第四百四十九話 海辺の幸多(三)
茜浜の東端の一部が、導士強化合宿のために戦団貸し切りになっているという話を圭悟たちが知ったのは、つい今し方だった。
圭悟たちにしてみれば、昨日の海水浴のやり直しのために茜浜を訪れたのであって、わざわざ茜浜の状況を調べる理由も必要性もなかったのだ。
その結果がこの様である。
戦団期待の若手導士たちが集まる夏合宿を直接見られることなどそうあるはずもなく、今回は、絶好の機会といえた。
戦団は、導士を市民に売り出しているし、広報部のそうした施策は見事に当たっている。
新野辺九乃一を筆頭に、さながらアイドルのような扱いを受ける導士も少なくなかったし、導士の人気が過熱することが戦団の戦力の底上げに繋がっているという客観的事実もあるのだ。
導士になれば人気者になれると考えるものも、少なからずいるからだ。
そして、戦団は、戦闘部に入りたいというのであれば、どのような動機であろうとも構わないとしている。
無論、入団できるかどうかは、さらなる精査を経てのこととなるだろうが、才能と実力さえあれば、人格面はある程度度外視されることもあるという。
そんなどうでもいいことが圭悟の脳裏を過ったのは、人格面で問題のありそうな金田姉妹が強化合宿の一員に選ばれ、戦団に期待の若手として扱われている事実を思い出したからだ。
二人は運動服を脱ぎ捨てて水着になると、海に向かって飛んでいってしまった。すると、貸し切りの訓練場を囲んでいた一部の観衆が、彼女たちに引き寄せられるように囲みを解いていく。
それは、訓練場所から導士たちが去って行ったことも関係しているだろう。
いまや訓練場所には、幸多の母だけが所在なげに突っ立っていて、導士たちが向かった建物を見遣っていた。
昨日はなかった建物だ。戦団が今回の訓練のために急遽設営した休憩所のようなものだろう。
「圭悟ってば本当強引よね」
真弥は、観衆が減ったことで、やっとの思いで最前列に辿り着けて、息を吐いた。海水浴場の人混みを突破するのは、少々気後れするものだ。
頭上からは太陽光線が燦々《さんさん》と降り注ぎ、砂浜が日光を反射して白く眩く輝いている。必要以上に高い気温は、今すぐにでも水着に着替えて海に飛び込みたい気分にさせられるのだが、しかし、先程まで導士たちの訓練に見入っていた観衆がそうであるように、圭悟たちもまた、そちらに意識を割き始めていた。
幸多がいるからだ。
「てめえらがちんたらしてるからだろ」
圭悟は、友人たちを見回してからぼやくと、休憩所に姿を消した幸多の姿にやきもきした。
幸多は、昨夜、任務で真夜中まで飛び回っていたにも関わらず、総長からの訓練に参加しているというような話があったのだ。周囲の観衆の会話から聞き知ったことなのだが、それがどうにも気になった。
幸多は、無理をしているのではないか。
彼には、そういうところがあった。
「ちんたらもなにもないでしょ」
「そうよ、ないわよ」
「そうですわ、ありませんわ」
「うっぜ」
圭悟は、友人たちの文句をその一言で切り捨てると、戦団印の淡く発光する柵に沿って移動を開始した。
特殊合成樹脂製の柵は、一般的に販売されている魔具だが、戦団が用意し、設置したものだろう。等間隔に設置された魔具が魔法の柵を構築しており、立ち入りを禁じている。
柵と言うよりは、壁といったほうが近い。
それらは、簡単には飛び越えられない高さがあったが、魔法を使えばひとっ飛びに飛び越えられるだろう。もっとも、訓練中は、さらに魔法壁が張り巡らされていたこともあり、部外者の乱入などはなかっただろうし、市民も遠巻きに見守っていたのだが。
実践形式の魔法訓練だ。攻型魔法に巻き込まれる可能性を考えれば、前のめりに観戦することなどできるわけもなかった。
導士たちが徹底的に配慮し、注意しているとはいえ、だ。
「ちょっと、どこに行くのよ?」
「そこまで」
「そこまでって」
真弥は、圭悟が柵沿いに歩いていくのを見て、紗江子と蘭に目配せした。仕方なくついていく。
仮説訓練場は、茜浜の東端のわずかばかりの場所を借りて作っている。決して広いとはいえない空間だったが、魔法士の戦闘は、地上だけで行われるものではない。空もまた戦場であり、空中戦こそ魔法戦の華と言われることもあるくらいだ。
面積的な狭さは、魔法士の訓練には関係がないのかもしれない。
(んなこたあねえだろうが)
圭悟は、頭の仲を過った愚かな考えを否定すると、休憩所からそろりそろりと周囲を気にするように出てきた導士を見た瞬間、手を挙げていた。
「皆代おおお!」
圭悟があらん限りの大声を上げたときには、周囲からもいくつもの歓声が上がっている。
「幸多くうううん!
