第四百三十五話 狼狩り(二)
幸多は、眼下の建物を見下ろしながら、呼吸を整えた。
小さな集合住宅。
その地下に〈スコル〉の拠点が一つ、あるという。
〈スコル〉の活動拠点は、葦原市内の各地に全部で五カ所も存在しているということが、情報局の調査の結果判明している。
一つは、〈スコル〉幹部、近藤悠生が借りている部屋であり、既に情報局によって差し押さえられ、徹底的に捜索されている。それによって判明したことは大したことではなく、役に立たない情報ばかりだ手に入ったということだが。
問題は、幸多の眼前の建物である。
〈スコル〉は、その活動拠点を厳重に警戒している。当然だろう。戦団と正面からやり合おうというような組織だ。戦団が戦力を差し向けてくる可能性を考慮していないわけがない。
しかも、そのために市内各所に配置された監視カメラを利用しているということもあり、拠点周辺に目立った変化はない。監視カメラなどどこにでも存在しているのが、この央都であり、この監視社会だ。
どこからどう見ても、ありふれた住宅街のどこにでもある一風景に過ぎない。
だが、ここが拠点であり、警戒するべき場所なのは、情報官からの報告によって判明している。情報局が割り出した拠点の一つであり、升田春雪の妻子が囚われている場所だという。
幸多は、升田春雪という人物について、市民と同程度の情報しか持っていない。
情報局副局長補佐という肩書きは、情報局の中でも特筆するべき立場であり、重要な役職だということを示している。とはいえ、彼が前面に出ることはなかったし、そもそも、情報局そのものが取り沙汰されるということもすkなかった。
情報局は、戦団の要といっても過言ではない部署ではあるのだが、だからこそ、表に出る機会が極めて少ない。
ただし、局長や副局長、副局長補佐など、立場のある導士の氏名等については、ある程度公表されているのだ。
だからこそ、幸多も升田春雪について多少なりとも知っているのだが。
そんな升田春雪が、どうやら妻子を人質に取られ、〈スコル〉の悪行の片棒を担がされているらしいという話を聞けば、幸多も力が入るというものだった。
〈スコル〉がなんのために葦原市を爆破しているのか想像もつかないし、それ自体が途方もない悪行としか思えないのだが、そこに自分たちの思想、理念などとは無関係な赤の他人を巻き込むなど、とても許されることではかった。
拳に力が籠もる。
『いい? 監視カメラに偽情報を送るから、幸多ちゃんはその隙に潜入して頂戴』
「は、はい」
特別情報官ヴェルことヴェルザンディの声が、幸多の頭の中に反響する。高すぎることもなく、低すぎることもないものの、脳内に直接届くからこそ、余計に強く感じる。
『なによ? わたしじゃ不満だって言いたいの?』
「い、いや、そんなことはないです、ヴェルちゃん」
『ふーん……本当は美由理ちゃんと二人きりの任務を期待していたんじゃないのかしら』
「それは否定しませんけど」
『否定しなさいよ』
ヴェルザンディが怒鳴りつけてくるのを涼しい顔で受け流しながら、幸多は、三階建ての建物の屋上から飛び降りた。〈スコル〉の拠点の対面である。
地上に降り立つと、すぐ目の前が〈スコル〉の拠点が入っている建物となる。
監視カメラがどこにあるのかは、幸多にもはっきりとはわからない。
しかし、警戒する必要はない。
こちらには、戦団の女神にして、央都の情報の支配者たるノルン・システムがついているのだ。
実際、幸多は、監視カメラの警戒網を容易く突破し、建物内への侵入を果たした。魔紋認証に始まる万全にして厳重極まりない防犯設備も、ヴェルザンディたちが無力化してしまうため、なんの障害にもならない。
幸多は、ヴェルザンディに促されるまま地下に向かうと、拠点の前に辿り着いた。
そこからは、あっという間だった。
拠点内には四人の〈スコル〉構成員がいたのだが、ノルン・システムは、拠点内外の防犯設備を丸裸にしており、幸多の突入にも誰一人反応できなかったのだ。
