第四百三十六話 狼狩り(三)
今回、非番かつ休養日の幸多が突如として駆り出されることになった最大の要因が、そこにある。
相手は、武装組織であり、市民を巻き込むことに一切の躊躇のない悪辣極まりない連中だと、戦団は判断した。
複数の拠点に戦力を点在させているのは、一見悪手のように思えなくはないが、万が一、いずれかの拠点が露見し、攻撃された場合、即座に対応するためだと考えられる。
例えば、一つの拠点が戦団によって制圧されたとしても、別の拠点が活動可能状態であれば、戦団を脅迫し続けることは可能だ、と。
全ての拠点を制圧し、全構成員を確保しなければ、安心はできない。
今現在、この葦原市内には、多数の爆発物が設置されており、〈スコル〉の構成員が気分次第でいつでも起爆させることができる状態なのだ。
そして、だからこそ、拠点制圧には慎重を期する必要があった。
各拠点に魔力感知機のような防犯魔具が設置されている可能性は、決して低くない。
事実、先程幸多が単身乗り込み、瞬く間に制圧した拠点には、魔力計測機が各所に設置されており、魔力を練成した魔法士の接近を警告する仕組みになっていたのだ。
こんな夜中に戦闘密度の魔力を練成する人間などそういるわけもなく、計測器が反応するのであれば、拠点を制圧するべく投入された戦団の導士以外の何者でもない。
となれば、拠点内の〈スコル〉構成員たちは、速やかに幹部たちに戦団の動きを報告し、〈スコル〉幹部は、なんらかの決断を行うだろう。
例えば、即座に起爆し、市内の被害を拡大した上で、戦団の〈スコル〉への攻撃を停止させようとするといった反応を見せたに違いない。
それは、悪手だ。
これ以上〈スコル〉の思うままに爆破させるというのは、央都市民の戦団に対する印象をさらに悪化させるだけだ。戦団が〈スコル〉への対策、行動をまるでなにもしていないかのような感想や意見すら聞こえてきている。
市民にしてみれば、一件目のの爆破事件が起きた時点で、速やかに〈スコル〉を見つけ出し、制圧するのが戦団の役割ではないのか、と言いたくなるのもわからなくはないのだが。
幸多は、光に満ちた町中を屋根から屋根へと飛び移って移動しながら、やはり人気の少なさを気にした。
葦原市民の誰もが、〈スコル〉による一連の爆破事件に不安を覚えており、出歩くなど考えられない、と、家に籠もっているか、避難所に待機しているらしい。
避難所は、葦原市の地下にある。
どれだけ爆発物が大量に設置されていたとして、それらの爆発が避難所にまで及ぶとは、到底考えられることではなかった。
圭悟たちも避難所に逃れているということが、幸多の携帯端末に届いていた。そのことには、ただただ安心している。
市内各所の避難所は、なにも幻魔災害のためだけに存在しているわけではない。今回のような事態に直面した場合、市民の心の拠り所として避難所が機能することは、よくあることだった。
幻魔災害に対応するということは、あらゆる魔法犯罪にも対応しているといっても過言ではない。
圭悟たちといえば、最初の爆破事件の現場に居合わせたという話もあった。そして、そのとき、圭悟たちは、爆破した建物が立ち入り禁止区域内にあり、だからこそ被害者が一人として出なかった、というようなことをいっていたことを、幸多は思い出していた。
それはつまり、戦団が当初からこの一連の爆破事件に対応できていた、ということにほかならないのだが。
『爆発物の処理は、わたしがする。きみは、先程の指示通り、〈スコル〉の本拠地に向かいたまえ』
「はい!」
『本拠地だ。当然、警戒もより厳重なものとなっているだろう。魔力感知機の類も大量に設置されているだろうな。わたしが近づけば、それだけで大騒ぎだ』
「でしょうね」
『そこで、幸多ちゃんの出番ってわけよ』
『きみならば、気取られる心配はない。先程のようにな』
「はい」
幸多は、ようやく、自分がなぜ動員されることになったのか、その納得できる理由について理解を深めていた。
相手が拠点に籠もる人間であり、いつでも爆弾を爆発させることができる状態だからこそ、だ。
