第四百四十五話 後継者
升田春雪は、〈スコル〉に関する事件の全てが終結すると、長谷川天璃ら、〈スコル〉本拠地で拘束された構成員たちとともに戦団本部へと移送されることとなった。
長谷川天璃、近藤悠生、瀬戸和磨の三名が、本拠地にて拘束された〈スコル〉構成員であり、彼らは戦団本部に到着次第、事情聴取を受けることとなった。
升田春雪も重要参考人として、事情聴取を受けている。
春雪の事情聴取を担当したのは、城ノ宮明臣だ。
春雪は、情報局副局長補佐である。彼の立場や彼がなぜ〈スコル〉に協力していたのか、その理由を想像すれば、明臣が対応するのは当然といっても良かったかもしれない。
しかし、春雪にしてみれば、破格の待遇のように想えてならなかった。そのような扱いをしてくれるとは、とてもではないが考えてもいなかったのだ。
「災難だったね」
事情聴取に先立ち、明臣は、そんな一言で春雪に話しかけた。
本部棟の地下二階に設けられた取調室は、青ざめた部屋という印象があった。全体として青を基調とする部屋には、凶器となり得るようなものは一切置かれておらず、超小型の監視カメラが光っていれば、万が一に備えて戦闘部の導士が控えてもいる。
そんな中で、春雪は、明臣と向かい合っていた。緊張が、春雪の顔面から血の気を引かせているが、表情としてはいつもとそれほど変わらないのだろう、という変な自信があった。いつも悲しそうな顔をしているのが、升田春雪という人間だ。
一方の明臣は、春雪の目をじっと見つめていた。
狭い室内。テーブルを挟んで椅子に座り、向かい合っている。
「色々と大変だっただろう。ネノクニ時代の知人に送られたものを持ち帰ったがために家族を人質に取られ、挙げ句、大犯罪の片棒を担がされるとは。本当に災難としか言い様がない」
「わ、わたしは……」
「いや、いい。なにもいわなくていいよ。全て、わかっている」
春雪は、明臣にはっきりと断言されて、言葉を失った。明臣のどこか超然とした眼差しが、彼の目を真っ直ぐに、射貫くように見据えている。
「きみはただ、昔のよしみを利用されただけだ。そうだろう。きみの過去を遡れば、どこかで彼らの家族と接触したことがあったのだろう。その程度の浅い付き合いが利用されてしまった。まさかきみも、その程度の関係性を利用されようなどとは、想像しようもないものな。しかも、人質を取られての脅迫だ。どうすることもできまい」
明臣は、春雪の心情に寄り添うようにいった。明臣自身、実感として理解できることがある。そのことを、述べる。
「娘を人質に取られたら、わたしも同じことをしてしまうだろう。わたしにとって娘は、命そのものだ。なによりも大切で、大事な宝物。きみの気持ちは、痛いほどわかるよ」
明臣には、日流子という一人娘がいる。彼が彼女を溺愛していることは周知の事実だったし、情報局員ならば知らないものがいないくらいに有名な話だった。
しかし、だ。
日流子が人質に取られる可能性は、皆無に等しい。
日流子は、戦団が誇る最高峰の魔法士の一人だ。
日流子を人質に出来るほどの魔法士などそういるわけもなかったし、万が一、そのような事態に直面しようものならば、日流子自身が独力でどうにかしようとするだろう。
日流子は、春雪の妻子のようなか弱い存在ではない。
とはいえ、愛娘が人質に取られた場合のことを想像すると、身の毛もよだつのは、明臣の実感である。
だから、彼の気持ちは、よくわかる。
「ですが……わたしがとんでもないことをしてしまったのは事実です。人質を取られていたとはいえ、彼らに加担し、協力を惜しまなかった。戦団の機密情報を明け渡し、爆発物の設置を成功させてしまった」
その結果、葦原市のみならず、央都全体を混乱に陥れている。
連続爆破事件と〈スコル〉の犯行声明は、央都市民を恐怖と不安に駆り立てたに違いなかったし、戦団を非難する声を増大させたのはいうまでもない。
それもこれも、春雪が、〈スコル〉に協力したからこそだ。
〈スコル〉の独力では、爆発物の設置も上手くはいかなかったのではないか。
長谷川天璃が使っていた透明化魔法を安定させる魔具は、着用者を透明化することはできても、爆弾を透明化することはできなかった。だからこそ、外部の協力者を必要とし、春雪に白羽の矢が立ったのだ。
もし、魔具で爆弾をも透明化することができたのであれば、春雪の出番はなかったのか、どうか。
いや、それができたのだとしても、彼らは春雪を巻き込もうとしたのではないか。
