第四百五十九話 火種(三)
長谷川天璃に対して行われた潜心調査は、戦団情報局魔法犯罪対策部に所属する選りすぐりの三名の導士、通称・精神師による合性魔法を用いることで速やかに進められた。
三名の導士は、いずれも輝光級の星印を制服の胸元に輝かせており、彼らが手練れの魔法士であることを主張している。精神師という通称が、魔法士の中でも精神に干渉する魔法の熟練者であることを示してもいる。
彼らが展開中の律像を見るだけでもわかる。
八田にせよ、汐見にせよ、央都政庁警察部魔法犯罪対策課の所属である。これまで央都市内で数多と起きた魔法犯罪の調査や、魔法犯罪者との対峙、対決を経てきている。
そのための魔法の訓練は日夜欠かさなかったし、一般市民とは比較にならないと豪語できるだけの魔法技量を誇ってもいた。
だからこそ、だ。
導士たちの周囲に展開する律像の精緻さには瞠目するほかなかったし、複雑に絡み合い、溶け合うようにして一つの魔法の設計図を構築していく様に息を呑むのだ。
「六十伍式・憶透視」
三人の導士が異口同音に真言を唱えると、精神魔法が発動する。
魔法は、様々な性質を持ち、近似する性質ごとに類別されている。
精神魔法もそうした魔法の類別の一つだ。
対象の精神に作用する魔法だから、そのように総称、類別されている。
肉体に影響、作用する魔法は、身体魔法と呼ばれており、治癒魔法の多くは身体魔法に類別される。
八つに大別される属性を扱う魔法は、属性魔法と呼ばれているが、属性魔法の中にも精神魔法、身体魔法に類別される魔法が混在している。
精神魔法、身体魔法、属性魔法の三種の類別が大枠として存在すると考えていいのだが、互いに複雑に影響し合っている場合もあり、あまり明確に区別することはできないといっていい。
魔法の基礎理論であり、いくらでも応用が利くという感じだ。
八田は、導士たちの精神魔法が発動するとともに発生した膨大な虹色の光が、魔法の対象たる長谷川天璃に収斂していく様を見ていた。
それは、何度となく見た光景でもある。
八田も汐見も魔法犯罪対策課の刑事だ。
魔法犯罪者には、潜心調査を行う必要性に迫られることがよくあり、そのたびにこのような光景を見ることになる。
そして、美那兎によって機材の操作が行われると、八田たちの目の前に複数の幻板が展開した。
幻板には、導士たちが覗き見ている長谷川天璃の記憶が映し出されるという寸法であり、それによって魔法犯罪の経緯や目的、対象の過去や真意を探り出すというのが潜心調査の目的である。
取り調べで全てを明らかにしてくれるのであればともかく、そうでなく、頑なに語ろうとしない犯人や、長谷川天璃のように会話にもならない相手の場合、仕方なくこのような手段が用いられる。
八田としては、あまり気分のいい光景ではない。
なにせ、他人の記憶を覗き見るのだ。
それが犯罪の真実を暴くためとはいっても、だ。
予期せぬ、想像だにしない光景を見ることは、少なからず何度もあった。
そしてそのたびに、彼は、この仕事を辞めようかと思ったものだ。
今回も、そうなる可能性を覚悟していた。
「彼の過去については、ある程度は判明していますが、〈フェンリル〉との繋がりについて証明するものは彼の発言以外にはありません」
美那兎が、その怜悧な眼差しからは想像しようもないほどに柔らかな口調でいう。
「彼の発言通り、〈フェンリル〉構成員の子供たちだったのでしょうが、それだけでここまでのことをするというのは考えにくいでしょう」
「ですな」
「確かに」
八田も汐見も、美那兎の考えに異論はなかった。
長谷川天璃、近藤悠生、松下ユラの三名は、〈スコル〉の幹部であり、同時に〈フェンリル〉構成員を親に持つ孤児であるらしい。
それは、長谷川天璃、近藤悠生の証言によって確定しており、統治機構の調査によって、彼らが孤児として認定される直前、浄化作戦が行われたことも判明している。