もし相手が爆弾による脅迫を行って来なかったのであれば、戦団は、適切な戦力を各拠点に送り込み、瞬く間に制圧したに違いない。
もちろん、その場合に幸多の出番などはなかっただろう。
幸多が必要なのは、完全無能者であり、魔力感知機の類に引っかかる要素がないからだ。
やがて、幸多は、南海区河岸町に到着すると、街路灯の光に照らされた住宅街を見下ろした。どこにでもあるような閑静な住宅街の一角に、その集合住宅はある。
ごくごくありふれた三階建ての建物であり、だからこそ、見逃しやすいと言えるのかもしれないし、見逃して当然といってもいいのではないか、という風情があった。白塗りの壁が真新しいのは塗り直されたからなのか、それとも、建物自体が最近建てられたばかりだからなのか。
いずれにせよ、なんの警戒もしていないように見えて、周囲の監視カメラを利用した警戒網が機能していることは間違いなく、幸多は、ヴェルザンディに指示されるまま、建物に近づかないようにしていた。
そして、ヴェルザンディが監視カメラを掌握したのを見計らって、集合住宅の敷地内に入り込む。
〈スコル〉の本拠地は、この集合住宅の三階の突き当たりの部屋だという。そこには〈スコル〉の幹部が勢揃いしており、升田春雪が囚われているらしい。
まずは升田春雪の安全を確保するべきなのか。
『まず幸多ちゃんがしなきゃいけないのは、起爆装置の奪取よ』
「起爆装置? そんなの、見てわかるんです?」
『長谷川天璃が手にしているからすぐにわかるって』
「なるほど」
長谷川天璃の顔は、既に頭の中に叩き込んでいる。
『爆弾のことは気にしなくていい。わたしが対処するからな』
「はい」
美由理の断言は、心強いことこの上ない。
幸多は、当たり前のことを再認識するような気分になりながら、魔紋認証などの防犯設備を突破し、三階へと直行した。音を立てずに通路を駆け抜け、突き当たりの部屋の扉の前まで辿り着く。
そこがこれほどの大事件を引き起こした犯罪組織の本拠地とはとても信じられない気分ではあったが、しかし、大仰な拠点など構えられるわけもないというのもまた事実だ。
そんなことをすれば、戦団による監視対象となり、なんらかの方法で調査され、あっという間に暴かれただろう。
戦団の目を欺くには、央都の社会に溶け込むのが一番だ。
実際、彼らが行動を起こすまで、その存在が戦団に認知されることはなかったのだから。
しかし、その悪逆非道な行いも、ここまでだ。
『幸多ちゃん、がんばって!』
「はい」
幸多は、脳内に響くヴェルザンディの声援に小さく頷くと、彼女によって解放された扉を開き、屋内に突入した。
暗闇が屋内を支配していたが、問題はなかった。幸多の目は、とっくに闇に慣れている。
周囲を警戒しつつ、奥へと向かう途中、右手にあった扉を開けば、複数の幻板と睨み合っている〈スコル〉の構成員の姿があった。幸多が侵入してきたことには、一切気づいていない。
幸多は、構成員に背後から忍び寄ると、速やかに締め上げて、昏倒させた。そのまま、音を立てないように横たえる。
幻板に表示されていたのは、監視カメラの映像だった。しかしそれは、ヴェルザンディによって改竄《かいざn》されたものであり、この監視カメラが数秒前に記録した映像にほかならない。
ノルン・システムには、莫大な量の情報が記録されている。それら情報を用いれば、そのような映像の改竄もお手の物だった。
幸多は、監視カメラが拠点の外だけでなく、拠点内各所にも仕掛けられていることに気づくと、それらの映像を注視した。
それによって、この本拠地には、もはや幸多を除いて四人の人間しかいないことが判明する。
〈スコル〉の頭目・長谷川天璃と幹部二名――近藤悠生、松下ユラである。
そして、囚われたままの升田春雪が、部屋の片隅にいる。
幸多は、幻板と向き合っている天璃が、なにやら激する様を見た。その手には確かに端末が収められていた。
(あれが……起爆装置)
そして、幸多は、〈スコル〉幹部たちがいる一室に忍び込み、速やかに天璃の手から起爆装置を奪取して見せたのだ。