第四百六十二話 火種(六)
その声には、聞き覚えがあった。
美那兎は、情報局魔法犯罪対策部の人間ではあるものの、戦団にとって重要な情報であるそれは、さすがに知らないわけがなかった。
飽きるくらいに見て、飽きるくらいに聞いた声の一つだ。
〈七悪〉の一体、〈強欲〉のマモン。
あの天輪スキャンダルの最中に誕生した機械型幻魔の原型とも言うべき鬼級幻魔である。
美那兎は、幻板を鋭く見据えた。
幻板には、昨夜の出来事が映し出されている。
昨夜、長谷川天璃が〈スコル〉本拠地で皆代幸多と対峙した瞬間の映像である。天璃の表情はわからないが、幸多が彼を見つめている様子がはっきりとわかる。闘衣すら身につけていないがために容易く侵入を果たすことのできた完全無能者は、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》といった態度で犯罪者たちを見ていた。
そんな様子が、天璃には気に食わなかったに違いない。
が、そんなことはどうでもよかった。
その記憶の中から再生した映像にあるはずのないものが映り込んでいたのだ。
少年である。
翡翠色の頭髪を垂らした初々しさすら感じさせる少年は、体の至る所が機械化されているようであり、その上から白衣を身につけている。外見的には、十代前半の少年のようであり、全体的に華奢《kyしゃ》だった。
そして、象徴的な歯車めいた黒い環が左手首を覆っている。音もなく回転する黒い輪っか。
それは、皆代幸多の背後から現れると、彼に並び立ち、横目に幸多を見た。赤黒い双眸がどす黒く輝いており、幻魔であることを強く主張していた。
「マモン……!」
「あれが……マモンですか」
「初めて見ました……」
実物を、という意味だろうが、八田と汐見が慄然とするのは当然だっただろう。
美那兎自身、全身に感じたこともない緊張が走るのを覚えていたし、背筋が凍るような感覚に抗い続けていた。即座に戦団本部や各所に通信を繋げる。
「ええ、マモンです! マモンが長谷川天璃の潜心調査中に――!」
『そうだった。初めましてだね、皆さん。ぼくはマモン。〈強欲〉のマモンだよ。よろしく』
マモンは、美那兎の対応などどうでもいいといわんばかりの態度で、八田と汐見に反応した。美しく整った顔立ちは、彼が人間ならば、美少年と持て囃されたこと間違いないといえる。だが、幻魔であるという事実が、そのような感情が沸き上がるのを拒んだ。
幻魔は、人類の天敵だ。
滅ぼすべき敵であり、根絶するべき邪悪なのだ。
だからこそ、八田も握り拳に力が入るのを止められない。既に三名もの犠牲者が出ている。どうやって殺したのかはわからないが、相手は鬼級幻魔だ。なんだってできるだろう。
なんなら、八田や汐見、美那兎を惨殺することくらい、児戯に等しいのではないか。
八田は、ある種の諦観とともにマモンの顔を見ていた。いつどのように殺されても、文句もいえない。
『他人の記憶を覗き見る悪趣味な皆さんには、一つ、重大なお知らせをしておこうと思って声をかけたんだ』
「重大なお知らせ……だと?」
八田は、マモンの勿体ぶった言い方が気に入らなかったが、そんなことをいっている場合ではないとも思った。
そうしている間にも、室内に警察部の魔法士たちや戦団の導士たちば飛び込んでくる。
「美那兎部長、無事ですか!?」
「わたしはね。でも、皆が……」
「……そんな」
「なんてことだ」
「八田さん、これは!?」
「わからん、なんにも、わからん!」
「マモンと名乗る幻魔が潜心調査に割り込んできたんです。その際、潜心調査に当たっていた三名の導士が殺害され……」
『大入りだね』
マモンが少し満足そうに微笑む様を、美那兎は、じっと見ていた。
