第四百四十一話 狼狩り(八)
「いつまで持つかしらねえ! その玩具!」
ユーラは、全身に数百発の銃弾を浴び、魔晶体の構造崩壊に苛まれながらも、余裕の笑みを崩さなかった。黒い血飛沫のように魔力を吹き出しながらも、艶やかな表情に変わりはない。
吹き荒れる黒い魔力は途切れることなく渦を巻いていて、勢いが落ちるどころか増すばかりだった。
銃王の装甲が、悲鳴を上げ始めている。
幸多に出来ることといえば、引き金を引き続けることだけだ。ユーラの魔晶核を破壊し、生命活動を停止させるには、それしかない。
『あれだけ穴だらけにしても全く効果がないみたいよ?』
「確かに、変だな」
幸多がようやく引き金を引く指を止めたのは、ヴェルザンディの意見を聞いてからだ。それまでに何発打ち込んだのかわからない。超周波振動弾の一発一発がサキュバスの魔晶体に直撃し、貫き、構造崩壊を起こす様を何度となく見ている。
そこに違和感を持つのは、当然のことだ。
ありえない。
ユーラの全身の弾痕という弾痕が塞がり、みるみる間にも元通りに戻っていく。肉感的で妖艶さを誇る肢体。長い頭髪が全身に絡みつき、さながら衣の役割を果たしているような、そんな姿。蝙蝠のそれに似た翼が大きく展開し、虚空を羽撃いている。
双眸が、紅く黒く輝いているのもまた、相変わらずだ。
当然、顔面を穴だらけにしている。だが、効果はなかった。脳髄を破壊しようとも、幻魔には効果がない。上位妖級幻魔サキュバスは、人間に近い姿をしているが、体の構造自体は人間とは全く異なるものだ。
心臓はなく、脳もない。血液が通っているわけでもなければ、筋肉や臓器の類もない。あるのは、魔晶核を覆う結晶構造の内殻と外殻であり、それが全てだといわれている。
そして、幻魔の頭脳とは、魔晶核そのものだとも。
だから、魔晶核を破壊した瞬間、幻魔はその全ての生命活動を終える。
幸多は、自由落下が始まるのに任せてユーラとの距離を取りながら、再び周囲に目を遣った。またしても、ユーラの分身と思しき魔力体が出現しつつつあったのだ。大盾を召喚して足場にし、飛び上がって分身を撃ち抜く。
そうする間にも、ユーラが幸多との距離を縮めてきた。
「あはは! なにをしたって無駄なのよ! あなたは魔法不能者で、そんな玩具に頼ることでしかわたしたちと戦えないものね! それじゃあ、わたしを殺すことなんて不可能! 死ぬのは、あなた!」
「破電」
幸多は、ユーラに嘲られる最中、二十二式散弾銃・破電を呼び出した。飛電と置換する形で転送しているため、無駄はない。散弾銃もまた、大型の銃器だが、飛電と同様に右腕で抱え込んだ瞬間、銃王の補助機具が自動的に接続を完了させる。
サキュバスは、そんな幸多の行動の一つ一つが馬鹿げたものに見えるのだろう。勝利を確信したかのように大笑いに笑いながら、螺旋を描いて迫り来る。
幸多は、サキュバスの胴体に照準が合った瞬間、引き金を引いた。凄まじい閃光と爆音は、さながら雷鳴のように響き渡り、ユーラの肢体を一瞬にしてばらばらにした。
散弾銃である。
一度の銃撃で無数の弾丸を拡散させるように発射する銃は、眼前に迫ったサキュバスの全身に、多数の超周波振動弾をほとんど同時に叩き込んだのだ。ユーラの妖艶な肢体が粉々に砕け散ったのを見れば、破電の威力の凄まじさに唸るほかない。
相手は、上位妖級幻魔だ。
撃式武器が、上位妖級幻魔の強固な魔晶体をも貫通し、粉砕したのだ。生半可な攻型魔法よりも余程強力であり、凶悪なのは間違いなかった。
まさに魔法だ、と、幸多は想わざるを得ない。
完全無能者が、並大抵の魔法士を上回る力を得られるなど、魔法を使っているというほかないだろう。
だが、サキュバスのばらばらになったはずの肉体は、瞬く間に回復していく。
再び、引き金を引く。雷鳴のような爆音と閃光が視界を染め上げ、復元中のユーラの体を粉微塵に吹き飛ばす。しかし、無意味だ。ユーラの笑い声が、響き渡る。
「でも、安心していいのよ! あなたの仲間もすぐに後を追うことになるから!」
サキュバスが幸多の目の前まで肉迫してきて、破電の銃口をその手で塞いだ。引き金を引く。閃光と轟音がサキュバスの手のひらから前腕を粉々に打ち砕くも、ユーラは余裕を崩さない。瞬く間に復元し、幸多の首に手を触れた。締め付けてくる。
