の調査に至ったわけである。
それもこれも、最近になって衛星任務が多忙を極め、調査人員の確保に時間がかかったからにほかならない。空白地帯の様々な場所で幻魔が確認され、それらの討伐に人員を割り当てなければならなかったし、そのために巡回に割り当てる人数も増やす必要が出ていた。
やっとの想いで大空洞の調査に必要なだけの人数を揃えることができたのが、今日である。
八月二十日。
つい先日、葦原市では大事件があったばかりだが、衛星任務中の統魔たちには、ほとんど関係がなかった。
無論、葦原市が大混乱に陥り、市民に被害が出るようなことになれば、無関係とはいえないのだが、しかし、物理的に干渉する事ができないのだから、どうしようもない。
統魔たちは、事件が無事に解決することを信じるしかなかったのであり、それは衛星任務に当たっている全ての導士にいえることだった。
そして、事件が解決するなり、幸多が閃光級二位に昇格したという話を聞き、統魔は興奮したものだが、同時に歯がゆさも覚えた。
統魔は、足踏みをしている。
輝光級二位に上がってからというもの、全く以て昇級昇位の機会が訪れていない。
様々に任務を重ね、実績を積み上げているというのにだ。
一体、なにが足りないというのか。
そんな統魔の苦悩を知ってか、朝彦がいってきたことがある。
『星や』
朝彦は、この空白地帯のどんよりとした夜空に瞬く一番星を指差しながら、にやりとした。
『まずは、己の中の星を見出すことやな。そしたら、自ずと上に上がれるわ』
朝彦は、統魔の実力を認めていたし、統魔ならば必ずや煌光級に上がり、いずれは星将になれることも確信していた。
だからこそ、目にかけ、度々訓練に誘っては、徹底的に叩きのめしてきたのだ。
統魔も、そんな朝彦の期待を感じている。
そして、今回の調査に皆代小隊が場違いに参加している理由もそこにあるのだと、実感として把握していた。
統魔は、なんとしても朝彦の期待に応えたかった。
いや、絶対に応えなければならないとさえ、想っていた。