第四百五十七話 火種(一)
「ぼくたちは、なにも間違ったことはしていませんよ。むしろ、正しいことをしたと胸を張って断言できる。この間違いだらけの世界に、虚偽と欺瞞に満ちた天地に、正義と真実をもたらすためにこそ、ぼくたちは決起し、行動を起こした。その結果、大敗を喫してしまったわけですが……やはり、時期尚早だったということでしょうね。総帥のお考えは正しかったというわけだ」
長谷川天璃が、戦団情報局や央都政庁警察部の取り調べに応じた際に述べるのは、いつも、そのような妄言めいたことばかりだった。
〈スコル〉の頭目である彼は、〈スコル〉流の太陽奪還作戦が失敗に終わったことそのものを悔いる気配もなければ、自分たちが間違っていたとは微塵も考えておらず、過ちを冒したり、罪を犯したという意識さえ持っていないようだった。
警察部魔法犯罪対策課の刑事・八田康範は、直属の部下である汐見有紀が苦々しい顔で、彼の発言を端末に記録していく様を横目に見た。
長谷川天璃は、葦原市連続爆破事件及び戦団脅迫事件の首謀者として逮捕、拘束され、徹底的な身体検査の後、央都中央警察署内の留置場に収容されている。
〈スコル〉幹部の近藤悠生を含む、〈スコル〉の構成員たちも全員、同様の処置を受け、留置場にいるのだ。
〈スコル〉が犯した罪については、とんでもない規模のものであった。
八田は、央都の歴史が始まって以来最大規模の犯罪といってもいいのではないか、と想ったほどだ。
近年多発している大規模幻魔災害とは比較にならないにせよ。人為的に引き起こされた犯罪としては、天輪スキャンダルに匹敵するといってもいいだろう。
そして、どちらの事件の背後には幻魔の影がちらついているという点でも、類似している。
さらにいえば、逮捕拘束された首謀者たちの供述もどこか似通っているというところもあった。
妄想に縋り、現実を見ていないものの譫言のような言葉ばかりが並べ立てられていくものだから、どれだけ取り調べたところで、どうしようもないという気分になってくるのだ。
「総帥の言うとおりにするべきだったな。せめて、百年は待つべきだった。百年くらい生きられるものな……」
焦点の合わない瞳で虚空を見遣り、ぼそぼそとつぶやく長谷川天璃からは、今回の事件に関する正確な情報を得ることは不可能だと判断するしかなかった。
「困ったもんだ」
「八田さん、いつも困ってますね」
「困るような事件ばかり起きてるからだろ」
八田が嘆息混じりにつぶやいたのは、長谷川天璃の何度目かの事情聴取を終えてからのことだった。
彼には、聞きたいことはいくらでもあった。
たとえば、彼がどうやって升田春雪と〈フェンリル〉の繋がりを知ったのか、ということだ。
現在、戦団情報局副局長補佐を務める升田春雪が、かつて〈フェンリル〉の工作員だったという衝撃的な事実が戦団から明かされたのは、つい先日のことだ。
しかし、升田春雪が過去に戦団に害をなす行動をしたことは一切なく、むしろ早々に〈フェンリル〉を見限り、戦団のために尽力してきたという記録により、彼が罪に問われることはなかった。
今回、〈スコル〉事件に升田春雪が関わったのは、妻子を人質に取られたからだという。
妻子を人質に取られた上、〈フェンリル〉の工作員として戦団に送り込まれていた事実という弱みを握られていたが故に、〈スコル〉に協力せざるを得なかった。
だが、それが〈スコル〉にとって、今回の敗因となったのだから、皮肉なものだ。
升田春雪は、情報局副局長補佐である。戦団の根幹たる情報局の第三位に位置する人物だ。彼は、その地位と権力によって、〈スコル〉に狙われ、協力させられたわけだが、その地位と権力こそが、〈スコル〉の計画を筒抜けにしてしまったという。
戦団は、〈スコル〉がなにかしら大がかりな計画を練っていることを把握し、そのために葦原市内各地に避難命令を出し、立ち入り禁止区域を設けた。