長谷川天璃は、春雪を恨みに思っていた。
そしてそれも、決して見当違いの恨みでもなかったのだ。少なくとも、天璃ら〈フェンリル〉の子供たちには、裏切り者である春雪を恨む正当な権利がある。
「そう、それだよ」
「はい?」
「きみは、〈スコル〉に協力した。それは事実だ。きみの協力によって、戦闘部導士の配置が筒抜けとなり、爆弾の設置を容易なものとした。それも間違いない。だが、きみがわざわざノルン・システムに接続してくれたおかげで、きみの足跡を追うことが容易となった。きみの閲覧記録は、極めて不自然なものばかりだった。情報局副局長補佐が通常任務の巡回先を調べるなど、考えられることではないからね。そこになんらかの意図、理由があるのだと推測するのは簡単だった。きみのひととなりを知っているものならば、瞬時に気がついただろう」
明臣は、春雪の目を見つめながら、笑った。春雪のあまりにもわかりやすすぎる足跡は、しかし、外部の、〈スコル〉の人間には絶対にわからないものだ。ノルン・システムに接続する権限は、外部の人間には貸与できない。魔紋認証が必要だからであり、だからこそ、春雪が接続し、なにか調べ物をしていたという足跡がはっきりと浮かび上がったのだ。
魔紋認証には、固有波形を伴う。
固有波形は、欺瞞できない。
「しかし、わかったのは、そこになにかがあるということだけだった。わたしは、念には念を入れて、きみが足跡を残した建物近辺への立ち入りを禁止、周辺市民の避難を指示した。それでなにが起こるのかを待とうと考えた」
春雪の足跡が特に強く残っていたのは、葦原市内で五十カ所にも及ぶ。それら周辺住民に避難するように指示し、さらに周囲一帯への立ち入りを禁止したのである。
なにが起こるかはわからない。
なにも起きないかもしれない。
しかし、突如、連絡も寄越さず姿を見せなくなった春雪が、わざわざ残してくれた手がかりになんの意味もないとは考えられなかった。
春雪は、足跡をわざと残したのだ。
明臣たち情報局の人間ならば必ずや無断で仕事を休んでいる自分の動向を探り、履歴を見、足跡を辿ってくれるだろうと信頼していた。
明臣は、彼の信頼に応えることが出来た、というわけだ。
そして、連続爆破事件が起きたのだが、爆発に巻き込まれた市民、導士が一人としていないのは、春雪の警告にも似た足跡があればこそだ。
春雪が〈スコル〉に協力しつつも、実際には大いに裏切っていたからこそ、戦団は市民に被害を出さずに済んでいる。
それを賞賛せずに、なにを褒め称えるというのか。
「全部、きみのおかげだよ。升田くん。きみが〈スコル〉に協力しながらも、あんなにもわかりやすく足跡を残してくれたおかげで、わたしにもすぐに理解できた。きみが、被害を最小限に抑えたといっても過言ではないんだ」
「それは、過言です」
春雪は、明臣の断言に恐縮するばかりだった。
春雪は、〈スコル〉に言われたことをやっただけのことだ。〈スコル〉が爆弾を設置するために必要な情報をノルン・システムを経由して調べた、ただそれだけのことだ。それだけのことが、情報局には筒抜けであり、明臣によって対応されることとなった。
春雪は、ただ、手がかりを残したに過ぎない。
それをどうするかは、結局、手がかりを発見した人間次第であり、場合によっては被害が拡大する可能性だって十分にあったのだ。
たとえば、爆弾設置場所に多数の導士を差し向けた場合、長谷川天璃は、躊躇いもなく起爆させただろうし、それら導士を爆発に巻き込み、殺害することも厭わなかっただろう。そこに市民がいようとも関係なく、連奥爆破計画は実行に移されたに違いない。
そうならなかったのは、明臣の判断が正しかったからにほかならない。
「副局長の判断が正しかったからこそ、被害を抑えることができたんです。わたしは、彼らの言いなりになっただけだ」
「だが、彼らの勝利に貢献しようとはしなかっただろう?」
「それは……」
「言いなりになっただけで、それ以上のことはなにもしなかった。むしろ、最低限のことしかしなかった、というべきか。それもこれも人質のため、愛する妻と子のため。致し方のないことだ。誰であれ、そうするんじゃないかな」
明臣は、春雪が自分のことを責めているような気がして、多少、哀れに思った。最愛の家族を人質に取られてしまえば、どれだけの強者も従うしかない。神木神威だってそうかもしれないし、伊佐那美由理や朱雀院火倶夜といった戦団が誇る最高峰の導士たちですら、そうなのではないか。
家族ほど大切なものはない。
