第四百五十五話 海辺の幸多(五)
閃光級二位。
まだまだ下の方の階級ではある。
導士の階級は。全部で五つ。
上から順に星光級、煌光級、輝光級、閃光級、灯光級といい、星光級を除くそれぞれの階級ごとに一位、二位、三位という位がある。
星光級は、最上位であり、即ち星将である。
戦団の、特に戦闘部に配属された導士の究極的な目標といえば、星光級に上り詰め、星将と呼ばれることになるだろう。
もちろん、導士の全員が全員、星将になりたがっているわけではないだろうが、大半の導士は、星将となることによって戦団や央都市民の、人類の未来に多大な貢献を果たしたいと考えているはずだった。
幸多も、そんな考えを心の奥底に秘めた一人だ。
パンツ型の水着の片隅でその輝きを主張する星印が、彼の階級を示している。
昨日まで幸多の星印は、戦務局に所属していることを示す黒基調で、閃光級を意味する二連星に過ぎなかった。昇進とともに手渡された星印は、二連星が二重になった意匠である。
同じ階級の中でも、位があがるごとに星印が豪華になっていくということだ。
圭悟たちが幸多の昇位を知っていたのは、既にニュースとなっていたからで、今朝のテレビ番組やラジオ放送を賑わせていたからにほかならない。
幸多の昇進速度は、あの皆代統魔を遥かに陵駕するものだ。
幸多は、六月末に戦団に入ったばかりだ。
二ヶ月も立っていないというのに、もう閃光級二位だ。
過去、類を見ないほどの昇進速度であり、幸多がいかに戦団に貢献しているのか、導士として活躍しているのか、誰もがはっきりと理解することだろう。
圭悟たちにとっても嬉しいことこの上ない話だったし、今朝、幸多の昇進に関する様々な報道がネットテレビなどから流れてくると、興奮とともに友人たちと連絡を取り合ったものである。
幸多が昇進したのは、前回、閃光級に昇進してから昨日の〈スコル〉事件に至るまでの活躍が考慮されたからだということは、想像するまでもないことだ。
そして、〈スコル〉事件において、幸多がとんでもない活躍をしたという事実もまた、今朝の報道で大々的に取り扱われていた。
それこそ、閃光級二位に昇進した最大の理由なのではないか、と、推測されている。
しかし、圭悟たちにとって本当に喜ばしいことというのは、幸多の活躍でも、昇進でもなかった。
幸多が今日も無事で、元気な姿を見せてくれているというその事実にこそ、歓喜しているのだ。
雲一つ見当たらない青空の下、太陽の光はあまりにも強烈に燦々《さんさん》と降り注ぎ、打ち寄せる波の狭間に膨大な煌めきを散乱させている。波の音と潮風、どこからともなく聞こえる海水浴客の様々な声。
ごくごくありふれた夏の一風景。
そんな中にあって、幸多は、遠くを見ているような気配があった。
一瞬、声をかけるのを躊躇ったほどだ。
しかし、圭悟たちは、幸多に声をかけた。そして、幸多が笑顔で振り返ってくれたことに心底安堵したものだった。
圭悟は、幸多の隣の岩に腰掛け、彼の見ていた風景がどんなものかと見渡したのだが、なんの変哲もない海の景色だった。
戦団の活躍によって生態系を取り戻し、復活した海と、魔天創世によって死滅したままの海の境界が、その海の色の濃度によってはっきりとわかるほどだ。
生きている海というのは、央都の近海でしかない。葦原市と大和市の近場の海だけが、わずかにその生命力を取り戻し、生態系を維持できているのであって、戦団の支配下ならざる外海には、一切の生命の気配というものがなかった。
無論、海中に生息する幻魔ならばごまんといるだろうし、広大な海のどこもかしこも幻魔の〈殻〉で埋め尽くされているに違いない。
幻魔の中には、水中での生活に適した種もいて、海中や水上に幻魔の王国たる〈殻〉を作り上げている可能性は大いにあった。
この地球上の大半が、いまや幻魔の土地だ。