「幸多さまあああああ!」
「かわいいいい!」
「こっち向いてええ!」
「すっごい人気だね」
「なんだろう、なんだか複雑な気分」
「あら、わたくしは皆代くんが人気で嬉しいですが」
「嬉しいのは嬉しいけどさ、なーんか」
真弥の心境は表情以上に複雑そうで、そんな彼女の気持ちを理解しようとして、紗江子も複雑な顔になった。
幸多は、元より注目度の高い導士だった。対抗戦優勝校の一員であり、最優秀選手だったということもあれば、彼が生まれながらの魔法不能者で、完全無能者だということも注目される理由だったし、皆代統魔の兄弟だということもある。
そんな彼が注目以上に活躍し、さらに大事件の渦中にいたという事実が積み重ねられれば、俄然、人々の目に止まる機会も増えていく。
そうなれば、彼のあどけなさがわずかに残る童顔を良しとして、黄色い声を上げるファンが増えるのも道理というものなのだが。
もっとも、圭悟は、そんな声援とぶつかり合うつもりはなかったし、もし幸多に気づかれないのであればそれでもいいと思っていた。
実際、幸多はこちらには目もくれず、浜辺に向かって歩いて行く。
「仕方ないよ。これだけの声援があったら、気づきようがないもの」
「皆代くん、耳もいいんだけどね」
「わーってるよ」
圭悟は、友人たちの慰めの声にこそ苛立ちを覚えていた。幸多に声が届かなかったことには落胆する余地がない。
そう思っていた矢先、圭悟の携帯端末が鳴動したものだから、彼は透かさずポケットから取り出した。端末の表示板には、連絡してきた人物の名前が通知されている。
皆代幸多。
「あいつ」
圭悟は、にやりとしてしまうのを抑えきれなくなりながら、柵から離れると、真弥たちを見た。
「どうしたの? 変な顔」
「いつものことじゃない?」
「そうですわね」
「そりゃあねえだろ」
圭悟は、多少なりとも傷ついて見せながら、携帯端末の通話を繋げ、耳元に持っていった。尋ねる。
「おう、どうしたよ?」
『それ、こっちの台詞なんだけどな』
「相変わらず、御挨拶だな」
『圭悟くんがいえること? その厳つい赤毛、目立ってたよ』
「んだよ、気づいてたのかよ」
『気づくよ。見逃しようがないもの』
端末越しの幸多の声は、普段通りに明るく、弾んでいた。いや、そういう意味では、普段以上に明るいといったほうが正しいのかもしれない。
だから、だろう。
圭悟も、なんだか自分の声が弾んでいることに気づいていた。
「だったら反応してくれりゃあいいのによ」
『そんなことしたら、騒ぎになるでしょ。せっかく会えそうなのに、会えなくなるかもしれない』
「会えそう?」
『うん。いまからぼくが言う場所に来てよ。そうしたら、こっそり会えるからさ』
そして、幸多は、囁くようにいった。
『皆と会って、話がしたいんだ』
幸多の懇願するような声を聞いた瞬間、圭悟はいてもたってもいられなくなったから、透かさず頷き、友人たちを振り返った。
「行くぜ」
どこへ、とは、真弥たちは問わなかった。
圭悟が誰と通話をしたのか、考えるまでもなく想像できたからだ。
幸多以外には、考えられなかった。