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第四百六十六話 魔暦二百二十二年八月二十日(三)

 幸多こうたは、道場の床に寝そべっていた。

「むう……」

 特殊合成樹脂製の床板は、夏の気候など忘れさせるようにひんやりとしている。いや、この気温の低さは、伊佐那いざなけ家本邸全体に仕組まれた魔機まきが温度を調整しているからだが。

 それにしたって、上がりきった体温には心地よい冷ややかさだと思うのだ。

「なにが、むう、なんだ?」

 真白ましろが、床に突っ伏したまま動かない幸多を見遣みやりながら、問うた。

「まったく、出し抜ける気配がしないのはどういうことなのかと考えてるんだけど」

「誰を出し抜くのよ?」

「まさか、美由理みゆり様?」

「冗談だろ」

「そのまさかだけど?」

 幸多は、むしろ皆の反応のほうにこそ、驚きを禁じ得ないという顔をした。

 幻想空間での訓練を終え、現実世界に戻ってきた幸多たちを待ち受けていたのは、現実世界での鍛錬であり、肉体を徹底的に扱き上げるための鬼のような猛特訓であった。

 戦団印の運動服によって搾り出された汗という汗が全身を伝って床にこぼれ落ち、水溜まりを作っている。

 水分を欲するが、動き出そうにも動き出せない。 

 特に幸多は、酷かった。

 他の六人以上にしごかれたのは、幸多の体質が故のことだ。

 幸多以外の六人には、魔法がある。身体能力以上に魔法技量の強化に重点を置くのは当然の判断だろう。それでも肉体そのものを鍛えることは決して無駄ではないという美由理の実体験に基づく持論によって、彼らもこの強化訓練に勤しみ、疲れ果てている。

 しかし、幸多の頭脳は常に回転していて、今日の幻想訓練のことを考え続けていた。美由理との七対一の訓練である。結局、美由理に一勝も出来なかったのは、美由理が常に星象現界せいしょうげんかいを発動していたからにほかならない。

 美由理の星象現界の前では、魔法士たちは無力化されてしまう。

 義一ぎいちたちは、なにが起こったのかわからないまま撃破されて戦闘を終え、これでは訓練にならないのではないかという声が上がったほどだ。

 故に、美由理は時間静止を解き、戦ってくれたのだが。

 美由理の星象現界・月黄泉つくよみが、時間を静止するという強力無比どころか筆舌ひつぜつに尽くしがたい特別な魔法だと言うことは、真白たちもとっくに知っている。

 幸多が教えたからにほかならないが、それを知ったところでどうにもならないという事実は、何度とない訓練の中で心身に刻みつけられるようにして理解したものだった。

 時間を止められてしまえば、なにもできない。

 美由理も、時間静止中に出来ることは限られているが、その限られた手札を使えば、七人中六人を一掃することは容易く、時間静止の効かない幸多をねじ伏せるのも簡単なことだった。

 星象現界を発動中の美由理には、手傷一つ負わせられないのだ。 

 星象現界の発動は、なにも極めて強力で特別な魔法を発動するというだけではない。

 魔力をさらに上の次元へと昇華することによって得られる星神力せいしんりょくは、その魔素密度、濃度、質量全てにおいて魔力の比ではないのだ。

 星象現界発動中の美由理の魔法は、通常時の魔法と比較しても圧倒的な威力を誇っており、手加減めいた一撃ですら幸多たちを撃滅げきめつした。

 それほどの力を発揮できるのが星象現界だが、難点もある。

 継続時間と、その反動である。

 星象現界は、使用者の全身の魔素という魔素を限界まで圧縮し、練成した魔力をさらに極限に凝縮することによって昇華と呼ばれる現象を引き起こす必要があるという。

 それはつまりどういうことかといえば、昇華によって誕生した星神力が尽きれば、その瞬間、全身の魔力が尽きるということだ。

 とはいえ、生命の維持に危険が及ぶような状態ではない。人体が無意識に生命維持に必要なだけの魔素は確保しているし、魔素の生産は、常時行われているものだからだ。

 だが、星象現界を発動するのは、通常、戦闘時である。それも、星象現界を発動しなければならないほどの脅威と対峙している状態であり、鬼級幻魔おにきゅうげんまか、多数の上位妖級幻魔を相手にしなければならないときだ。