おそらく全員が魔法士だったに違いないのだが、幸多の相手にはならかった。そもそも、幸多を目視すらできていなかった。
幸多は、升田春雪の妻・麻里安と娘の春花が監禁されている一室に飛び込むと、三名の構成員を瞬く間に打ちのめしている。
そして、緊張から解放されたのか、声を上げて泣き出した二人に対し、幸多は微笑みかけた。
「もう、大丈夫です。なんの心配もいりませんよ」
幸多の一言には、麻里安は、心底安堵したような顔をした。
「これができるなら、わざわざぼくじゃなくて良かったんじゃ?」
幸多がそんな疑問を口にしたのは、拠点制圧後のことである。
升田麻里安、春花の親子は、確保した構成員とともに戦団本部へと移送されることとなり、現場に到着した輸送車両イワキリに乗って、現場を離れている。
幸多は、情報局員によって家捜しされる拠点を後にして、次の目的地に向かうこととなった。
『万全に万全を備えてのことだ』
「はあ」
『きみは、完全無能者だ。だからこそ、こういう場合に役に立つ』
「どういうことです?」
『〈スコル〉は、既に廃棄されたエーテリアル・ネットワークの回線を復旧させ、活用していた。だからこそ、ノルン・システムでも彼らの活動を把握できなかった』
『全く、酷い話よね。まるでわたしたちが悪いみたいじゃない。単純に旧式の、廃棄された技術が使われていただけの話でしょ』
『それが問題なんだがな』
『なによ! そういう可能性を考慮するのは、わたしたちの仕事じゃないんだけど!』
『いや、未来予測はノルン・システムの十八番だろう』
『ノルン・システムの未来予測ほど当てにならないものはない、っていったのは、どこのだれかしら』
『さて』
なにやら言い合いを始めた美由理とヴェルザンディに対し、幸多は、口を挟もうとは思わなかった。ヴェルザンディが誰にでも気安いことはわかっていたが、美由理との関係もそれなり以上に良好そうだということがわかり、なんだかにやけてくる。
『魔法犯罪対策のために様々な魔具、魔機が開発されていることは、知っているな』
「はい」
『常識よね』
『そうした魔具の中には、敷地内に一定状の魔力質量を計測した場合、反応する類のものがある。魔力感知器の類だが、魔法犯罪は魔法を用いるのだから、そのような発想に至るの当然の帰結だな』
「はい」
幸多は、夜の東街区を駆け抜けながら、肯定する。
防犯系の魔具や魔機の類が人気なのは、魔法時代黄金期から変わっていないといわれる。
この央都において、魔法犯罪は、それこそ魔法時代黄金期ほど頻発するものではなかったし、今では、幻魔災害のほうが発生頻度が高く、備えるのであれば幻魔災害にするべきだ、という意見が多い。
とはいえ、対策を講じないわけには行かないというのも一般市民の感情からすれば当然だろう。
魔法犯罪は、多くの場合、即座に犯人が割り出され、瞬く間に検挙される。
警察部および戦団による、魔法犯罪者の検挙率百パーセントとは、嘘でもなければ、誇張表現ですらないのだ。
しかし、それによって魔法犯罪による被害がなくなるわけではない。
発生した被害は、なかったことにはならない。
魔法犯罪によって傷つけられた人の肉体的な傷こそ魔法で瞬く間に塞がったとしても、心の傷は、そういうわけにはいくまい。無論、精神魔法による治療もあるにはあるのだが。
たとえば、魔法犯罪によって命が奪われれば、どうにもならない。
魔法は、万能に近い技術だ。
術者の、魔法士の想像力次第では、どのようなことだって出来てしまう。
美由理など、時間だって止めてしまうのだ。
だが、失われた命は、戻ってこない。
だからこそ、防犯対策を徹底するべきだったし、そうした防犯対策系の魔具や魔機が、なにも魔法犯罪以外にも転用できないかといえば、そんなことはなかった。
『魔力感知器のような防犯魔具は、使い方次第では幻魔災害対策としても利用可能であり、魔法士対策としても活用可能だ。我々魔法士は、戦場に赴く際には、常に魔力を練成しなければならない。魔力の塊そのものだからな』
故に気取られるのだ、と、美由理は、続けた。