統治機構が反政府勢力を一掃するために行った浄化作戦は、多数の孤児を生むこととなった。そうして生まれた孤児たちは、統治機構の監視下で育てられていたのだが、優秀な人材と認められた孤児たちには、ある程度の自由が与えられるようになった。
それが長谷川天璃、近藤悠生、松下ユラたちであり、また、〈スコル〉の構成員たちである。
彼らは、統治機構の監視下で順調に育った。そして、自由の身となり、再会し、〈スコル〉を結成したのではないか――というのは、八田らの想像である。
なぜ、〈スコル〉を結成し、太陽奪還計画を実行に移そうとしたのかまでは、判明していない。
せっかく自由の身になれたというのに、わざわざ戦団に勝ち目のない戦いを挑もうというのが、全く理解できない。
それは、まったく無関係の赤の他人だから出る感想なのかもしれないし、自分の想像力が欠如しているからなのかもしれない、とも、八田は思わなくもないのだが。
やがて、幻板に映像が映し出される。
それは、八田にとって見慣れた景色だった。
ただし、見ている側が違う。
この留置場内の通常取調室の風景。なにもかもが真っ白で、潔癖すぎるきらいのある白さは、犯罪者を白日の下に曝すという意図があるらしい。それはそれでどうなんだ、という気がしないでもない八田ではあったが、それで気が滅入るような犯罪者ならば御しやすいという心理もわからないではない。
視界に映り込んでいるのは、分厚くも透明な板とその向こう側に座る八田と汐見だ。特殊合成樹脂製の板は、簡単には破壊できないくらいには頑丈だ。少なくとも人力ではとてもではないがねじ曲げることすら出来ないだろう。
もっとも恐るべきは、容疑者もまた魔法士だという事実だが、破魔環を装着している限り、魔法を使おうにも使えないのだから安心していい。
長谷川天璃の視界を通して見る八田と汐見の顔にも、危険性の欠片すら感じられない。自分たちが絶対的な安全圏の真っ只中にいるという自覚があり、自負があるのだ。
「なんとも間抜けな面だ」
「御自分のことですよね」
「そーだよ」
八田は汐見のちくりとした一言に顔をしかめながら、天璃の直近の記憶が自分たちだということになんともいえない気分になった。それは当然なのだが、しかし、彼にはほかに特筆するべき記憶がないということでもある。
「もっと遡ってください」
「はい」
美那兎の指示により、導士たちが頷き、魔法を制御する。
幻板を流れる映像が、凄まじい速度で逆再生されていく。それらは全て長谷川天璃の記憶だ。ただし、その記憶が完璧に正しいものであるとは言いきれない。
記憶は、変化し、変容する。思い込みや思い違い、願望や妄想が記憶そのものを変質させてしまうことは、ままあることだ。そして、いつからかそうしてネジ曲がった記憶が、本当の記憶になってしまう。
だからこそ、潜心調査を行うのであれば、早ければ早いほうがいい。
天璃が留置場に収監される以前へと至ると、夜の闇を視た。
天井に空いた大穴。その向こう側に逆巻く巨大な魔力の奔流。爆光が散乱し、嬌笑が嵐のように渦を巻く。爆音と閃光が連続的に発生し、そのたびになにかが炸裂した。
「これは……」
「皆代閃士とサキュバスの戦闘でしょうね。つまり、彼は、あの瞬間、意識を取り戻していたということになります」
「はあ……」
汐見が美那兎の冷静な推測に頷くことしかできなかったのは、苛烈すぎる戦闘の映像に圧倒されていたからにほかならない。
遙か高空で行われる戦闘の詳細は、全くわからない。
ただ、巨大な魔力が竜巻となって吹き荒び、そのただ中を閃光が咲き乱れている。撃式武器による銃撃の嵐なのだろうが。
その激闘の模様を食い入るように見ていた八田だったが、美那兎の指示によってさらに記憶を深掘りされることとなり、肩を落とした。
汐見は、八田に同情しつつも、次なる記憶の場面にこそ、意識を割いた。
もっと深く、もっと遠い過去の記憶。
炎が、閉ざされた天を焦がすように聳えていた。