大切な部下たちが一瞬で塵屑のように殺されて、黙っていられるわけもなかったし、怒り心頭この上なかったが、かといって、現状、彼女になにができるわけもない。
震える手を押さえ付けるようにしながら、マモンが発する情報を戦団本部や情報局に送信し続ける。マモンが出現している幻板の映像そのものをだ。
『でもまあ、大事なお知らせは多くの人に聞いて欲しいし、知っていて欲しいから、ちょうど良かったかな』
「なんなんだあ? 大事なお知らせってのはよ!」
八田は、怒りを抑えきれずにマモンを睨み付けた。そんなものが鬼級幻魔に通用するはずがないことくらい、八田も理解している。だが、そうしなければやっていられないという気分が、彼の中にあったのだ。
情報局の導士が、目の前で、為す術もなく殺される様を見た。
理不尽に、無造作に、掃いて捨てるかのような簡単さで、呆気なく、簡単に――三つの命が、一瞬で途絶えた。
彼ら三人がそれなりに優秀な魔法士であることは、輝光級の星印からも、美那兎が連れてきたことからも明らかだ。きっと、将来有望な若者だったのだろう。少なくとも八田などよりは、余程、明るい未来が待っていたはずだ。
そんな若者たちの命を塵のように吹き飛ばされた。
八田は、怒りの余り、魔法を使いそうになるのを抑えるのに必死だった。魔法を使ったところで、天璃の記憶の中から語りかけてくる相手に通用するわけもない。
そんなことはわかりきっているからこそ、やりきれない。
やり場のない怒りをぶつける先がない。
『お知らせ、その一。近々、特異点を狙って行動を起こすよ』
「……なんですって?」
「お知らせその一、だと?」
「特異点って……?」
『特異点って一体なんのことなのかな。ぼくにはむずかしくてよくわかんないや』
わざとらしく子供ぶるマモンの態度は、あからさまなまでに美那兎たちを挑発したものだった。
美那兎の脳裏には、特異点と名指しされた人物が二名、浮かんでいた。皆代幸多と本荘ルナである。
皆代幸多にせよ、本荘ルナにせよ、アザゼルによって特異点と名指しされたという共通点を持つ。特に本荘ルナの場合は、アザゼルに命を狙われ、殺されかけている。
『お知らせ、その二』
マモンは、美那兎が推測を巡らせる間にも話を進めていく。
すると、幻板の映像に変化が生じた。
〈スコル〉本拠の薄暗い空間ではなく、全く別の、暗澹たる闇の中へと移動したかのようだった。その闇の中を赤黒い光が無数に飛び交っていて、なんらかの機械や装置が所狭しと並んでいる光景は、まるで技術局棟の内部のようだった。
しかし、技術局棟のように整然とはしていない。
むしろ混沌としていて、まともに機械が動くのかどうかさえ怪しいような、そんな構造をしていたが、どうでもいいのだろう。
幻魔の機械に人間の機械の理屈が通用するわけもないことは、イクサの例を見ればわかることだ。イクサの駆動系にせよなんにせよ、通常の機械とは構造そのものから異なるものだということは、技術局によって解明されている。
イクサは、人間の手には再現不可能な兵器だった。
マモンの機械も、人間の機械とは理屈からして異なるものに違いない。
そして、マモンが機械群の最奥部に向かって歩いて行くと、なにか水槽のようなものが見えた。円柱状の水槽の中には液体が満たされていて、なにかが中心に浮かんでいる。
腕だ。
鍛え上げられた前腕が、なんらかの液体に漬けられているのだ。
美那兎は、はっとした。
『これは、なんでしょう? これだとクイズになっちゃうけど、まあ、いいか。ヒントは与えたよ。これの完成品を近日中にお披露目するから、楽しみにしててよ。それまでは、せいぜい死なないように。見たら、いくらでも死んでくれて良いからさ』
マモンは、そのようにいって、笑った。
ばちりと映像が消えると、室内は騒然となった。
長谷川天璃の姿が掻き消えていたからだ。