第四百六十三話 火種(七)
「つまりこれは、麒麟寺軍団長の右腕で、マモンはその右腕を使ってなにかをしようと企んでいるということか」
神木神威が眉根に寄せた皺を殊更に深くしていく様を、伊佐那麒麟は、横目に見つめていた。
戦団最高会議が開かれるのは、今年に入ってから、何度目になるのだろうか。
例年以上の頻度で開催されているのは、それだけの大事件が頻発しているからにほかならない。
虚空事変、天輪スキャンダル、機械事変、〈スコル〉事件――大規模幻魔災害のみならず、様々な形で、この央都の社会秩序を乱す事件が起きている。
その間には、日常の一風景のように幻魔災害が起きているわけであり、戦団の導士たちは、休まる暇もなく働き続けている。
とはいえ、戦団最高幹部の全員が顔を揃える機会など、そうあるものではない。
今回の最高会議だって、全員が参加しているわけではなかった。
特に衛星任務中の軍団長は欠席が目立っている。
どうやら空白地帯でも幻魔の活動が活発化しているようであり、各地で幻魔の存在を確認し、戦闘が繰り広げられているという報告が入っていた。
幻魔災害が頻発するようになって、久しい。
最初は、それがどういう理屈によるものなのか、全くわかっていなかった。
それが特別指定幻魔壱号ダークセラフの暗躍によるものだということが判明してからは、ダークセラフ打倒のために全力を上げてきたが、全て空振りに終わっている。
ダークセラフがサタンという名の鬼級幻魔であり、徒党を組み、その名を〈七悪〉と呼ぶということが判明したのは、つい先日のことだ。
そしてそれによって明らかになった、特異点という言葉と、存在。
そのことは、今回の会議の議題になっている。
麒麟は、神威を含む数名の幹部とともに本部棟大会議室の座席についており、室内に無数に浮かぶ幻板のうち、もっとも巨大な幻板に目を遣った。
そこについ数時間前、伊佐那美那兎ら情報局魔法犯罪対策部によって行われた長谷川天璃の潜心調査によって得られた情報が表示されているのだが、それは驚くべきものだった。
なにせ、潜心捜査中にマモンが接触してきたのだ。
まるで、皆代幸多の記憶を覗き見たときのように、だ。
そしてマモンは、二つのことを伝えていった。
その一つが、この巨大幻板に大写しにされた培養槽の中の腕である。隆々と鍛え上げられた人間の右腕。生半可な鍛え方では決して到達できない領域にあるそれは、星将のものだと知れれば納得も行くだろう。
『アザゼルがおれの右腕を奪い取ったのは事実ですが、しかし、わざわざ幻魔が人間の腕を再利用しようとするものでしょうか?』
麒麟寺蒼秀は、いまや完全に肉体と同化した生体義肢の右腕に触れながら、幻板越しに発言した。確かにあの幻板に表示されている右腕は、彼自身の右腕である。アザゼルによって切り取られ、奪い去られたはずの右腕。
そのまま消去されて然るべきはずのものが、どうして存在し、利用されようとしているのか、彼には想像もつかなかったし、寝耳に水の話だった。
「マモンは、機械型幻魔の親玉よ。本来、幻魔と機械は相容れないもの。幻魔は、機械の存在を無視し、黙殺するのが普通だもの。例外を除いてね」
といったのは、大会議室の片隅に腰掛けた日岡イリアだ。
彼女の言う例外とは、魔機を大いに利用し、勢力拡大を図った鬼級幻魔リリスのことを指す。リリスは、ノルン・ネットワークを最大限に活用しており、そのことからも幻魔の中でも例外中の例外と呼ばれている。
だが、そのおかげで戦団はノルン・ユニットを発掘することができたのであり、活用できているのだから、リリスにはある意味では感謝してもいいくらいだった。もっとも、リリスによって数多くの同胞の命が奪われたという事実の前には、そのような感情は全く沸き上がらないが。