それは、この狭い世界ならば常識といっても過言ではない。
総人口は、双界を合わせても百三十万人ほどでしかなく、だからこそ、血の繋がり、親類縁者の絆は強く、深いものなのだ。
妻子ならば、なおさらだろう。
「きみは、災難だった。それだけだよ」
「災難……」
「そうとも。それ以外、どういうんだ?」
明臣は、春雪の困惑を隠せないといった表情を見つめながら、いった。
「〈おおかみのこども〉……〈フェンリル〉の子、〈スコル〉か。まったく馬鹿げた話だ。太陽奪還計画など、どう足掻いても実現不可能な計画だろうに。誇大妄想も甚だしい。まさに妄執だよ。だが、そんなものに人は囚われ、固執してしまう。長谷川天璃も、近藤悠生も、太陽奪還計画に魅せられ、〈フェンリル〉の理念に、思想に魅せられていたようだ。どこにそんな人を引きつける力があったのかはわからないが、事実なのだからどうしようもない」
「は、はあ……」
「長谷川天璃ら〈スコル〉構成員の取り調べは、我が情報局が総出で行っているが、まあ、あまり面白い話は聞き出せそうにないようだ。彼らは、松下ユラがサキュバスに成り代わられている事実すら知らなかったようなのだからね」
そして、松下ユラが秘密裏に殺されていたという事実も、だ。
それも当然だろう、と、春雪は考える。戦団とて、幻魔が人間に擬態する事例に直面したのは、つい先日のことだ。それまで、幻魔が人間に擬態し、人間社会に暗躍するなど、想像しようもなかったのだ。
幻魔は、人類の天敵である、と、人間側が断言しているように、幻魔自体、人類を忌み嫌っているところがあった。
幻魔が人間を襲うのは、魔法士が死によって膨大かつ高密度の魔力を発生させるからだ。
つまり、餌だ。
しかも極めて栄養価の高い餌であり、幻魔にとって最大の好物であるらしい。
だから、幻魔は人間を襲うのだが、そんな幻魔が人間社会に溶け込むのは至難の業だろう。なにせ、人間社会には、幻魔の大好物である魔法士が満ち溢れているのだ。殺せば、その瞬間、腹を満たすだけの魔力を得られる。だが、人類社会に溶け込むには、そんなことはできない。
我慢しなければ、ならない。
極めて高度な知性と頭脳を誇る鬼級幻魔ならば、わかる。
だが、松下ユラに化けていたのは、上位妖級幻魔のサキュバスだった。
ユーラという個体名を持つサキュバス。ただのサキュバスではないことは間違いないし、アスモデウスの下僕と名乗ってもいた。
故に、人間社会に紛れ込むことも問題なかったのか、どうか。
春雪がそんなことを考えていると、明臣が予期せぬことを言ってきた。
「しかし、まあ……彼らが太陽奪還計画に夢を見、希望を見出したのは、わからないではない」
「はい……?」
「この世界は、閉塞感に包まれている。そう思わないかね」
「それは……」
なんというべきなのか、と、春雪は戸惑った。明臣がそのようなことを言い出してくるとは想いも寄らなかったからだ。
「詰んでいる――かつて、誰かがこの世界の現実をそういったそうだ。実際、その通りだろう。地下は限られた空間で未来はなく、地上は限りない空間で、そして未来はない。未来など、どこにある」
明臣の目は、もはや春雪を見ていなかった。春雪の目を通して、遥か彼方を見ているような、そんな気配があったのだ。
「人類復興は戦団の、人類の悲願だ。しかし、央都成立から五十年もの年月が経過したというのに、人類生存圏の有り様はどうだ。央都四市のわずかばかりの土地だけだ。これでは、何百年経とうが、何千年経過しようが、人類復興など夢のまた夢だ。そう思わないかね」
「それは……」
「いや、済まない。きみには酷な質問だったね」
春雪が口籠もったので、明臣はすぐさま訂正した。
「大事なのは、戦団の戦いがそう簡単には終わらないということだ。何十年、何百年、いや、何千年もの長い時をかけて行う必要がある。幻魔を殲滅し、人類復興を成し遂げるというのは、それほどのことなのだ。それは、きみも理解していることだろう」
「……はい」
「そこで、だ。わたしには、後継者が必要だ」
「後継者……ですか」
春雪は、明臣が突如として言い出してきた言葉が彼からよく聞かされたものだということに気づいていた。
後継者。
明臣は、よくいっていた。
「そう、後継者だ。わたしの全てを受け継ぎ、次代に託すもの。それにはきみのような人間が相応しいのではないか、と、わたしは考えているんだ」
「後継者……」
春雪は、明臣の熱っぽい語り口にすっかり魅せられていた。