『だめよ、幸多ちゃん! そいつには魔晶核がないわ!』
「魔晶核が……ない?」
ヴェルザンディの警告に対し、幸多は、怪訝な顔になった。そんなことがありえるのか、という疑問が湧く。幻魔は、魔晶核があってこそ、初めて成立する生き物だ。
鬼級幻魔も、そうだ。
鬼級幻魔は、己が領土たる〈殻〉を作るために己の魔晶核を殻石として使用する。その間、動けない本体に変わって活動するために幻躰と呼ばれる分身を作りだすのだが、幻躰には、魔晶核が付きものだった。本体の魔晶核ではなく、幻躰の魔晶核が、だが。
つまり、サキュバスのユーラは、幻躰でもないということになる。
いや、そもそも、妖級幻魔が幻躰を作り出すなど、聞いたこともなかった。
「あはははは! いまさら気づいてももう遅いわよ! あなたは、死ぬの! それも無駄にね!」
「そうはならないさ」
「その余裕の顔、本当に癪に障るわね。この状況で、どうして自分が死なないと言いきれるのかしら」
「それはあなたもだよ、サキュバスのユーラ」
「そうだな、全く、その通りだ」
声が聞こえたのは、恐らく、幸多だけだろう。
凍り付いた時の中で、幸多は、眼前のユーラが幸多に向ける表情を見ていた。もはや、なんの音も聞こえない。先程まで耳朶を掠めていた魔力の奔流が奏でる不快な音も、サキュバスの笑い声も、なにもかもが聞こえない。
聞こえるのは、美由理の声だけだ。
「勝利を確信するには、少々、早すぎたな」
つぎの瞬間、時間の流れが復活したかと思うと、幸多の目の前に巨大な氷塊が出現していた。ユーラの全身を飲み込む氷塊。
それによって、ユーラは完全に行動不能となり、周囲を取り囲んでいた魔力の渦も立ち消え、分身も消滅していく。
幸多は、凍り付いたサキュバスの手に首を掴まれたまま、氷塊と共に地上に落下していくのを認めた。破電を撃てば、氷塊を破壊して、ユーラを自由にしかねない。
すると、魔法の刃が閃き、幸多を拘束していたサキュバスの腕が切り離された。そして、幸多はそのまま空中に浚われ、氷塊は地上に向かって落ちていく。
幸多は、美由理に左手を掴まれていることに気づくなり、師を仰ぎ見た。
「遅いじゃないですか、師匠」
「なんだ、わたしを待っていたのか?」
「相手は上位妖級幻魔ですよ? ぼく一人でなんとかなるとでも?」
「そうだ」
「まさか」
「あのサキュバスに魔晶核があれば、撃破できていた可能性は高いだろう」
「それは……まあ、そうですけど」
幸多は、地上近くまで降下した美由理の手から離れて飛び降りると、美由理が肩で息をしていることに目を留めた。
美由理は、先程、星象現界を発動している。サキュバスを封殺するためだけでなく、市内各所に仕掛けられた爆発物を無力化するためにも、だ。それがどれほど消耗の激しいことなのか、幸多にはわからない。
ただ、普段涼しい顔で強力な魔法を連発する美由理らしからぬ変化がその表情に表れていることからも、並大抵のことではないということがわかるだろう。
『でも、どういうことかしら? 魔晶核がないなんて』
「奴の分身と同じだ。あれも高密度に作られた分身……幻躰に近い代物だったのだろう」
「じゃあ、本体はどこかにいるということですか?」
「そうなるな」
美由理は、幸多の近くに降り立つと、集合住宅の屋根に空いた穴を見た。氷漬けのサキュバスは、屋根の上に落ちていて、一切動く気配はない。完全に氷結したのだ。
どれだけ破壊されても瞬く間に復元し、すぐさま活動を再開できるのだとしても、氷漬けにされてしまえばどうにもならないというのは、道理だろう。
幸多は、美由理の機転に感動すら覚えながら、サキュバスの氷像を見ていた。そのときだ。
通信が、入った。
『こちら、〈スコル〉拠点捜索班! たった今、升田麻里安さんの身柄を確保しました!』
「なんだと?」
美由理は、透かさず幸多を一瞥した。升田春雪の妻、麻里安と娘、春花は、幸多がその安全を確保したからだ。
幸多もまた、愕然とするほかなかった。
麻里安は、娘とともに戦団本部に移送されたはずだ。