第四百六十四話 魔暦二百二十二年八月二十日(一)
八月二十日は、特別な一日であるということをこのほとんど一ヶ月近く代わり映えのしない景色の中で考えているのは、自分くらいではないか、と、幸多は想うのだ。
夏合宿こと導士強化訓練が始まったのは、七月の末ことだ。以来、日曜日を除く連日連夜、様々な訓練を通して、個々の導士としての能力の強化に努めている。
参加者の誰一人として音を上げていないどころか、より厳しく、激しくなっていく訓練に対し、さらなる熱量を以て挑んでいる。
誰もが、だ。
義一も、金田姉妹も、九十九兄弟も、隆司も、そして幸多も、この合宿に参加している七名のうち、一人として脱落者は出ていない。
皆、この短期間で魔法技量を高めるだけでなく、相応以上に身体能力を向上させることに成功しており、幸多と組み手をしても、それなりに戦える程度にまでその戦闘力を引き上げていた。
合宿が始まった当初は、魔法を使わない組み手ならば、幸多が圧勝だった。幸多の身体能力に誰一人ついてこれなかったし、対応できなかったのだ。目で追うこともできなければ、一切の反応もできないまま、完封された。
それがいまや、多少なりとも反応できるようになったのだから、合宿様々だろう。
肉体的、精神的な成長も著しいが、座学によって戦団のなんたるかを学んだことも、大きい。基本的な知識から徹底的に叩き込まれたことによって、小隊編成の重要性、集団行動の必要性も十二分に理解した。
単独で幻魔と戦うことの危険性については、誰もが頭では理解していたことではあったのだが、しかし、数多の優秀な導士がひょんなことで命を落としてきたという実例を挙げられ、記録映像を見せつけられれば、考え方そのものに変化も生じようというものだろう。
幸多たちは、この合宿でとんでもなく成長したような実感を覚えていたし、実際、その通りである、と、美由理も認めてくれていた。
「だが、まだまだだ。きみたちに求めるのは、星象現界の体得。星を掴むことだ。しかし、それは生半可なことではない。この合宿期間中に誰か一人でも掴み取れたのであれば上出来で、誰一人として星象現界を発動できなくとも、なにも悔やむことはない。それこそ、当然なのだから」
幻想空間上に展開する死の大地の真っ只中で、美由理は告げた。
合宿参加者七名の著しい成長そのものは、目を細めたくなるくらいのものであり、輝かしく、眩いものだ。七人は、互いに協力し、互いに意地を張り合い、互いに励まし合って、ここまで来ている。
切磋琢磨とはまさにこのことで、七人の参加者の相乗効果は、美由理の想像を遥かに超えるものだった。
幸多と義一以外の五名が合宿参加者として選出された理由が、これほど明確なものとなって理解できることはなかった。
才能があり、実力もあり、しかし、どこかに難点を抱えているが故に伸び悩み、軍団長たちが頭を抱えていた人材たち。
それら人材の人材たる所以が、この短期間の合宿で開花しつつある。
夏合宿最大の目標は、参加者の星象現界の体得だが、それそのものは目標であって、目的ではない。目的は、参加者たちの育成である。そして、目的は、叶いつつあり、想像以上の速度で導士たちが成長していることは、美由理の目にもはっきりとわかるほどだった。
少なくとも、義一と幸多を除く五名が灯光級に収まる器ではないことは、明らかだった。
だからこそ、さらなる特訓を貸すのだ。
八月二十日火曜日。
一部の人々にとっては極めて特別で大切な日。
しかし、平日であり、合宿の休養日ではない。
美由理は、眼下に横たわる黒々とした大地を見下ろしながら、合宿参加者たちの爛々《らんらん》と輝く目を見つめている。
この幻想空間は、空白地帯を模した戦場である。