地上も海中も天空すらも、幻魔の領土なのだ。
そんな幻魔に支配された地獄のような世界を切り開いたのが戦団であり、幸多は、そんな戦団の一員として、順調に戦果を積み重ねている。
魔法不能者の戦闘部導士が、だ。
誰もが不可能と断言し、無理だと即刻否定するだろう完全無能者が、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いで昇進を重ねている。
そのことに多少の痛快さを覚えているのも事実なのだが、それ以上に、幸多とこうして会うことができていることのほうが、圭悟にとっては嬉しかった。
彼は、どう想っているのだろう。
なんとも想っていなければ、こうしてわざわざ特別な手配をしてくれるわけもないことくらい、圭悟だってわかっているのだ。幸多が、圭悟たちのことを親友として認識してくれているに違いない、と、確信してさえいる。
それでも、幸多のことが気になった。彼の本当の気持ちが、だ。
「昨日は、大変だったみたいだね?」
蘭が、岩場に昇るのを諦めながら、二人を仰ぎ見て話しかけた。
真弥と紗江子は、どうするべきかを考えた末、近場の浜辺にレジャーシートを広げて始めていた。
「ぼくは、まあ……皆こそ、大変だったんでしょ? 連続爆発事件の第一発見者だっけ」
「だとすれば、結構な人数が第一発見者だけどね」
蘭が、幸多の屈託のない様子に苦笑する。
「でも、怖かったよね」
「はい。突然の大爆発ですから……誰一人巻き込まれていなかったというのが、信じられないくらいで」
「それもこれも、戦団の想定通りだったってんだろ?」
「まあ、ね。ぼくとしては、もっと上手いやり方がなかったのかな、とは想うけど、〈スコル〉を誘き出すにはあれしかなかったみたいだし、仕方ないよね」
「いいんじゃねえの。導士も市民も一人として傷つかなかったんだし。そりゃあ、建物は吹っ飛んで、復旧作業は大変みたいだけどよ。機械事変に比べりゃ、なんてこたあねえだろ」
「……そうだね」
そういわれれば、頷くしかない。
確かに彼の言うとおりだ。
連続爆破事件は、〈スコル〉を誘き出すための処置だった。全ての爆発物を未然に処理することも不可能ではなかったが、その場合、〈スコル〉は地下に潜り、もっと綿密かつ精緻な計画を練って出直しかねない。
もっと大規模な爆弾で、市街地を吹き飛ばそうとさえするのではないか。
戦団情報局は、そのように考え、今回の〈おおかみのこども〉炙り出し作戦を立案、護法院によって承認を得たという。
〈スコル〉がその正体を明らかにするまで、〈おおかみのこども〉と名乗り、升田春雪に接触した連中が、どれほどの規模の集団であり、どのような目的を以て行動しているのか、まるでわかっていなかったのだ。
故に、戦団は、あのような方法を取った。
〈スコル〉の想うままに連続爆破事件を起こさせ、彼らを頭に乗らせることこそ、戦団の目論見だったわけだ。
そして、目論見通りに状況は動き、情報局と作戦司令部の作戦通り、〈スコル〉を殲滅することが出来たのである。
幸多は、その作戦において、重要な役割を果たした。
だから、昇進した、というわけだが。
なんとも腑に落ちない気分が、幸多の中にある。
幸多は、確かに作戦通りに動き、人質の身柄を確保した。升田春雪とその妻子である。しかし、升田春雪の妻は、サキュバスが擬態した偽物であり、幻魔を戦団本部に招き入れる失態を犯してしまったともいえるのだ。
もちろん、幸多がサキュバスの擬態を見抜けなかったことの責任を問う声など、一切なかったし、それをいうのであれば、戦団本部の警備もまた、大問題となるだろう。
解放され、移送されてきた人質というだけで戦団本部に招き入れ、丁重に扱っていたところを出し抜かれ、総長執務室への侵入を許したのだ。
それは、戦団始まって以来の大事件といってもいい。