その結果、連続爆破事件が起きても、一人として被害者が出なかったのだ。
それには、さすがの〈スコル〉の面々も面食らったはずだが、しかし、狂気に囚われ、現実と妄想の区別がついていなかった彼らには関係のないことだったのかもしれない。
問題は、彼らがどうやって升田春雪と〈フェンリル〉の関係を知ったのか、ということだ。
〈フェンリル〉総帥・河西健吾は、統治機構による浄化作戦によって逮捕拘束された際、己の記憶の中から工作員に関する記憶だけを消去していた。自分だけでなく、工作活動に関連した全員の記憶をも、だ。
そこまで徹底した情報管理を行ったからこそ、升田春雪が〈フェンリル〉の工作員であることが長らく判明しなかったのだが、だとすれば、どうやって長谷川天璃たちはそれを知ったのか。
浄化作戦を逃れた子供だったからこそ、記憶の消去すらされなかったのか。
「やはり、潜心調査を行うしかなさそうですね」
「嫌だねえ。記憶の閲覧って奴はよ」
電子煙草を吹かして、彼は大きくため息をついた。留置場の細長い通路を歩いていると、どうしようもなく気が滅入ってくるのだが、理屈はあるまい。
「見たくもない他人の過去まで全部暴いちまうことになるんだからな」
「仕方がないです。それも、わたしたちの仕事なんですから」
汐見は、電子煙草の煙が八田の髪に纏わり付くように見えて、小さく笑った。
八田が電子煙草を吸っている理由が、渋い男を演出するためだということを知っているからこそ、だろう。煙草に対してそのような印象を持つ時代は、遥か過去の彼方に消えて失せているというのに、八田だけは時代を逆行しているような価値観を持っている。
それそのものは、別にどうでもいいのだが。
「ありゃ」
八田が思わず声を上げたものだから、汐見も足を止めて、前方を見遣った。
戦団の制服を身につけた集団が、長い廊下を歩いてくるのは、いかにも物々しく、仰々しく感じられた。
先頭を歩いているのは、情報局魔法犯罪対策部の部長・伊佐那美那兎だ。そののほほんとした足取りは、この重々しい留置場の空気感とは相容れないものといってもいいのだろうが、彼女には全く関係ないといわんばかりの力があった。
なにより、伊佐那家の人間だ。
あの英雄にして戦団の女神たる伊佐那麒麟に見込まれ、養子として伊佐那家に迎え入れられた才能の塊。伊佐那家の人間としての薫陶を叩き込まれ、人生の全て、命の全てを戦団に、央都市民に捧げることを厭わない人々。
だからこそ、伊佐那家の人間は、央都市民に特別な尊敬を集めるのであり、八田が即座に電子煙草を消して懐に収めるのだ。
居住まいを正したのは、彼だけではない。
汐見も、美那兎の可憐とさえいえる振る舞いに見惚れかけるのをなんとか堪えて、姿勢を正していた。
「魔法犯罪対策部の方々がどうなされたのでしょうか?」
美那兎を目の前にして、八田の声がわずかに上擦ったのは、緊張しているからだ。初対面でもなければ、これまで何度となく共同作業をしてきたというのに、彼は、美那兎に対しては格別な反応をしてしまうらしい。
「長谷川天璃および近藤悠生への面会ですよ。申請し、受理されているはずですが」
「は……」
八田が美那兎の理路整然とした返答に汐見を一瞥する。汐見は八田を睨みかけ、諦めるとともに端末を見た。調べれば、確かに申請され、受理されている。
ただし、申請と受理がほぼ同時に行われたのは、八田と汐見が事情聴取を行っている最中のことであり、二人が知らなくても不思議はなかった。
「確かに受理されていますね」
「……これは、失礼致しました!」
「構いませんよ。いきなり現れれば、気になりますものね」
美那兎は、緊張の余り硬直する八田を見て微笑みかけると、予期せぬことを言い出した。
「せっかくですから、御一緒にいかがですか? 彼らの調べ、全く進んでいないんでしょう?」
「へ?」
八田は、想像だにしない事態に目を丸くした。