 そんなとき、星象現界が解除されればどうなるか。

 紛れもなく、術者の命の危機である。

 精も根も尽き果てた状態では、如何に星将せいしょうといえども、低級幻魔にすら命を奪われかねない。

 だからこそ、星象現界の使いどころというのは考えなければならず、どんなときでも星象現界を発動して解決すればいいというわけではないのだ。

 大規模幻魔災害を制圧するために星象現界を使った結果、鬼級幻魔と対峙する羽目になったら、どうなるか。

 星象現界は、圧倒的な力を得る戦団魔法の奥義だが、必ずしも鬼級幻魔と対等に戦えるわけではない。星象現界の使い手が複数名いて、ようやく鬼級幻魔を陵駕りょうができるかもしれない、というくらい、鬼級幻魔の力は強大無比なのだ。

 幸多の悲願は、鬼級幻魔サタンの討伐だ。

 サタンが〈七悪しちあく〉という鬼級幻魔集団の頭目であることは、明らかだ。そしてそれは、サタンが他の鬼級幻魔よりも遥かに強大な力を持っていることを証明している。幻魔にとって力が全てであり、力以外に従う理由がないからだ。

 力こそ全て。

 幻魔の習性と生態がそれを示している。

 サタンをたおすためには、星象現界発動状態の美由理に傷ひとつつけられずに負けている場合ではないのだ。

 もちろん、いますぐ、今日明日明後日にサタンと戦えるわけもなかったし、幸多にそのような機会が訪れると断定できるわけもない。

 幸多の知らないところで、星将たちの共同作戦によって討伐されたとしても、仕方のないことだったし、むしろ、当然といってもよかった。

 幸多は、閃光級二位の、下級の導士に過ぎない。

 まだまだ頼れる戦力に数えられてはいないだろうし、期待されてもいないのではないか。

 この夏合宿に参加しているほかの誰よりも期待されていないことは、幸多自身が一番よく理解していた。幸多が参加できているのは、発案者である美由理の弟子であり、美由理がその権限によって参加させてくれたからにほかならない。

 本来ならば、この導士強化訓練に参加する資格すらなかったのではないか。

 幸多は、ようやく体温の落ち着いてきた体を翻して、仰向けになった。道場の広い空間が視界に入り込んできて、天井照明の柔らかい光がなんだか心地よく感じられた。

「美由理様を出し抜くったって、どうすりゃいいんだか」

「まず兄さんが囮になって」

「それで散々失敗してんだろ。挙げ句、おれがいないからすぐさま全滅してんじゃねえか」

 黒乃のどうでもよさそうな提案には、真白がすぐさま食ってかかった。そうなのだ。真白を囮にする戦術は、尽く失敗に終わっている。

 真白は、防手ぼうしゅである。防型魔法ぼうけいまほうの使い手であり、故に敵の目を引くことも重要な役目だ。

 防手が先んじて敵の攻撃を一手に引き受け、その間に攻手こうしゅが集中砲火を浴びせるというのは、小隊における基本戦術だ。

 だが、それによって防手が落とされれば、小隊全体の防御能力が低下するのが難点だった。

 美由理との死闘においては、特に。

「防型魔法は、わたしも得意だけど」

「あれで得意って、どういう価値観してんだ?」

「なによ? 学び始めたばかりなら十分でしょーが!」

「そうよそうよ、友美ともみは頑張ってるわ!」

「頑張って勝てるなら、文句はないけどな」

「むー」

「うー」

「なんだよ。正論……だろ?」

 隆司りゅうじは、金田かねだ姉妹に睨みつけられて、義一に助け船を求めた。

 義一は、といえば、いつの間にか道場に入ってきていた奏恵かなえから飲み物を受け取っていて、こちらの話など聞いていないようだった。

「皆さん、お疲れでしょう。飲み物、食べ物、なんでもありますからね」

 奏恵の押してきた台車には、確かに様々な種類の飲み物が並んでいたし、食べ物も色々と用意されていて、先程まで道場の床に寝転んでいた全員が跳ね起きて、台車に群がった。

 幸多だけは、その様子を眺めながら、運動服のポケットから携帯端末を取り出していた。訓練中から端末の鳴動が気になってはいたのだが、さすがに覗き見ている暇はない。

「あ」

 端末の表示板に通知されている名前を見た瞬間、それがなにを意味するものなのかを察した。

 砂部愛理いさべあいり、と、表示板には通知されていた。

 きっと、合格したのだ。

 星央魔導院早期入学試験に。

 幸多には確信があったし、だから、彼女からの報せを開くまでもなく感動で胸が一杯になるのだった。

 そして、報せには、巨大な文字で合格の一文があり、続いて、愛理からの感謝の言葉が洪水のように押し寄せてきたものだから、幸多は、泣いたらいいのか笑ったら良いのか、わからなくなってしまった。

 そんな幸多の様子を見ていた真白たちは、彼が突然泣き笑いの表情をしたものだから、すぐさま駆け寄った。

 美由理対策を考える余り、幸多がおかしくなってしまったのではないかと思ったのだ。


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