第四百五十八話 火種(二)
〈スコル〉が起こした事件は、魔法犯罪として認定されている。
直接的には魔法を使った事件ではないが、爆発物の設置や、関連する様々な犯行には、様々な魔法が駆使されており、市内各所に〈スコル〉構成員の固有波形と一致する残留魔素が検出されていたからだ。
直接犯行に魔法を使わずとも、間接的に魔法が関わっていれば、魔法犯罪と認定されることは少なくない。
たとえば、精神魔法によって支配された人間が罪を犯した場合がそうだ。ただし、魔法で操られていたことが証明できなければ、ただの通常犯罪として扱われることになるが。
さて、〈スコル〉である。
天輪スキャンダルに関わった人々がそうであるように、〈スコル〉事件に関わった人々、〈スコル〉の構成員の大半がなんらかの精神魔法の影響を受けているのではないか、という疑惑は、当初からあった。
〈スコル〉の頭目・長谷川天璃の言動がただ事ではなく、逮捕、拘束されてからの彼の発言の数々は、現実を直視していないものばかりだった。
常に太陽奪還計画のことを語り、実現するためにはどうすればいいのか、どうするべきだったのかとぶつぶつと自問自答を繰り返している。
近藤悠生にもそういうところがあったが、彼はまだ理性的な部分が残っていた。たとえば、松下ユラがサキュバスの擬態だったという事実を聞かされると、愕然とした表情を見せたものだった。
しかし、長谷川天璃には、全く変化が見受けられなかった。
まるで今もなおなんらかの精神魔法の影響下にあるかのような、そんな様子だった。
「だから、潜心調査を行おう、と?」
「そういうことです。戦団から選りすぐりの精神師を集めましたので、ご心配なく」
「それは……心強い」
八田は、美那兎の隣を歩くことにこの上ない緊張感を覚えながら、彼女を後続する導士たちの朗らかさに異様なものを感じずにはいられなかった。
いつもそうだ。
伊佐那美那兎率いる魔法犯罪対策部の面々というのは、その役割の剣呑さからは考えられないほどの和やかさがある。それが美那兎の人柄によるものだということは、よく共同で作業をするからこそ理解できている。
美那兎の持つ独特な雰囲気は、伊佐那麒麟のそれである、と、よくいわれているらしい。
伊佐那麒麟には、六人の養子がいる。三人の娘と、三人の息子である。
それぞれが異なる性質を受け継いでいて、麒麟の朗らかな気質をもっとも受け継いでいるのが美那兎であるという。
そんなことをついつい考えてしまうのは、美那兎の可憐さがこの留置場にあまりにも似つかわしくないからかもしれない。
もっとも、八田がそんな感想を汐見にわずかでも漏らせば、その瞬間、蛇蝎のような眼差しを向けられることがわかっているから、なにもいわないのだが。
長谷川天璃と面会を行うのは、先程とは異なる一室である。
潜心調査用の特別室。
潜心調査とは、読んで字の如く、対象の心、精神の中に潜り込んで行う調査方法だ。直接、記憶を覗き込み、精神状態すらも解明する調査方法であり、極めて高度な魔法技量の持ち主でなければ行うことはできない。
いってしまえば、精神魔法による記憶の閲覧と同じだ。
戦団の導士たちが日々当然のように提出する情報文書の中には、自身の記憶に纏わるものも少なくない。自分がその目で見て、脳が記憶した情報を精神魔法等によって取り出し、記録として提出しているのだ。
記憶は、重要な情報源となるが、同時に時と共に変化し、変容していくことを止められないものでもある。だからこそ、なにか重要な情報を掴んだのであれば、必要な情報を目にしたというのであれば、進んで記憶を提供するのが戦団の導士なのだという。
警察部の人間には、とてもではないが考えられないことだと、八田は思うのだ。
特別室には、潜心調査のための機材が設置されていて、中心に椅子がある。その椅子に別室から連れてこられた長谷川天璃が座ることになっているのだが、彼は、室内に入ってくるなり、八田に目を留めた。
「また、あなたですか。ぼくの話を聞く気になったというわけでもなさそうですが」
「……話は聞いていると思うが」