「人間の、それも極めて高度な魔法技量を持つ麒麟寺軍団長の右腕を解析することで、幻魔の改造に役立てているのかもしれないし、あるいは……」
「あるいは?」
「今回、消失した囚人たちとなにかしらの関係があるかもしれません」
「ふむ……」
「囚人たちか」
上庄諱が、苦い顔でつぶやき、手元の端末を叩いた。
幻板に新たな情報が表示される。
潜心調査中のマモンとの接触が終わった直後、捜査対象の長谷川天璃が姿を消した。それだけで大騒ぎになったものだが、問題は、それだけではなかった。
長谷川天璃が収監されていたのは、央都政庁警察本部内の留置場だが、同留置場内から近藤悠生を含む〈スコル〉構成員六名が姿を消していた。
さらには、天輪スキャンダルの主犯として投獄されていた天燎鏡磨の姿も、だ。
「マモンの接触後、突如として姿を消したのは、全部で八名。〈スコル〉の関係者が長谷川天璃、近藤悠生、島本香純、北江重吾、田中研輔、高田享平、三田弘道の七名。そして、天燎鏡磨」
諱が出力した情報には、当時八名がどのように収監されていたのか、監視カメラの映像記録とともに表示されている。長谷川天璃を除く七名は、天璃の消失と同時に、自身の影に飲まれるようにして姿を消していた。
天璃自身がそのように姿を消したということは、記録映像を確認することで判明したのだが。
つまり、全員が同じ方法で収監先から同じ方法で移送させられたということになる。
「〈七悪〉が空間魔法を自在に操ることは既知の事実だが、しかしな……」
「彼らはただの囚人です。力などありはしませんし、戦力になどなろうはずもない。利用価値があるようには思えませんが」
麒麟の辛辣な意見は、しかし、ごくごく当然のものとして最高幹部に受け入れられていた。
空間転移後に観測された固有波形は、いずれも、マモンのものであり、マモンが空間転移魔法によって囚人たちを別の場所――おそらくは闇の世界という〈殻〉だろう――に転送したのは間違いなかった。だが、そこに疑問が生じる。
彼らのどこに利用価値があるのか、という疑問である。
この八名の中で魔法士として優秀なのは、長谷川天璃くらいだ。天燎鏡磨は、様々な分野で優秀な成績を残していて、経営者としては有能な人物といえるが、戦力には数えようがない。近藤悠生も技術者としては、戦団が欲するほどの腕前だが、それだけだ。
〈七悪〉が戦力として利用しようとするほどの実力を持っているわけがなかった。
「……だが、マモンが彼らを使い、なにかを企んでいるのは事実だ。それが特異点に関することだということもな」
神威は、幻板に表示されたマモンの姿を目に焼き付けるように睨み据えながら、いった。
〈七悪〉の行動理念は、意味不明であり、混沌そのものといっても過言ではない。
昨日の〈スコル〉事件も〈七悪〉絡みだったが、それだって理解不能に近い。成功する確率は極めて低く、十中八九、いや、百パーセントに近い確率で失敗することがわかりきっていたはずだ。
それなのに〈七悪〉は強行し、結果、失敗に終わっている。
それでも構わない、といわんばかりだ。
双界に混乱を撒き散らすことさえできればそれでいい、とでもいうのだろうか。
〈七悪〉が揃えば人類は滅ぶ。
彼らは、そう宣言した。
それは、死の宣告に等しい。
既に六体の悪魔が揃っていて、後一体、〈七悪〉に相応しい鬼級幻魔が誕生すれば、それで双界は終わるというのだ。
そして、それは否定しようのない事実でもある。
戦団が総力を結集しても、〈七悪〉から双界を守り切ることは困難極まりない。
央都と引き換えに〈七悪〉を滅ぼすことは、できるかもしれないが。
神威は、拳を握り締め、終わらない会議を粛々と進めた。