空白地帯Bと命名される幻想空間は、葦原市の北西部、出雲市の南西にして大和市の北東部に横たわる空白地帯を元にして構築されている。
葦原市北西部に大きく横たわる岩見山と、出雲市地祇町南西部に聳える地祇山のちょうど狭間の地とでもいうべき戦場であり、半ば死に、半ば再生している山の外観というのは、奇妙としか言い様がない。
幸多は闘衣を、それ以外の六名は導衣を纏い、法機を手にして美由理と対峙している。
美由理は、空中から七人を見下ろしているのだが、太陽もなければ雲一つ見当たらない空にあって、美由理の姿はよく目立った。
「当然だってさ」
「はっ、冗談じゃねえっての」
黒乃が発破をかけると、真白が憤然と息巻いた。法機を突き上げて、上空の美由理を睨みつける。
「こんだけぼこぼこにしておいて、いまさら諦めろってのかよ!」
「諦めろとはいっていない。この短期間で星象現界を発動できたのであれば、それは戦団史に残る天才だといっているんだ」
「……なるほど」
「あ、納得した」
真白の反応に対し、一々黒乃がぼそりとつぶやくのが面白くて、幸多は笑わないように必死にならなければならなかった。この合宿期間中、九十九兄弟の関係性も多少、変化している。
以前は、真白の強気すぎる言動に振り回されるだけの黒乃だったのだが、今は、それだけではなく、強かに真白をけしかけたりするようになっていた。
「それってつまり、おれのことじゃん!」
「え?」
「おいおい?」
「はあ?」
「へ?」
その場にいる全員がきょとんとしたのは、突如として真白が大地を蹴って飛び出したからだ。叫び声を真言として魔法を発動させると、一瞬にして高速飛行状態へと移行し、美由理へと突っ込んでいく。
美由理が、導衣を翻し、虚空を撫でるような仕草をした。周囲には膨大な律像が展開していて、その密度だけで気圧されてもおかしくはないほどだった。それが星将の圧倒的なまでの魔法技量の為せる業だということは、この合宿期間中に身を以て理解したものである。
だが、真白は、突っ込んでいく。彼の周囲にも当然のように律像が展開している。複雑というよりは極めて単純な、しかし幾重にも構築される律像がなにを意味するのか、幸多にもはっきりと理解できている。
律像は、想像力の片鱗だ。
魔法の設計図そのものが、魔力の干渉により無意識的、自動的に出力され、周囲に投影されてしまうものだ。
つまり、全く同じ魔法ならば、全く同じ律像が描き出されるということであり、この一ヶ月、真白の様々な魔法を見てきた幸多にも、彼の律像と魔法が紐付いたのだ。
「光の鎧!」
「陸百参式改・雪月花」
真白の魔法が発動するのと、美由理が真言を唱え終えるのはほとんど同時だった。法機を駆って飛翔する真白の全身を眩い光が包み込み、まさに魔法の鎧を一瞬のうちに構築していく中、美由理の魔法が炸裂する。
猛然たる吹雪が、突貫してくる真白を飲み込み、爆撃したのだ。膨大な魔力に基づく吹雪は、その一粒一粒が真白の鎧に直撃する度に花を咲かせ、さらなる打撃を叩き込んでいく。
「うおおおおおおおおお」
真白が咆哮を上げながらあらぬ方向に吹き飛ばされていくのは、当然の結果としか言い様がなく、幸多たちは、しばし呆然とした。
「まるで幸多くんみたいだったね」
「そうだね」
「否定しろよ」
「いやあ」
幸多は、真っ先に突撃する癖があり、そこを突っ込まれると反論の余地がなかった。
「確かにたった一人でも星象現界を体得してくれれば、それだけでこの合宿の価値は否応なく高まるが、だ。きみたちに求めるのは、導士全体の能力の底上げだ。あのような作戦も戦術もなにもありはしない暴走の結果、命を落とすようなことがあっては、合宿の意義が問われることはわかっているな?」
美由理は、遥か彼方で氷漬けになった真白を見遣り、それから、地上の導士たちを見下ろした。