「ええ。聞いていますよ。潜心調査ですよね。ぼくの記憶を覗き見るんでしょう。これまで数多の犯罪者にそうしてきたように。ですが、残念ながら、ぼくの心のどこにも、記憶のどこにも、罪の欠片もありませんよ。あるのは、太陽の如き燦然たる正義だけ……!」
長谷川天璃は、八田を睨み付けてきたが、彼をここまで連れてきた警察部の人間によって制されると、大人しくしたがった。そして、中央の椅子に腰を下ろす。
「潜心調査がどういったものなのか御存知でしょうが、説明は聞いておきますか?」
そういって天璃に尋ねたのは、導士の一人である。美那兎の直属の部下で、精神師とも呼ばれる選りすぐりの精神魔法の使い手だ。
「説明は不要ですよ。他人の記憶を覗き見る悪趣味極まりない捜査方法でしょう。それによってどれだけの冤罪事件があったのか、枚挙に暇がないことも、無論、知っています」
「冤罪、ですか」
「でしょう。過去、数多の事件を解決に導いたという潜心調査は、しかし実際の所、大量の冤罪を生み出していた。央都でも、どれだけの罪なき人々が魔法犯罪者と偽られ、罰されてきたのか……!」
「……彼、妄想癖があるんです」
「もちろん、わかっていますよ」
美那兎は、汐見の囁きに小さく応じながら、天璃の最初からなにひとつ変わらない表情を見ていた。その秀麗な顔立ちを無に帰するのではないかというほどの狂気が、その目に浮かんでいる。
それほどの狂気がなければ、いまや滅び去った〈フェンリル〉の理念を引き継ぎ、思想を継承し、太陽奪還計画などという誇大妄想の産物を実現しようなどとはしないだろうが、それにしたって、と、美那兎は思うのだ。
なにが、彼をそこまで駆り立てているのか。
やはり、なんらかの精神魔法の影響としか考えられなかった。
それから、天璃が大人しくなるのを待ち、潜心調査の準備進められた。
天璃は、八田や美那兎たちに叫ぶだけ叫んだ後は、水を打ったように静まり返った。そして、魔法犯罪対策課の導士たちの指示に従い、潜心調査用の魔機を身につけるのにも抵抗しなかった。
「さあ、さっさと調べてくださいよ。お得意の魔法でね」
彼は、観念したというよりも、まるで自分の勝利を確信しているかのような振る舞いでもって、戦団の導士たちや央都政庁の警察たちを見回した。
機械仕掛けの椅子に備え付けられた機具の数々が、彼の全身、至る所に取り付けられている。それらの機具が、彼の生体反応を検知し、計測しており、潜心調査によって調査対象の生命状態が危険域に達した場合に警告を発するようになっている。
相手の精神に潜り込むというのは、それだけ繊細で徹底的な注意を払う必要があるのだ。まかり間違えば、精神に修復不可能な傷をつけることだってありえたし、それが原因で意識不明の重体に陥り、ついには命を落とすことだって考えられる。
故にこそ、八田は、潜心調査を行うのは嫌だったし、億劫なのだ。もちろん、八田が直接精神魔法を使うわけではないのだが、調査状況を見ているだけで胃が痛くなってくるものである。
「では、皆さん、始めてください」
美那兎が部下に命じると、天璃を包囲するように配置についた精神師たちが頷き、律像を展開した。三人の導士たちが展開する複雑で精緻な紋様が、空中で重なり合い、一つの図形を構築していく。
まさに芸術作品のようなそれが合性魔法の律像であることは、八田にも汐見にも瞬時に理解できた。
当然、その様子を目の当たりにしている天璃にもだ。
合性魔法の律像など、そう見られるものではない。
合性魔法は、極めて高度な魔法技術だ。
複数名の魔法士が完璧に意識を同調させなければならず、そのための訓練たるや、想像を絶するにあまりある。
魔法とは、想像の具現だ。
その想像にわずかな差違が生じただけで、合性魔法は破綻する。
たとえば、ここで天璃が大声を上げれば、それだけで乱れ、崩壊するのではないか。
天璃は、そんなことを考えるのだが、しかし、だとしても速やかに対策が取られ、すぐさま再度実行されるのがわかりきっている。
ならば、大人しく従うのが一番だ。
どうせ、なにが正しいのかはわかりきっているのだから。
長谷川天璃は、己の正義を信じ切っていた。




